2019年05月12日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

たとえパードレ様がいなくても、臨終には罪とがを熱心に悔い改め、イエス・キリストの幾多の恵みを感謝なされば救われます。この世は、はかないものでありますから、パライソなる天国の永遠の全き幸福をゆめゆめ失わぬように お心掛けください。人が母上様にいかなることをしようとも、忍耐し、かつすべての人に多くの愛をお示しください。それから、とりわけ弟マンショとフィリポに関しては、彼ら2人を異教徒の手に委ねることのないように、よろしくお取り計らいください。私は母上様のことを 我らの主にお願いし、お委ねいたします。母上から私の知っている人々に、よろしく申し上げてください。母上様。罪とがを悔い改めることを忘れぬよう、再び重ねてお願い申し上げます。なぜなら悔い改めだけが、唯一の重大なことですから。アダムは神に背き、罪を犯しましたが、悔い改めと贖(あがな)いによって救われました。陰暦12月2日 安芸の国三原城の牢獄にて」
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2019年05月11日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

トマス小崎の手紙
「母上様、神のみ恵みに助けられながら、この手紙をしたためます。罪標に宣告されている宣告分にもあるように、パードレ以下私たち24人は長崎で十字架につけられることになっています。どうか私のことも、父上ミカエルのことも何一つご心配くださいませんように。パライソなる天国で母上様とすぐにお会いできるとお待ちしております。
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2019年05月10日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

三原城の牢獄の中で
この手紙をトマス小崎が書いた場所は、今の広島県の三原です。殉教者たちの一行は、京都で戻り橋を渡り、兵庫,明石、姫路、岡山、尾道と旅を続け、この三原にたどり着きます。1597年1月19日の深夜に、三原城の牢獄で、15歳の少年は見張りの目を盗みながら、母マルタにあてて、この別れの手紙を書きました。
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2019年05月09日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

少年。トマスが母にあてて書いた手紙が、殉教した後に、父ミカエルの懐から見つかりました。囚人だったトマスには、手紙を書いても 届けるすべがなかったのでしょう。彼は、父ミカエルに、この手紙を渡します。しかし、同じ囚人として捕らえられ殉教の旅している父にも、やはり届けるすべはなかったのです。父のミカエルは、この手紙を大切に自分の肌着の下に、身に付けて隠し持っていました。それを殉教の後に、ポルトガル人が発見しました。その時、この手紙は血に染まっていたました。
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2019年05月08日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

西坂の丘で殉教していった 26人の中にいた3人の少年。そのうちの2人、弱冠12歳最年少のルドビゴ茨木と 中国人を父に持っていた13歳の少年アントニオ。彼の両親は、まだイエスさまを信じていませんでした。この2人については、すでにもう書きました。今回は、もう一人の少年。15歳のトマス小崎について 書きたいと思います。彼は48歳の父ミカエル小崎とともに殉教します。父のミカエル小崎は伊勢生まれの弓師でした。その父と共に西坂の丘で十字架にかけられて、処刑され殉教していったのです。
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2019年05月07日

十  少年アントニオー十字架上でささげた賛美

中国人の父親は、それでも叫び続けました。「アントニオ、キリシタンを捨てて助かってくれ。そうすれば 私のありったけの財産を お前に譲ってやる。頼むから、どうか頼むから、キリストを捨てて助かってくれ」 「お父さん、財産は、この世だけのものです。主イエスさまが、私たちのために準備して下さっているのは、永遠の宝です。お父さん、嘆かないでください。私はもうすぐ天国へ行きます。そしてそこで、お父さんのためにお祈りいたします。だからお父さんもイエスさまを信じて、天国へ来てください。そこでお待ちしていますから」アントニオは、さらに何度も何度も、両親に向かって言いました。「喜んでください。喜んでください」と。そう言って隣で十字架にかけられていたルドビゴ茨木とともに、詩篇113篇を賛美し始めたのです。その時、西坂の丘に天国が降りてきたと言われています。
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2019年05月06日

十  少年アントニオー十字架上でささげた賛美

必死になって、半ば狂乱しながら 十字架にしがみついて泣き叫ぶ両親に向かって、アントニオはこう応えたのです。「お父さん。お母さん。喜んでください。喜んでください。私は、これから天国へ行くのです。お父さん。お母さん。泣かないでください。私は、これから先に天国へ行ってお父さん、お母さんのおいでになるのを待っています。ですから、お父さん お母さんのおいでになるのを待っています。ですから、お父さん お母さんもイエス様を信じて、私のあとから天国に来て下さい。お父さん。お母さん。喜んでください」
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十  少年アントニオー十字架でささげた賛美

喜んでください
今回は、そのアントニオについて書きたいと思います。アントニオの生まれは、長崎でした。彼の父親は中国人、母親は日本人でした。両親は、まだどちらもイエス・キリストを信じていませんでした。政府の役人たちは26人を処刑するとき、アントニオの十字架の足元に 両親を連れて来たのです。両親の叫びを聞けば、アントニオが信仰を捨てるかもしれないと役人たちは思ったのでしょう。彼らはなんとかしてキリストへの信仰を 捨てさせたかったのです。案の定、アントニオの両親は、十字架に近づいて激しく泣き叫びました。「アントニオ。お願いだから十字架から降りてきてちょうだい。親に先立つ不孝があるか。お願いだから、キリストを捨てて降りてきてちょうだい」
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2019年05月05日

十  少年アントニオー十字架上でささげた賛美

「ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたたえよ。主の御名をほめたたえよ」(詩篇113篇1節)
西坂の丘で殉教していった26人。その中に3人の少年がいました。その一人が佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ茨木少年でした。彼は弱冠12歳の最年少であったにもかかわらず、西坂の丘で自分のかかる十字架を抱きしめ、思わずも十字架にほおずりをし、そして十字架に口づけしたと言われています。その十字架の上で、彼は詩篇113篇を、彼の横に並んで、同じ様に十字架にかけられて殉教していった13歳の少年アントニオとともに、心から神に向かって賛美したのです。「子らよ。主をたたたえまつれ」と。(新約聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
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2019年05月04日

九  ルドビゴ茨木3

十字架の上での賛美
そして、その十字架の上で、ルドビゴ少年は、神さまへの賛美をささげました。彼の横で同じように十字架にかけられていた13歳の少年アントニオとともに。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と(新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)この詩篇113篇を賛美しながら、彼らは天に喜んで帰っていったのです。その時のことは後ほど、詳しく書くことにしましょう。
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2019年05月02日

九  ルドビゴ茨木3

この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も、十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。この少年に息づいていたのは、キリストと共に生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
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2019年05月01日

九  ルドビゴ茨木3

役人は彼に目をやり、彼が一番小さい少年だということに気が付くと「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番小さいあの十字架だ」と26本の中で一番小さな十字架を指差したのです ルドビゴ少年は、その役人に笑顔を返し、その指差された一番小さな十字架に喜びながら駆け寄り、力いっぱいその十字架を抱きしめると、思わずも十字架にほおずりをし、そして十字架にくちづけしたのです。
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2019年04月30日

九  ルドビゴ茨木3

当時、西坂の丘は、長崎で最も小高い丘だったようです。今でもそうですが、遠足でどんなに疲れていても、頂上が見えると急に元気になって走り出す子供のように、ルドビゴ茨木少年も、西坂の丘が見えると、急に元気になって、その丘を駆け上がったのです。そして誰よりも早く西坂の丘に着くと、そこで彼らが殉教するためにつけられる十字架を造っていた役人に聞きました。「私のつく十字架はどれですか」と
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2019年04月29日

九  ルドビゴ茨木3

「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい」(マルコの福音書8章34節)
佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ茨木少年。12歳の最年少であった彼を、何とか助けたいと思った寺沢半三郎も、彼のキリストへの愛と信仰を聞いて、もう何も言わなくなりました。26人の殉教への旅は続きます。そしていよいよ、彼らが十字架にかけられて殺され 殉教する西坂の丘が近づいてきました。その時、最年少のルドビゴ茨木少年が、小走りに走り出したのです。


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2019年04月28日

八  ルドビゴ茨木

西坂の丘で
ルドビゴ少年は刑場である西坂の丘に着いた時、自分が処刑されるために用意された十字架に 走り寄り、それを抱きしめて、ほずおずりし 口ずけしたと言われています。そして、その十字架の上にかけられたとき、隣の十字架にかけられていた 13歳のアントニオ少年とともに、高らかに詩篇113篇を賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。(新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
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2019年04月26日

八  ルドビゴ茨木2

この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に 目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書きにも 彼は動じませんでした。この少年は確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。そしてキリストがともにいることの 素晴らしさの中に、命の中に生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。
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2019年04月25日

八  ルドビゴ茨木2

私は何度か、ある時は一人で、ある時は夫婦で、ルドビゴ少年が神を選んだ山本の村へ、足を運びました。山本の村を流れている川の堤防に 腰掛けながら、天を見上げて祈っていると、深い神さまの臨在が、いつも注がれてきます。人生の大事な選択の時に、この山本の村で静まっているとかって神さまを選んだルドビゴ少年の声が聞こえてくる錯覚に陥ります。そして主がすぐそばに来て、私に触れ、御言葉をもって語りかけてくださるのです。「永遠に価値あるもののために生きなさい」と。
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2019年04月24日

八  ルドビゴ茨木2

かって日本には、このような12歳の少年がいました。キリストを愛するあまり、命をも惜しまず、どんな権力を持っている人にも屈せず、この地上でのぜいたくにも目もくれず、永遠の天の御国をまっすぐに見ながら、命をかけて福音を宣べ伝え続けた少年がいたのです。それが12歳のルドビゴ茨木少年だったのです。この少年に見つめられて、福音を語られた寺沢半三郎は、返す言葉もなく、彼の目をルドビゴ少年からそらしたのです。
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2019年04月23日

八  ルドビゴ茨木2

たび重なる誘いを 「キリストを捨て、永遠の命を つかの間の命 と代えることはできません」とはっきりとルドビゴ少年は断りました。いやそれどころか、むしろ「お奉行様こそ、キリストを信じて 私と一緒にパライソである天国 へ参りましょう」と詰め寄り、寺沢半三郎の目をしっかりと見つめて福音を宣べ伝えたのです。
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2019年04月22日

八  ルドビゴ茨木2

「命を救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのために命を失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章35〜37節)
 唐津の山本村で「私の養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、西坂の丘で十字架につけられて、殉教することを選んだルドビゴ茨木。しかし寺沢半三郎はこのいたいけな12歳の命を何とかして助けたいと思って何度も何度も、いろんな言い方で彼に「養子になれ。俺の小姓になれ」と語りかけたのです。
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2019年04月21日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
「ルドビゴ。今のままの信仰ではだめだ。信仰をやめて おれの養子になれば、あと50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着られる。そのうえ、刀を差して武士になり、大名にもなれるぞ」ルドビゴ少年は、再び半三郎は、の目をしっかりと見て、こう言いました。「そうしてまで、私は生き延びたいとは思いませぬ。なぜなら終わりのなき永遠の命を、たちまち滅びるつかの間の肉体の命とは代えられないからです。お奉行さま。あなたの方こそ、キリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソにおいでなさるのが、ずっと良いことです。あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国に参りましょう」半三郎は返す言葉もなく、重くまぶたを下ろし、瞳を閉じたのです。
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七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
「キリシタンを捨てることが条件だぞ。それ以外の事は何でも許してやろう。大目に見る。しかし、今のままの信仰ではだめだ」ルドビゴは半三郎をしっかり見て、ニコニコしながら天を指して言いました。「この地上で大名として取り立てられるよりも、神さまのもとで小姓として仕えとうございます。お奉行さまも、どうぞキリシタンにおなりなさいませ。そしてご一緒に パライソである天国へ参りましょう」あまりにも意外な少年の決断ある返事に、半三郎は、さらにこう言ったのです。
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2019年04月20日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
彼はルドビゴ少年に言いました。「お前の命は、私の手の平の中にある。もし私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ。お前を助けて私の小姓にしてやろう」ルドビゴ少年は「わたしは ペトロ・バプチスタ神父(26人のリーダー)に従いまする」と答えました。それを聞いたペトロ・バプチスタ神父は「キリシタンとしての生活が許されるなら、何も死に急ぐことはない。喜んでそれに従いなされ」と言いました。それでルドビゴ少年は半三郎に答えました。「ありがとうございます。それでは養子にさせて頂きまする。ただ一つだけお願いがあります。キリシタンとして、今のままの信仰を持ち続けられるならば・・・」半三郎は、最後まで聞かずにいいました。
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2019年04月19日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
囚人の中に  旧友のパウロ三木がいたことでした。そしてもう一つが、3人の無邪気な少年を処刑しなければならない ことだったのです。とりわけ、其の3人の中でも、特に元気で、いたいけな最年少のルドビゴ少年を処刑しなければならないと思うと、彼の心は暗く重たくなりました。彼は考えました。秀吉から受けた命令の24人より2人多く囚人がいる。ルドビゴ一人を放免することは、できないことではない。そこで何とかして、このルドビゴ少年を助けようと、彼はするのです。
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2019年04月16日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
2月1日、26人は、博多から唐津への旅を続け、唐津湾に遠からぬ村の山本で、処刑の執行責任者である寺沢半三郎に引き渡されます。寺沢半三郎は唐津城主で長崎奉行の寺沢志摩守広高の弟で、死刑執行人の代理者だったのです。半三郎は、24人の名簿と囚人を照合して、彼らを受け取ります。この時彼の心は、2つのことで痛み暗い気持ちになります。



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