2018年06月04日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

 ルドビゴ少年は、再び半三郎の目をしっかり見て、こう言いました。「そうしてまで、私は生き延びたいとは思いませぬ。なぜなら、終わりのなき永遠の命を、たちまち滅びるつかの間の肉体の命とは代えられないからです。 お奉行さま。あなたの方こそ、キリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソにおいでなさるのが、ずっと良いことです。 あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国に参りましょう」 半三郎は、返す言葉もなく重くまぶたを下ろし、瞳を閉じたのです。
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2018年06月03日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年


 ありがとうございます。それでは養子にさせて頂きまする。ただ一つだけお願いがあります。キリシタンとして、今のままの信仰を持ち続けられるならば・・・」半三郎は、最後まで聞かずに言いました「キリシタンを捨てることが条件だぞ。それ以外の事は何でも許してやろう。大目に見るしかし今のままの信仰ではだめだ」 ルドビゴは半三郎をしっかりみて、ニコニコしながら天を指して言いました。「この地上で大名として取り立てられるよりも、神さまのもとで小姓として仕えとうございます。お奉行様も、どうぞキリシタンにおなりなさいませ。そして、ご一緒にパライソである天国へ参りましょう」 あまりにも意外な少年の決断ある返事に、半三郎は胸を打たれました。しかし、ますます何とかして助けたいとと思った半三郎は、さらに、こう言ったのです。「ルドビゴ。今のままの信仰ではだめだ。信者をやめておれの養子になれば、あと50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着られる。そのうえ、刀を差して武士になり、大名にもなれるぞ」 ルドビゴ少年は、再び半三郎の目をしっかり見て、こう言いました。
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2018年06月02日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

 そしてもう一つが、3人の無邪気な少年を処刑しなければならないことだったのです。とりわけ、その3人の中でも、特に元気で、いたいけな最年少のルドビゴ少年を処刑しなければならないと思うと、彼の心は暗く重たくなりました。 彼は考えました。秀吉から受けた命令の24人より2人多く囚人がいる。ルドビゴ一人を放免することは、できないことではない。 そこで何とかして、このルドビゴ少年を助けようと、彼はするのです。彼はルドビゴ少年に言いました。「お前の命は、私の手の平の中にある。もし私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ。お前を助けて私の小姓にしてやろう」 ルドビゴ少年は「私はペトロ・バプチスタ神父(26人のリーダー)に従いまする」と答えました。それを聞いたペトロ・バプチスタ神父は「キリシタンとしての生活が許されるなら、何も死に急ぐことはない。喜んでそれに従いなされ」と言いました。それでルドビゴ少年は半三郎に答えました。
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2018年06月01日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

2月1日、26人は、博多から唐津へに旅を続け、唐津湾に遠からぬ村の山本で、処刑の執行責任者である寺沢半三郎に引き渡されます。寺澤半三郎は、唐津城主で長崎奉行の寺沢志摩守広高の弟で、死刑執行人の代理者だったのです。半三郎は、24人の名簿と囚人を照合して、彼らを受け取ります。この時彼の心は、二つの事で傷み暗い気持ちになります。 一つは囚人の中に旧友のパウロ三木がいたことでした。 
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2018年05月31日

七  ルドビゴ茨木1

 西坂の丘で処刑された日本二十六聖人、その26人の中に、3人の少年がいました。彼らはとても無邪気な少年たちでした。長崎までの難渋を極めた道を、このいたいけな3人の少年たちが、26人の心をずいぶん和ませたのでした。 父ミカエル小崎と共に殉教者に選ばれ、西坂の丘の上で十字架に付けられ殺された15歳の少年トマス小崎 長崎生まれの13歳の少年アントニオ。彼は中国人の父と日本人の女性の間に生まれました。イエズス会の学校で教育を受け、伝道者になるために訓練の真っ最中でした。 そして最年少の12歳であったルドビゴ茨木。終わり出身の彼は、おじのパウロ茨木、レオン烏丸とともに西坂の丘で殉教します.
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2018年05月30日

七  ルドビゴ茨木1

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのために命を失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分の命を買い戻すために、人は、いったい何を差し出すことができるでしょう」
    (マルコの福音書8章35〜37節)
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2018年05月29日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

ルドビゴ少年

 確かに長崎までの道中、彼らの心は喜んでいました。しかし肉体の疲労は相当なものでした。その彼らの疲労は相当なものでした。その彼らの苦しみを和らげ、大きな慰めとなったのが、いつも明るくて元気のいいルドビゴ茨木でした。 二十六聖人の中には3人の少年がいましたが、このルドビゴ茨木少年は、26人の中のさいねんしょうで12歳でした。彼は、生来利発な少年ではありませんでしたが、いつも明るく朗らかで、とてもとても元気のいい少年だったのです。 彼の存在は26人にとって、とても大きな励ましであり、慰めであったようです。 彼のことについて、次の章で、書きたいと思います。
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2018年05月28日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に

26人の殉教者たちは、あるところは陸路で、そしてあるところは海路で、大阪から長崎までの800キロにわたる長い旅を続けたのです。 一年で最も寒いと思われる真冬のさなかに、ほとんどの道を、徒歩で旅を続けました。姫路、赤穂、岡山、三原、下関と道はぬかるみ、旅は非常な難渋を極めました。 しかし彼らの顔は、輝いていました。 長崎で、主イエス様と同じ十字架につけられて殉教できることを、とても喜んでいました。彼らは殉教者に選ばれたことを、心から感謝しながら,天国への希望に燃えて、その旅を続けていたのです。彼らは知っていました。主がともにいることの喜びと素晴らしさを、その喜びをかみしめながら、十字架にかかる長崎までの道を、歩いたのです。
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2018年05月27日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に

この二人は24人を護送する護衛の役人たちに、自分たちも殉教者の仲間に加えてほしいと、繰り返し、繰り返し、しっこく願ったといわれています。役人たちはその姿に、ほとほとあきれ果て、ついにこの2人にも縄をかけたと思われます。 また役人たちも、彼らの持っていた財布の路銀に目を付けたのかもしれません。いずれにしても、彼らは喜んで持っていた路銀を差し出し、自ら進んで縄を受け、殉教の恵みの中に加わり、彼らは26人となりました。 この2人も自分から進んで「殉教」という十字架を、喜んで選んだのでした。 それは、彼ら自身の「選び」だったのです。 どこで2人が加わったのかは、はっきりしませんが、彼らが下関に着いた時には、殉教者たちは26人になっていました。
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2018年05月26日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

「招待される者は多いが、、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節)
京都と大阪で捕らえられた24人は、戻り橋を渡り、長崎への殉教の旅が始まります。その道中で2人が加わり26人となります。 その2人のうちの1人は、青年のペトロ助四郎でした。彼は、京都にいたオルガンティの神父が、3人のイエズス会士の世話のためにと付き添わせたのです。彼は道中での必需品を差し入れるための路銀を携えていましたが、我が身も顧みずに奉仕に努めていました。 もう一人は、京都のフランシスコ会士のもとにいた伊勢の大工であったフランシスコ吉です。彼はフランシスコ会士をはじめ、24人の殉教者たちが、京都、大阪、堺の町々を引き回されたときから、長崎に護送される道中の間もずっと、彼らの事を慕い続けて、身の回りの世話をし続けたのです。



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2018年05月25日

五  選び2−「戻り橋」

「戻り橋」
彼らは戻らず渡ったのです。そして、彼らの天国への殉教の旅が始まったのです。彼らにとって、主とともにいる喜びがあまりにも大きかったので、それを失うことの方が、この地上で受ける肉体への苦痛よりも、つらかったのでしょう。殉教者として主が選んでくださった、この素晴らしい恵みを捨ててしまうことなど、彼らには考えることはできなかったのでしょう。確かに、主は彼らとともにおられたのです。そして、その共にいてくださる主を、彼らは選んだのです。それは彼らにとって、当たり前の選択だったのです。  私も結婚してすぐに、妻と共にこの「戻り橋」に行きました。そして二人でこの橋を渡ったのです。それは、私たち夫婦の神様への信仰告白でした。「神様が与えてくださった召しを選んでいきます。この素晴らしい選びを捨てて、もう決して戻ることはしません」という私たちの主への告白だったのです。
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2018年05月24日

五  選び2−「戻り橋」

「戻り橋」
1月3日、上京一条の辻に24人は連れ出され、そこで左の耳たぶをそがれます。 実はこの時、彼らには、殉教から逃れることができる機会がありました。上京一条の辻に橋があります。その橋を渡る前に、役人たちは24人に向かって言いました。「もしここで、この橋を渡らずに、お前たちが信仰を捨てるなら、耳そぎはもちろん、処刑も免除される。そしてお前たちは全員、許されるのだ。 でも、もしあくまで信仰を捨てないのなら、この橋を渡るその時、そこから、お前たちの死への旅が始まるのだぞ」そう言って彼らを脅したのです。しかし、彼らはその橋を渡りました。喜んでその橋を渡ったのです。そして彼らは耳をそがれ、京都、大阪、堺と町々を引き回されることになりました。彼らは殉教することを、天国への旅を、選んだのです。 この橋は「戻り橋」と呼ばれています。彼らは、この「戻り橋」を戻りませんでした。



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2018年05月23日

五  選び2−「戻り橋」

戻り橋」

 秀吉は、この24人に対して、キリシタンたちが、たくさんいる長崎で処刑することを命じます。彼らの処刑を通して、長崎にいるキリシタンたちをはじめ、人々への見せしめとして、キリシタンたちの信仰を失わせようとしたのです。 まずその手始めに、京都で24人の鼻と両耳をそぎ、惨めになった彼らの姿を 大阪、堺、京都などの主な町々で引き回せと命令しました。 ししかし、キリシタン大名と親交のあった当時の京都奉行の石田光成が、秀吉に彼らの減刑を申し出、左の耳たぶを切るだけで許されました。
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2018年05月22日

五  選び2−「戻り橋」

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節) 

 

 二十六聖人が、最初に捕らえられたのは、京都と大阪の教会でした。最初、彼らは24人でしたが、長崎に向かう道中で身の回りの世話をするために付き人としてついてきていたペトロ助四郎とフランシスコ吉が殉教者の中に加わり、26人となります。 最初に捕まった24人は、6人のフランシスコ会士であった外国人神父と 3人の日本人イエズス会士、それに15人の日本人信徒(キリシタン)でした。彼らは伝道士や伝道士見習いはもとより、元僧侶、武士や商人など、いろんな立場と職業の人たちでした。その中には3人の子どもも 含まれていました。 ただ、この最初の殉教者の中には、女性はふくまれていませんでした。 もちろん、この後、多くの女性たちが殉教していくことになりますが・・・。

 
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2018年05月21日

四  選び1−マチヤス  

神を選んだマチヤス

 そしてその彼を、神も選ばれたのです。彼は誰かの強制や押し付けではなく、自らの意志をもって、殉教という道を選び、神も彼を殉教者として選ばれたのです。神によって、彼は殉教者の一人として選ばれ、受け入れられたのです。 確かに、神さまは、神を選ぶ者を、選んでくださるのです。  今もって、彼の生誕地も年齢も受洗日も分かっていません。 しかし彼の名は、天にしっかりと刻まれていることでしょう。この後、殉教していった多くの名も知られていないクリスチャンたちとともに、天に間違いなく、彼の名は書き記されているのです。
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2018年05月20日

四  選び1−マチアス

神を選んだマチヤス
 全く別人の、しかし洗礼名が同じマチヤスが役人の前に出てきたのです。頭数をそろえなければいけない役人は、このマチヤスを見て、料理人のマチヤスを捜そうともせず、お前でいいと、喜んでこの男を捕まえたのです。こうして彼は、捕縛吏の役人たちに、受け入れられました。 そしてそれは、殉教者の中に加えられたことを意味しました。もちろん、マチヤスもそのことを知っていました。知っていて、彼は殉教者の中に自らを委ね、殉教者となることを選んだのです。そしてその彼を、神も選ばれたのです。 彼は誰かの強制や押し付けではなく、自らの意志をもって、殉教という道を選び、神も彼を殉教者として選ばれたのです。神によって彼は殉教者の一人として選ばれ、受け入れられたのです。 確かに、神さまは、神様を選ぶ者を、選んでくださるのです。今もって、彼の生誕地も年齢も受洗日も 分かってはいません。しかし彼の名は、天にしっかりと刻まれていることでしょう。この後、殉教していった多くの名も知られていないクリスチャンたちと共に、天に間違いなく、彼の名は書き記されているのです。
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2018年05月19日

四 選び1−マチヤス

神を選んだマチヤス

 捕縛吏の一隊が、秀吉の命令で京都の教会に足を踏み入れた時、捕縛吏たちの手には捕縛者名簿が握られていました。 彼らはその名簿に従って、一人一人の名前を読み上げながら、返答する信徒を確認し、人定めをしていました。「マチヤス」「マチヤス」捕縛吏が何度もマチヤスの名を呼びました。しかしマチヤスは答えません。 このマチヤスは料理人でした。ですからマチヤスはこの時、買い物に行っていたのだという人もいますが本当のところは分かりません。そうかもしれませんし、いたけれども恐ろしくて答えられなかったのかもしれません。料理人のマチヤスの答えは、無かったのです。それでも「マチヤス」「マチヤス」としっこく連呼する役人に、一人の青年が捕縛吏の前に進み出て、答えました。「私の名もマチヤスです」と。彼の洗礼名も同じマチヤスだったのです。
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2018年05月18日

四  選び1−マチアス

殉教のきっかけーサン・フェリペ号

1596年10月、一隻の巨大なガレオン船が四国の土佐沖に現れ、裏戸の桂浜に座礁しました。これはスペインの商船サン・フェリペ号でした。 そしてこの事件がきっかけとなって、時の権力者、太閤秀吉はフランシスコ会士を中心に京都と大阪にいた24人のキリシタンたちに逮捕命令を出したのです。後に、この24人は26にんになります。
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2018年05月17日

四  選び1−マチヤス

 「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節)

1597年2月5日、西坂の丘に建てられた26本の十字架につけられて、日本最初の殉教者「日本26聖人は」殉教していきました。 彼らが京都と大阪で捕らえられてから、ひと月以上の月日が過ぎていました。 なぜ彼らが選ばれ、どうして突然、時の権力者、太閤秀吉が26人に殉教を命じたのか。それに関しては多くの人々が歴史を研究し、いろんな考察がなされています。ここでは、それは本題ではないので論じません。 ただ確かに言えることは、彼らはキリストを唯一の救い主と信じ、イエス・キリストを喜んで人々に伝えていたということです。それゆえに捕らえられてしまいました。しかし彼らは、それを喜んでいました。そして彼らは、たとえ殺されても、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、語ることを止めることはしませんでした。彼らは、この地上での命より、キリストとともにいることの喜びの方が、はるかに勝っていることを知っていたのです。 これから読者の皆さんと共に、26人の足跡をたどりながら、彼らの殉教への旅に出たいと思います。
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2018年05月16日

三  序章3ーエンディングストーリー

 二十六聖人をはじめとする殉教者たちの物語りは、その時、完結します。 なんという恵みでしょうか。 神様は私たちを通して、最終章である「リバイバル」を書いて下さるのです。 この終わりの時代に生きる私たちに最終章、エンディングストーリーを書く使命を与えてくださったのです。 さあ、このエンディングストーリーを書くために、私たちはこれから二十六聖人をはじめとする殉教者たちに目を向けていきましょう。彼らを通して、主が私たちに語ってくださる御声に耳を傾け、彼らの殉教への歩みを通して語られるメッセージに、心を開いて学びましょう。 これから始まる魂の大収穫、大いなる刈り取り、リバイバルに備えるために。 
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2018年05月15日

三  序章3ーエンディングストーリー

 殉教者たちの物語は、まだ終わってはいません。完結していないのです。 殉教者たちの血の報いである魂の大収穫、リバイバルがこの国を訪れるその時、彼らの物語は完結します。 私たちが今、二十六聖人をはじめとする殉教者たちの足跡をたどり、彼らから神さまの語りかけを受けようとしていることの目的は、ここにあります。 命をかけてまで主に従い通した殉教者たち、彼らから、そのバトンをしっかり受け継いで、この終わりの時代を私たちは走り抜くのです。 
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2018年05月14日

三  序章3ーエンディングストーリー

 殉教者たちの物語は、まだ終わっていません。完結していないのです。 殉教者たちの血の報いである魂の大収穫、リバイバルがこの国を訪れるその時、彼らの物語は完結します。 私たちが今、二六聖人をはじめとする殉教者たちの足跡をたどり、彼らから神さまの語りかけを受けようとしていることの目的は、ここにあります。 命を懸けてまで従い通した殉教者たち、彼らから、そのバトンをしっかりと受け継いで この終わりの時代を 私たちは走りぬくのです。 
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2018年05月13日

三  序章3−エンディングストーリー

 キリストを愛して命をささげていった日本二十六聖人、そして彼らに続いて殉教していった数多くの殉教者たち。 私たちは今から彼らの足跡をたどり、彼らから多くのことを学びたいと思います。しかし、それは単なる歴史の勉強をしようとしているのではありません。  世界中で、今もキリストのゆえに殉教している人々は数多くいます。キリストが十字架で私たちの罪を贖い、復活されて救いを完成してくださった時から、現代に至るまで、キリスト教は迫害と殉教の歴史と共に成長し発展してきたといっても過言ではないでしょう。多くの殉教者たちの血と祈りの上に、いつも大きなリバイバルが訪れ、そしてその国や地域は、キリストに捕らえられ、変えられてきたのでです。 しかし日本においては二十六聖人以来、これほどの多くの殉教者を出しながら、いまだにリバイバルを見ていません、殉教者たちの血の報いと祈りの答えである魂の大収穫、リバイバルは、まだ日本には訪れていないのです。 主の特別な計画が日本にはきっとあるのでしょう。
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2018年05月12日

二  序章2

 天に帰る時が来て、召されたならば、もちろんキリスト教式で葬儀をなし、法事などはするわけはありません。そうすると、神社もお寺も、収入が大幅に減ってしまいます。 リバイバルが起こって 真のクリスチャンが爆発的に増えたなら、お寺や神社は当然、今までのようには、お金は入ってこなくなります。その時彼らは決して黙ってはいないでしょう。必ず、大義名分を言いながら、迫害が始まってくることでしょう。 国家的なレベルでの迫害が、再び日本で起こらないとは、誰も断言できないのです。 私はこれから日本最初の殉教者である「日本二十六聖人]の足跡を読者の皆さんとともにたどりながら、過去に起こった殉教の歴史を、ただ単に学びたいと思っているのではありません。  この終末の兆候を示し始めている現代とという時代を生きている私たちが、 来るべきキリストのいのちの中を生きるために必要なことを、彼らの殉教の歩みを通して、共に主から教えられたいのです。
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2018年05月11日

二  序章2

 しかし、日本の歴史を調べてると、この国はキリストを信じる者たちに対して決して寛大な国ではなかったことがわかります。 いやむしろ、殉教者の数においても、殉教の内容、つまり殺され方や迫害や拷問のされ方においても、世界有数の殉教国と言えるのです。日本で殉教した人の数は、少なく見積もっても30万人はいます。多く言う方は100万人を超えるといいます 日本は確かに、キリスト教には、寛容ではありませんでした。今はクリスチャンの数が少なく、社会的な力も経済力も影響力もないので、命にかかわるような迫害はありませんが、やがてこの国にリバイバルが訪れ、大群衆をなして人々が教会の礼拝に殺到し、何千万もの人々がボーン・アゲイン(新生)をして真のクリスチャンになったならば、必ず迫害が再び始まってくるでしょう。 真にボーン・アゲインしたクリスチャンならば、初詣でには行かず、教会の元旦礼拝に行くはずです。七五三の時も、車を買った時も、厄年の時も、神社に行ってお祓いなどはしないでしょう。 

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