2017年07月07日

浦上4番崩れ4

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2017年07月05日

浦上四番崩れ3

その日
7月15日の午前11時、プロシア領事が、
翌16日にはフランス領事レックスが、
その翌17日は、ポルトガル領事ロレイロが
奉行所を訪ね、
抗議をしました。

その数日後に来日した
アメリカ公使ワルケンブルグも
奉行に抗議し、
牢内にいる信徒たちを
見舞いました。

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2017年07月04日

浦上四番崩れ2

キリシタンであるという
信仰の理由だけで、
このような捕縛投獄が行われたことは、
居留外国人たちに
大きな衝撃を与えました。

そして、
この事件は、
その日のうちに
外交問題となりました。
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2017年06月27日

浦上四番崩れ

1867年7月15日の早朝3時頃、
大雨をついて
安藤矢之助の指揮する捕手たちが、
数隊に分かれて
浦上の秘密聖堂や
主だった信者の家を襲い、
踏み込みました。

秘密聖堂は
散々荒らされ、
68人が捕らえられて
桜町牢に入れられました。

これが「浦上四番崩れ」
と言われている
大迫害の発端です。

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2017年06月23日

自葬問題8

これで、ついに
浦上村よ人々が
キリシタンであることが、
明るみに出たのです。

そこで長崎奉行所では、
たくさんの間者を
浦上に潜入させ
名簿を作り、
主だった指導者たちのことや
4ヶ所の秘密聖堂の坪数、
間取りまで詳しく調べで
させていました。
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2017年06月21日

自葬問題7

庄屋があわてたのも無理はありません。

「それでは聖徳寺との縁を
切りたい者の名簿を出せ」と、
言ったところ、

本原郷400戸
家野郷100戸あまり、
中野郷100戸というように、

元来の仏教徒と
裕福ではあるが、
信仰心の薄かったキリシタン
30戸だけを除いて、

村人のほとんど全部が
名を連ねたのです。
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2017年06月13日

自葬問題6

これは大変なことでした。
なぜなら死人が出たとき、
坊さんを呼んで
お経を上げるというのは、
祖法(徳川家康、秀忠、家光三代の間に
決まった背くことのできない
大事なおきて)だったのに、
それを「嫌です」
と、言ったのですから。
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2017年06月11日

自葬問題5


庄屋は
「いまの坊さんが嫌いなら、
お坊さんを代えてやる」と
言いましたが、

「どなたであろうと
坊さんは要らないのです。
お寺とは縁を切りたいのです」
と答えました。

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2017年06月08日

自葬問題4

その問題になっている
真っ最中の4月14日、
平の三八の母たかが死にました。

今度は庄屋が気を利かせて
坊さんを連れて来ましたが、
家のものが承知しないで、
お経をあげるのを断わり、
自葬しました。
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2017年06月07日

自葬問題3

翌6日、
平の宿の久蔵が
死んだときには、

聖徳寺にも知らせずに
自葬してしまいました。

それを知った聖徳寺が、
庄屋に訴えて問題になってしまいます。
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2017年06月06日

自葬問題2

1867年4月5日、
本原郷の茂吉が死んだ時、
これまで通り
聖徳寺の坊さんを呼んできましたが、
使いのものが途中で、
わざとつまらぬことを言って
坊さんを怒らせたので、
坊さんは帰ってしまいました。

それでこれ幸いと、
茂吉の家では
坊さんなしで
自葬してしまったのです。

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2017年06月05日

自葬問題

当時は、
死人があると
必ず檀那寺の坊さんを招いて
読経を頼み、

坊さん立ち会いのもとで
納棺することになっていました。

しかし、
神父から
指導を受けるようになると、
このような表面仏教という態度を
清算しなければいけなくなったのです。

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2017年06月03日

役人の目を盗んで4

一方では、
大浦天主堂の屋根裏部屋に、
村々の代表や青年たちを集めて、
いろいろと教えました。

そして
伝道士として村へ帰しました。

こうして彼らの信仰は、
日ごとに強められ、
燃やされていったのです。
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2017年06月02日

役人の目を盗んで3

プチジャン神父は、
ちぢれ髪やひげを剃り落とし、
シェロの毛を黒く染めて作った
かつらをかぶります。

そして
日本の農民の着物を着て、
わらじを履いて
角帯を締め、
手ぬぐいをほおかぶりして
日本人に化けるのです。

そうやって、
夜中に
山の中の小道を案内されたり、
小舟に乗せられたりして、
村や島々を回りました。

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2017年06月01日

役人の目を盗んで2

そこで、
プチジャン神父は
信者たちに、
天主堂に来るのを
遠慮するように言い、
自分の方から出て行って
信者の代表と会うことにしました。

また、信者の
隠れている村々や
島々へも
出かけることにしたのです。
posted by 日本教会史 at 21:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

役人の目を盗んで

それでも信者たちは、
役人の目を盗んでは、
夜となく昼となく、
天主堂に入りこんでオラショを唱え、
神父たちと話をするのでした。

それが役人の目にあまりひどく映ると、
新しい迫害が起こるかもしれません。
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2017年05月29日

キリシタンの復活

7代250年間待ち続けていた神父が、
ついにやってきたのです。

イザベリナゆりたちが
フランス寺で会った異人が
その神父であるということは、
その日のうちに
浦上中に知れわたり、
浦上の全村民が
知るところとなりました。

するとその翌日から、
浦上の信者たちは続々と、
早朝から天主堂へ
来るようになりました。

しかし、
日本はまだ、
厳重な禁教下にあったので、
役人たちの警戒もまた、
急に厳しくなりました。

posted by 日本教会史 at 16:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

浦上信徒発見16

こうして、
浦上のキリシタンが、
発見されたのです。

そして、
それに引き続いて、
長崎県だけでも数万人もの
キリシタンが潜伏していることが、
明らかになりました。

1614年1月の大禁教令から251年にわたる、
厳しい迫害と殉教の期間を
潜伏し続けたキリシタンは、
ついに復活したのです。

これは
他国に類を見ない出来事として、
世界宗教史にでも
注目されています。
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2017年05月27日

浦上信徒発見15

彼らが
更に神父に質問しようとすると、
他の日本人が
天主堂に入って来ました。

その途端、
神父の周りにいた彼らは、
たちまちぱっと
八方に散り散りになりましたが、

すぐまた帰ってきて
「今の人たちも村の者で
私たちと同じ心でございます。
ご心配いりません」
と申しました。

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2017年05月26日

浦上信徒発見14

あなたさまも『悲しみ節』を守りますか」
「そうです。
私たちも守ります、
今日は『悲しみ節』の17日めです」

神父は、
「悲しみ節」という言葉をもって
「四旬節」(復活祭前の40日)を
言いたいのだと悟ったのです。

悲しみ節の期間、
迫害下の潜伏の中で
キリシタンたちは、
断食と祈りを守り続けてきたのです。
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2017年05月25日

浦上信徒発見13

確かに彼らは、
イエス・キリストを信じて、
神父の来るのを
250年間待ち続けていたのです。

彼らの中の一人が、
さらに申しました。
「御主(ゼスス)さまは…
33歳の時、
私たちな魂の救いのために
十字架にかかって、
お果てになりました。

ただ今、
私たちは『悲しみ節』にいます。
posted by 日本教会史 at 21:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

浦上信徒発見12

ところが先日、
ある神父の方が、
こう言われるのを聞きました。

「みな、
『サンタ・マリアのご像はどこ』
という言葉ばかり強調する。

でも大切なことは、
彼らはこの像の前に来て、

御子ゼススさまを
探していたことです。

彼らはイエスさまを
探していたのです。

そのことを忘れてはならない」

posted by 日本教会史 at 11:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

浦上信徒発見11

神父が聖母像の前に
案内すると、
みんなが集まってきて
「本当にサンタ・マリアさまだよ。
御子ゼススさまを
抱いていらっしゃる」と
言うのでした。

プロテスタントの牧師である私は、
彼らがマリア像を探していたことに、
つまずきを覚えていました。
posted by 日本教会史 at 22:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

浦上信徒発見10

この時、
250年に渡って
地下に潜伏していた
日本のキリシタンたちが、
再び復活したのです。

驚きながら
立ち上がろうとする神父に、
その婦人は
畳み掛けるように聞きました。
「サンタマリアのご像はどこ」
posted by 日本教会史 at 23:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

浦上信徒発見9

神父は驚いて聞き返しました。
「本当ですか。
どこのお方です。あなたがたは」

「私たちは皆、
浦上の者でございます。
浦上ではほとんど皆、
私たちと同じ心を持っております」

この言葉を耳にした時の
プチジャン神父の驚きと喜びは、
今の私たちには、
到底察し得ないでしょう。
posted by 日本教会史 at 06:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする