2018年07月21日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物を捧げなさい」(マタイ福音書5章24節)

殉教への旅の中で、最も険しい俵坂峠を越えたところで、日本の将来を思って涙を流したペテロ・バプチスタ神父、 その涙の祈りの答えが私たちなのです。
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2018年07月20日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

宣教師魂ー魂への情熱

 わたしはペテロ・バプチスタ神父が、日本の将来を思って、思わずも泣いてしまったのを見て深く感動しました。 しかし、それにも増して、彼が流れていた涙を、まだキリストを知らない人につまづきを与えたくないと、止めたことに、もっと深い感動を覚えるのです。 これはまさに宣教師魂、これぞまさに魂への情熱。 私も彼が持っていたこのスピリットを、主から頂きたいと、心から祈らずにはいられません。
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2018年07月19日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

「ペテロ・バプチスタ神父。役人たちや見物人たちが、あなたの涙を見て、死ぬのが怖いから泣いているのだと全く曲解して、あなたの事を、ひきょう者とやじっています。私は、あなたが、なぜ泣いておられるのかがわかります。でも彼らには、分からないのです。神父、どうか彼らには、涙を見せない下下さい。誤解されてしまいますから、どうか涙を見せないでください」 パウロ三木は、ペテロ・バプチスタ神父にたのみました。 するとペテロ・バプチスタ神父は、それまで流していた涙を止めて、冷静さを取り戻したのです。まだキリストを知らない人に、つまづきを与えたくないという思いが、彼の涙を止めたのです。
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2018年07月18日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

役人たちの誤解

 ところが、ペテロ・バプチスタ神父のこの様子を、ニヤニヤ笑いながら遠くから眺めている人がいました。役人たちでした。役人たちは、部下にニヤニヤ笑いながら耳打ちしたのです。「見てごらん。珍しい神父の涙。あの高名なバテレンも、いよいよ死ぬ日が近づいたので、十字架にかかるのが恐ろしくて、泣いているわい」 役人たちが意地の悪い皮肉笑いを浮かべながら。うわさし合っているのを、バプテスマ神父は知りませんでした。しかし武士出身のパウロ三木が、この役人たちのささやき合っている声を、聞いたのです。彼はバプチスタ神父が、なぜ泣いているかを知っていたので、たまりかねて神父に近づき、神父に言いました。
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2018年07月17日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

彼が泣いたのは、この国、日本の将来を思って泣いたのでした。  この国はいったいこの後、どうなっていくのだろう。迫害の嵐は、今、吹き始めたばかりで、もっと激しくなるだろう。そうなると、この国の宗教は、どうなってしまうのだろう。この国の、まだキリストを知らない人たちは どうして信じることができるだろう。 クリスチャンも、信仰を持ち続けることが困難になるだろう。 そう思うと、彼の目から、とめどなく涙がでてきたのです。
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十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

「バプチスマののヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイの福音書11章12節)

 26人の殉教者たちの殉教への旅の中で、最もつらく険しかった俵坂峠。 しかしその峠を越えた時、眼下に広がる美しい大村湾を見て、彼らは天国を思いながら深い喜びに包まれたのです。 26人がそこでしばらく休憩をしていた時、リーダーのペテロ・バプチスタ神父は、岩の上に腰を下ろしながら、思わずも涙が、ほおを伝って流れてきたのです。 もちろん彼が涙を流したのは、自分の命が惜しいからでも、死が怖いからでもありませんでした。彼が泣いたのは、この国、日本の将来を思って泣いたのでした。
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2018年07月16日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼らの涙の祈りの答え

 私は何度も彼杵に行きました。そこに行くたびに、主は私に、静かに、でもはっきりと語ってこられます。「あなたは彼の涙の祈りの答えである」と。 これから、この日本にも、大いなる魂の収穫と刈り取りが始まってくることでしょう。 終末における大きなリバイバルの働きが、訪れてきます。 それは、彼らの命をかけた涙の祈りの答えであることを、忘れてはいけません。かってこの日本のために、国も、家族も捨てて、福音を携え宣教に来て、喜んで殉教していった人々がいたことを、私たちはしっかりと、心に刻んで覚えておくべきです。 しかし、遠くで、このペテロ・バプチスタの涙を、何もわからないで意地悪い皮肉笑いをしてみている者たちがいました。役人たちでした。 
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2018年07月15日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の海

 かって、日本にこのような宣教師(神父)がいたのです。 死を前にして、殉教を前にして、自分の事や自分の母国のことも、そこに置いてきた家族の事も忘れて、この日本の宣教の働きのために、涙を流さずにはおれなかった宣教師(神父)が。 日本に必ずリバイバルがやってきます。 神はペテロ・バプチスタ神父の涙を覚えていらっしゃいます。 彼の祈りを心に刻んでおられます。 そしてその祈りの答えとして、私たちを用いてくださるのです。
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2018年07月14日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の海

「いま自分は、死地へ向かって進んでいる。イエス・キリストを伝えたがために、自分は殺される。そのことは、この上もない喜びである。しかし、しかしこの国の宣教は始まったばかりなのに、それを受け継ぐ同僚までもが、共に死んでいくのだ。この国の宣教の働きは、一体どうなってしまうのだろう。自分が全身全霊を捧げたこの働きが、ガラガラと崩壊していく」 彼は自分の命のために泣いたのではありませんでした。自分の生まれ育った国や家族のために泣いたのでもありませんでした。彼が涙を流したのは、彼のほおをとめどなく涙が流れて止まらなかったのは、この国、そうです。私たちのこの国、日本のためだったのです。彼は私たちの国、この日本の将来を思って泣いたのです。日本のキリシタンたちが、これから通るであろう苦しみを思って泣いたのです。
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2018年07月13日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の海

美しい穏やかな大村湾を眺めながら、低い声で一同は、今までの事をあれやこれやと話していました。そのとき、26人のリーダーのペトロ・バプチスタ神父は、みんなから少し離れたところにある岩の上に腰を下ろして、静かに黙想をしていました。 彼は、日本に来てからの筆舌に尽くしがたい3年間の苦難と戦いの事を、思い返していたのです。京都の病院に残してきた患者たちの食べるコメがないことが、殉教を前にしても、ふっと思いだされました。 仲間たちと、ともにしてきた日本の宣教の開拓は、一体どうなるのだろう。 しばらく思いめぐらすうちに、ペテロ・バプチスタ神父の目から涙が、とめどなく流れてきたのです。
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2018年07月11日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

 しかし、その最も苦しい峠を越えた時、目の前にとても美しい大村湾が広がっていたのです。彼らはその美しさに感動を覚えながら、やがて帰っていく 天国に思いをはせていました。その時、とても深い喜びが、彼らの心の奥底からわき上がってきたのです。 大村湾を眼下に見ながら、彼らは峠を下り、彼杵(そのぎ)の港にたどり着きました。2月4日、彼らが西坂の丘で殉教する前日の夕方の事でした。彼らは、ここから時津へ舟で連れられて行くのです。この彼杵の港で、しばしの休憩の時が持たれました。
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十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコの福音書8章34節)

 26人の殉教者たちの殉教の旅は、終わりに近づいてきました。佐賀の山本村から、とても険しい俵坂峠を彼らは黙々と歩き続けました。すれ違う人もなく、彼らのひと月にわたる殉教への旅の中で最も苦しい時だったと思います。
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2018年07月10日

十三  険しい峠ー俵坂峠

美しい風景 大村湾

 26人の殉教者たちは思いました。「地上でさえ、このような苦しい登り道の峠の後に、こんなに素晴らしい景色に出会うことができて、こうして慰めを与えられる。ましてこの殉教の旅を終えって天の家に帰る時、どんなに素晴らしい風景が私たちを待っていることだろう」 そう思うと、彼らの内側から喜びと賛美が、再びわき上がってきたのです。
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2018年07月09日

十三  険しい峠ー俵坂峠

美しい風景 大村湾

 その厳しくつらい俵坂峠を歩き、山を越えて、峠にたどり着いた時、目の前に大村湾が一望できました。 眼下に広がるその大村湾の美しさに感動を覚えながら、そこで休憩をしました。 子の大村湾は、イスラエルのガリレア湖ととても似ていて、まるで湖のようです。その素晴らしい景色を見ていると、それまでの疲れや苦しみが消えていくのを覚えました。 


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posted by 日本教会史 at 03:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

十三  険しい峠ー俵坂峠

険しい峠

 26人の殉教者たちもさすがに、これまでの長旅の疲れが出てきたようでした。もう間もなく殉教する長崎に入るという直前に、最も厳しいつらい道が待っていたのです。 山本から彼杵までの道は、峠となっていました。それはそれは、とてもとても険しい峠道が続くのです。この峠は、俵坂峠といいます。 その峠を歩いている間、ほとんど人とすれ違うことも、見かけることもなく、彼らは、ただひたすら黙々と静かに、その苦しい登り道を、歩いて進んでいったのです。京都から歩きながら、説教し続けたていたパウロ三木も、通り過ぎる人もなく、険しい峠でただ息を切らしながら、説教もできずに黙々と歩き続けたのです。  彼らにとって、この殉教への旅の中で最もつらく厳しい時でした。

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2018年07月07日

十三  険しい峠ー俵坂峠

難渋を極めた道

とはいえ2月2日に山本村を出てから、彼らの旅は厳しさを増し加えていきます。 山本から伊万里、武雄と26人の一行はひたすら黙々と歩き続けました。中には、あまりにも体が弱って歩けなくなったため、かごに乗せて山越えをした者もいたほどです。 この辺りは、現在の佐賀に当たりますが、当時は肥前の国でした。九州で唯一キリシタンにならなかった国でもあります。この肥前の国は、以前からキリシタンたちと教会を目の敵にしていました。 芝居や映画でも有名な化け猫騒動の鍋島藩の領地だったからです。  ここから26人はさらに柄崎(現在の彼杵そのぎ)に向かって行きました。
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2018年07月06日

十三  険しい峠ー俵坂峠

難渋を極めた道

 1月3日に、京都の耳そぎで始まった殉教の旅も、まもなく終わろうとしていました。 ひと月近く続いた天国へのこの旅は、冬のさなかでもあり, 道はぬかるみ、非常な難渋を極めたようです。しかし26人の心の中には、イエス・キリストへの信仰と愛があふれていました。天国への希望が、満ちていました。ですから、体は弱り果てていても、彼らの表情は喜びに満ちて明るかったのです。
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2018年07月05日

十三  険しい峠ー俵坂峠

 博多に着いた時には、殉教者の数は26人になっていました。途中で、フランシスコ吉とペテロ助四郎も、殉教者の中に加わったからです。 博多から佐賀の唐津に行き、山本村に着きました。 ここは12歳の最年少ルドビゴ茨木が、キリストを選んだ場所です。 今もそこで祈ると、まるで天が降りてきたような臨在が注がれてきます。 そこから、彼らは、この旅で最もつらい峠へと、向かって行ったのです。
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2018年07月04日

十三  険しい 峠ー俵坂峠

 京都と大阪で捕らえられた24人が、京都一条の戻り橋を渡り、片方の耳たぶをそがれ、京都・大阪・堺の町を引き回されて、殉教への旅が始まります。 この旅は、兵庫、明石、姫路、赤穂、さらに岡山、尾道、三原と続き、ここにあった三原城の牢獄で、15歳の少年トマス小崎が、見張りの目を盗みながら 母に手紙をしたためます。 今は、そこには城跡しかありませんが、祈るにはとても良いところです。 一行は、そこで一夜を過ごし、さらに下関、博多と殉教に向かって旅を続けました。
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2018年07月03日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 唐津では快く旧友の願いを聞き入れた半三郎も、時の権力者秀吉を恐れ、その機嫌を損ねては自分の立場が危うくなると、約束を簡単に反故(ほご)にしてしまいます。 また、キリシタンの町に入り、多くのキリシタンたちが、囚人たちを取り戻すために、今でいうテロ行為のようなことをしないかと恐れたのです。 まるで自分の立場を守るために、イエスを群集に渡し十字架につけたピラトのように、半三郎は、秀吉を恐れ、自分の立場を守るために、殉教者たちの願いを退けたのです。 しかし、殉教者たちが失ったものは、何もありませんでした。  彼らは西坂の丘で、喜びに満たされて、天国へ勝利の凱旋をしたのです。
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2018年07月02日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎について、いよいよ死刑執行の日が迫ってきたとき、今までの約束を翻します。彼は、約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあづかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のライ病院にこさせるがよい」

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十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎について、いよいよ死刑執行の日が迫ってきたとき、今までの約束を翻します。彼は、約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあづかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のライ病院にこさせるがよい」

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十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎について、いよいよ死刑執行の日が迫ってきたとき、今までの約束を翻します。彼は、約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあづかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のライ病院にこさせるがよい」

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十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎について、いよいよ死刑執行の日が迫ってきたとき、今までの約束を翻します。彼は、約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあづかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のライ病院にこさせるがよい」

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十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い

 ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎について、いよいよ死刑執行の日が迫ってきたとき、今までの約束を翻します。彼は、約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあづかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のライ病院にこさせるがよい」

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