2019年06月07日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

「バプチスマのヨハネの日 以来 今日まで、天の御国は 激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちが それを奪い取っています」(マタイの福音書11章12節)
26人の殉教者たちの殉教への旅の中で、最もつらく険しかった俵坂峠。しかし、その峠を越えた時、眼下に広がる美しい大村湾を見て、彼らは天国を思いながら深い喜びに包まれたのです。26日人がそこでしばらく休憩をしていた時、リーダーのペテロ・バプチスタ神父は、岩の上に腰を下ろしながら、思わずも涙が、ほおを伝って流れて来たのです。





















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2019年06月06日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

これから、この日本にも、大いなる魂の収穫と刈り取りが始まってくることでしょう。終末における大きなリバイバルがの働きが、訪れてきます。それは、彼らの命をかけた涙の祈りの答えであることを、忘れてはいけません。かってこの日本のために、国も、家族も捨てて、福音を携え宣教に来て、喜んで殉教していった人々がいたことを、私たちはしっかりと、心に刻んで覚えておくべきです。
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2019年06月05日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼らの祈りの答え
私は何度も、彼杵にいきました。そこに行くたびに、主は私に、静かに、でもはっきりと語ってこられます。「あなたは彼の涙の祈りの答えである」と。
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2019年06月04日

十四  ペトロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
死を前にして、殉教を前にして、自分のことや自分の母国のことも、そこにおいてきた家族のことも、この日本の宣教の働きのために、涙を流さずにはおれなかった宣教師(神父)が。日本に必ずリバイバルがやってきます。神はペテロ・バプチスタ神父の涙を覚えていらっしゃいます。彼の祈りを心に刻んでおられます。そして、その祈りの答えとして、私たちを用いてくださるのです。
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2019年06月03日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
彼が涙を流したのは、彼のほおをとめどなく涙が流れて止まらなかったのは、この国、そうです、私たちのこの国、日本のためだったのです。彼は私たちの国、この日本の将来を思って泣いたのです。日本のキリシタンたちがこれから通るであろう苦しみを思って泣いたのです。かって、日本にこのような宣教師(神父)がいたのです。
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2019年06月02日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
しばらく思いめぐらすうちに、ペテロ・バプチスタ神父の目から涙が、とめどなく流れてきたのです。「いま自分は、死地へ向かってすすんでいる。イエス・キリストを伝えたがために、自分は殺される。そのことは、この上もない喜びである。しかし、しかしこの国の宣教は始まったばかりなのに、それを受け継ぐ同僚までもが共に死んでいくのだ。この国の宣教の働きは、一体どうなってしまうのだろう。自分が全身をささげたこの働きが、ガラガラと崩壊していく」彼は自分のために泣いたのではありませんでした。自分の生まれ育った国や家族のために泣いたのでもありませんでした。
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2019年06月01日

十四  ペトロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

仲間たちと、ともにしてきた日本の宣教の老若男女の目から涙が、とめどなく流れてきたのです。「いま自分は、死地へ向って進んでいる。イエス・キリストを伝えたがために、自分は殺される。そのことは、この上もない喜びである。しかし、しかしこの国の宣教は始まったばかりなのに、それを受け継ぐ同僚までもが、共に死んでいくのだ。この国の宣教の働きは、いったいどうなってしまうのだろう。






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2019年05月31日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
美しい穏やかな大村湾を眺めながら、低い声で一同は、今までの事をあれやこれやと話していました。そのとき、26人のリーダーのペテロ・バプチスタ神父は、みんなから少し離れたところにある岩の上に腰を下ろして、静かに黙想をしていました。彼は日本に来てからの筆舌に尽くしがたい3年間の苦難と戦いの事を、思い返していたのです。京都の病院に残してきた患者たちの食べるコメがないことが、殉教を前にしても、ふっと思い出されました。
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2019年05月29日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

しかし、その最も苦しい峠を越えた時、目の前にとても美しい大村湾が広がっていたのです、彼らはその美しさに感動を覚えながら、やがて帰っていく天国に思いをはせていました。その時、とても深い喜びが、彼らの心の奥底からわき上がってきたのです。大村湾を眼下に見ながら、彼らは峠を下り、彼杵の港にたどり着きました。2月4日、彼らが西坂の丘で殉教する前日の夕方のことでした。彼らは、ここから時津へ舟で連れられて行くのです。この彼杵の港で、しばしの休憩の時が待たれました。
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2019年05月28日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコの福音書8章34節)
26人の殉教者たちの殉教への旅は、終わりに近づいてきました。佐賀の山本村から、とても険しい俵坂峠を彼らは黙々と歩き続けました。すれ違う人もなく、彼らのひと月にわたる殉教へのへの旅の中で最も苦しい時だったと思います。
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2019年05月27日

十三  険しい峠ー俵坂峠

26人の殉教者たちは思いました。「地上でさえこのような苦しい登り道の峠のあとに、こんなに素晴らしい景色に出会うことができて、こうして慰めを与えられる。ましてこの殉教の旅を終えて天の家に帰る時、どんなに素晴らしい風景が私たちを待っていることだろう」そう思うと、彼らの内側から喜びと賛美が、再びわき上がってきたのです。
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2019年05月26日

十三  険しい峠ー俵坂峠

美しい風景 大村湾
その厳しくつらい俵坂峠を歩き、山を越えて、峠にたどり着いた時、目の前に大村湾が一望できました。眼下に広がるその大村湾の美しさに感動を覚えながら、そこで休憩をしました。この大村湾は、イスラエルのガリラヤ湖と、とても似ていて、まるで湖のようです。その素晴らしい景色を見ていると、それまでの疲れや苦しみが消えていくのを覚えました。
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2019年05月25日

十三  険しい峠ー俵坂峠

険しい峠
26人の殉教者たちもさすがに、これまでの長旅の疲れが出て来たようでした。もうまもなく殉教する長崎に入るという直前に、最も厳しいつらい道が待っていたのです。山本から彼杵までの道は、峠となっていました。それはそれは、とてもとても険しい峠道がつづくのです。この峠は、俵坂峠といいます。
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十三  険しい峠ー俵坂峠

その峠を歩いている間、ほとんど人とすれ違うことも、見かけることもなく、彼らは、ただひたすら黙々と静かに、その苦しい登り道を、歩いて進んでいったのおです。京都から歩きながら、説教をし続けていたパウロ三木も、通り過ぎる人もなく、険しい峠でただ息を切らしながら、説教もできずに黙々と歩き続けたのです。彼らにとって、この殉教への旅の中で最もつらく厳しい時でした。
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2019年05月24日

十三  険しい峠ー俵坂峠

山本から伊万里、武雄と26人の一行はひたすら黙々と歩き続けました。中には、あまりにも体が弱って歩けなくなったため、かごに乗せて山越えをした者もいたほどです。この辺りは、現在の佐賀に当たりますが、当時は肥前の国でした。九州で唯一キリシタンにならなかった国でもあります。この肥前の国は、以前からキリシタンたちと教会を目の敵にしていました。芝居や映画でも有名な化け猫騒動の鍋島藩の領地だったからです。ここから26人はさらに柄崎(現在の彼杵)に向かっていきました。

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2019年05月23日

十三  険しい峠ー俵坂峠

難渋を極めた道
1月3日に、京都の耳そぎで始まった殉教の旅も、まもなく終わろうとしていました。ひと月近く続いた天国へのこの旅は、冬のさなかでもあり、道はぬかるみ、非常な難渋を極めたようです。しかし26人の心の中には、イエス・キリストのの信仰と愛があふれていました。天国への希望が、満ちていました。ですから、体は弱り果てていても、彼らの表情は、喜びに満ちて明るかったのです。とはいえ2月2日に山本村を出てから、彼らの旅は厳しさを増し加えていきます。
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2019年05月22日

十三  険しい峠ー俵坂峠

今はそこには城跡しかありませんが、祈るにはとても良い場所です。一行は、そこで一夜を過ごし、さらに下関、博多と殉教に向かって旅を続けました。博多に着いた時には、殉教者数は、26人になっていました。途中で、フランシスコ吉とペテロ助四郎も、殉教者の中に加わったからです。博多から佐賀の唐津に着き、山本村に着きました。ここは12歳の最年少の少年ルドビゴ茨木が、キリストを選んだ場所です。今もそこで祈ると、まるで天が降りてきたような臨在が 注がれてきます。そこから彼らは、この旅で最もつらい峠へと、向かって行ったのです。
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2019年05月21日

十三  険しい峠ー俵坂峠

京都と大阪で捕らえられた24人が、京都一条の戻り橋を渡り、片方の耳たぶををそがれ、京都・大阪・堺の町を引き回されて、殉教への旅が始まります。この旅は、兵庫、明石、姫路、赤穂、さらに岡山、尾道、三原と続き、ここにあった三原城の牢獄で、15歳の少年トマス小崎が見張りの目を盗みながら涙ながらに母に手紙をしたためます。
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2019年05月20日

十二  死刑執行人、寺澤半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い
唐津では快く旧友の願いを聞き入れた半三郎も、時の権力者秀吉をを恐れ、その機嫌を損ねては自分の立場が危うくなると約束を簡単に反故(ほご)にしてしまいます。また、キリシタンたちが、囚人たちを取り戻すために、今でいうテロ行為のようなことをしないかと恐れたのです。まるで自分の立場を守るために、イエスを群集に渡し十字架につけたピラトのように、半三郎は秀吉を恐れ、自分の立場を守るために、殉教者たちの願いを退けたのです。しかし、殉教者たちが、失ったものは、何もありませんでした。彼らは西坂の丘で、喜びに満たされて、天国へ勝利の凱旋をしたのです。

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2019年05月19日

十二  死刑執行人、寺澤半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

退けられた最後の願い
ところが、秀吉の勘気に触れることを、いつも恐れていた半三郎は、長崎に着いて、いよいよ死刑執行の日が迫ってきた時、今までの約束を翻します。彼は約束を撤回して言いました。「処刑を2月7日金曜日まで待つことはできない。今日5日水曜日に直ちに執行する」「処刑前にミサにあずかり、聖体拝領する許可は与えない」「告解する機会はイエズス会の3人(パウロ三木、ディエゴ喜斎、ジョアン草庵)にだけ許可を与える。そのためにパードレ(神父)を一人浦上のらい病院に来させるがよい」
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2019年05月18日

十二  死刑執行人、寺澤半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

 三つの願い
パウロ三木がいたことをはじめとする26人の殉教者たちには、三つの願いがありました。それは「イエス・キリストと同じ金曜日まで刑の執行を延期してほしい」(予定では2月5日の水曜日でした)「処刑される前に長崎のパードレの誰かに告解する余裕を与えて欲しい」「全員でミサに始まり、聖体拝領を受けたい」ということでした。この三つの願いを、パウロ三木は半三郎に嘆願したのです。半三郎は、この三つの願いを、快く承諾し許可しました。
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2019年05月17日

十二  死刑執行人、寺澤半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

そのパウロ三木が、信仰のゆえに囚人として捕らえられ、その死刑執行を自分がしなければならないのです。 半三郎はパウロ三木に丁重にあいさつし、パウロ三木も友の厚意に感謝を述べ、二人は固く手を握り、肩をたたき合って、この奇遇を喜び合いました。半三郎は親友を救うことができず、自分の手で死に追いやらねばならない宿命が、なんとも悲しかったようです。それなので、彼は、自分に与えられている職権の範囲でできるとがあれば、この友人この願いを聞いてかなえてあげたいとおもいました。
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2019年05月16日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

旧友パウロ三木
寺沢半三郎はにとって、もう一つ大きな悩みがありました。それは26人の囚人の中に、旧友のパウロ三木がいたことです。半三郎は、パウロ三木と、学童のころ、親しかったのです。パウロ三木の教理解説の会に出席したこともあり、受洗を希望したこともあったことをほどです。実際、兄の奉行である寺沢宏高は、すでに洗礼を受けていました。そんなわけで、半三郎は、とてもパウロ三木を尊敬し敬愛していたのです。
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2019年05月15日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

今もそこには、天を思わせる臨在が、注がれています。この山本で、26人の死刑執行人代理の寺沢半三郎に、彼らは引き渡されます。寺沢半三郎は、無邪気な3人の少年を処刑し殺さなければならないことで、心は暗くなっていました。それで何とかしてルドビゴをたすけようとしたのですが、この少年は決してイエス・キリストへの信仰を捨てなかったのです。
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2019年05月13日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母への手紙

15歳の少年トマス小崎は、自分と父が殉教することに対しては、何の恐れも心配もしていませんでした。いや、それどころか、喜んでさえいたことでしょう。天国に対する確信と希望を、持っていたからです。しかし、残されてしまう母と、まだ幼い2人の弟のことが心をよぎり、この手紙を書いたのです。彼らが最後まで信仰を守って、天国で必ず会えるようにと、祈りながら、涙ながらに書いたのかも知れません。そして、この手紙を書き終えた時には、トマス少年は、愛する母と2人の弟も、主の御手の中に委ね切っていました。主を信頼していたからです。
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