2017年09月17日

2017年09月16日

祈りによって5

そしてその祈りは、
主に聞き届けられ、
彼はどんなに目の前で、
ひどい責め苦を見せられ、
他の者たちが目の前で
次々に転んでいっても
転ばなかったのです。

主は、
他の誰でもなく、
字も読めず
無学であっても、
祈り、
主にすがる者に
助けを与え、
日本の信仰の自由を
勝ち取らせて
くださったのです。
posted by 日本教会史 at 15:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

祈りによって4

彼がひとりだけ転ばずやな
信仰を守り通せたのは、
特別に主任すがり、
自分の弱さを覚えて
祈っていたからでした。

いやむしろ、
彼は弱かったからこそ、
断食までして、
主イエスさまと
聖霊さまに、
真剣に助けを求めたのです。
posted by 日本教会史 at 08:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

祈りによって3

その時村の人が
仙右衛門に、
どうしてあんなひどい拷問を
しのぐことが出来たのですか?
と聞きました。

「どんな強い人間でも、
あんな目に遭わせられたら、
人間の力だけでは、
とてもしのぐことはできません。

私が転んだら、
天主さま、
また日本のたくさんの殉教者に対して
申し訳ないと思い、
断食の祈りをささげ、
聖霊さまの助けを
祈っておりました。

聖霊さまのお力で、
しのげたのでございましょう」
と、仙右衛門は
答えました。
posted by 日本教会史 at 08:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

祈りによって2

彼は、ただ単純に、
教えられたことを信じて
守っていただけでした。

毎金曜日には
キリストのご受難を思って
断食をし、
祈りをしている人でした。

仙右衛門は、
転んで牢を出された人より、
3日遅れて、
転ばす信仰を守り通し、
村(乙名)預けということで、
浦上の村に帰されました。

posted by 日本教会史 at 13:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

祈りによって

ただひとり
高木仙右衛門は、
転びませんでした。

この人は農民でした。
字は読めず、
特別な学問を
受けたわけでもなく、

見た目には弱そうな人で、
仲間さえ、
どこからそんな勇気が
出てくるのか
信じられないくらいでした。
posted by 日本教会史 at 08:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

過酷な拷問6

それで
これから拷問を受けようとしていた
5人もすっかり気を落としてしまい、
残っていた人たちも、
みんなつめ印を押してしまったのです。

たでひとり、
高木仙右衛門だけを
残して。
posted by 日本教会史 at 07:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

過酷な拷問5

それを見て、
今ひどい目に遭った6人も
すっかり気を落としてしまい、
つめ印を押してしまいました。

役人は「あれを見たか、
あのような体になってから
改心するよりも、
いま体の痛まぬうちに
改心したらどうだ」と、

これから
拷問を受けようとしている
5人の者や、
まだ転び証文に
つめ印を押していない人たちに
言いました。

posted by 日本教会史 at 08:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

過酷な拷問4

続いて次の5人も
同じ目に遭わせようとしました。

この拷問のありさまを
見せられていた人たち何人かは、

「これから毎日こんな目に
遭わされるなら、
とても信仰を
守り通すことはできない」と、

転び証文の自分の名前の下に、
つめ印をおしてしまったのです。

posted by 日本教会史 at 08:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

過酷な拷問3

それから地面に引き下ろして、
水をかけ、
正気に戻して繰り返すのです。

水をかけると
縄は短く縮み、
肉に食い入り、
皮膚は紫色に変わります。

そして、
また気絶してしまいます。

こうして6人は
門口に引き出され、
捨て物のように
転がされました。
posted by 日本教会史 at 12:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

過酷な拷問2

コマのように勢いをつけて、
振り回し、
次によりを戻して
逆に回転させます。

そして下に立った役人が
棒とムチでさんざんに
打ちたたきます。

すると

ほとんど気絶してしまいます。
posted by 日本教会史 at 06:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

過酷な拷問

駿河問いという
責め苦(ドドイとも呼ばれる)を
受けるため、
6人が選ばれました。

これは両足を背中に反らせて、
両足首と、両手首、
首、胸にも縄をかけて、
それを背中の1ヶ所にくくり寄せ、
その縄を梁に巻き上げ、
身体を弓のように反らせて、
つるすのです。





posted by 日本教会史 at 16:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

捕縛10

10月5日、
68人は再び小島牢から桜町牢に
移されましたが、
その時には彼らは83名となり、

2坪ちょっとの4畳半の牢に
38人が詰め込まされる
ありさまでした。

それでも彼らは
責められても、
苦しめられても、
信仰を
この時までは
守っていたのです。

けれども
桜町牢での
拷問は凄惨を極め、

その結果ついに
高木仙右衛門ただひたりを残して
82人が転んでしまうのです。
posted by 日本教会史 at 19:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

捕縛9

そうしてる間にも、
「入牢者には拷問を加えない」
という外交団との約束は破られ、
長崎では捕らえられた68人に
説得やひどい拷問が加えられていました。

また、彼らが捕らえられた後にも、
浦上では
死人が出たとき
坊さんを呼ばない人たちが、
次々に桜町牢に
入れられていました。
posted by 日本教会史 at 18:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

捕縛8

一方、
キリシタンであるという
信仰の問題だけで
捕縛投獄されたことに
在留外国人は
衝撃を覚え、

各国の領事は
奉行に抗議しました。

さらに問題は
幕府と各国外交団に移され、
毎日のように
議論されました。
posted by 日本教会史 at 09:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

捕縛7

しかし長崎奉行は、
浦上の農民たちが囚人たちを
うばい返しに来るかもしれないと思い、

2日後には小島に新牢を造り、
そこに移しました。

そこから仙右衛門、
与五郎、寅五郎、又市などは、
取り調べのために、
たびたび西役所に
引き出されました。
posted by 日本教会史 at 12:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

捕縛6

1867年7月15日の早朝3時ごろ、
大雨をついて
捕手たちは浦上の地に踏み込み、
68人が捕らえられました。

これが「浦上四番崩れ」の始まりです。

彼らは桜町牢に入れられました。

この桜町牢は、
もともと教会のあったところですが、
1614年の迫害の時に壊され、
その後に牢獄が造られて、

迫害時代に
多くの神父や信者たちが、
くるしみをしのぎ、
殉教へ旅立っていったところです。
posted by 日本教会史 at 08:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

捕縛5

明治6年、
すなわち、1873年になって、
やっとこの問題は解決し、
キリストを信じることが
認められたのです。

しかし、
そのためには
「浦上四番崩れ」と
いわれている、
明治政府による
キリシタン弾圧の中での
厳しい迫害と殉教を
通過しなければならなかったのです。

posted by 日本教会史 at 16:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

捕縛4

代わった明治新政府は、
神道を中心に
天皇政治を目指したため、
キリシタンに対しては
迫害の手を緩めるどころか、
ますます激しくなりました。

そのため、
キリシタンへの
迫害と弾圧は、
外交上の問題となりました。


posted by 日本教会史 at 19:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

捕縛3

けれどもまだ、
日本は
キリスト教を禁止していました。

その結果、
浦上のキリシタンたちは、
ついに捕らえられ、
ろうに入れられてしまいます。

まず最初に、
指導者の68人が
捕まりました。

そして、
この問題を解決できぬまま、
江戸幕府は
倒れてしまうのです。
posted by 日本教会史 at 16:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

捕縛2

そして、
預言通りに
7代250年たった時に、
神父がやって来たのです。

「ワタシノムネ
アナタトオナジ」

この言葉をもって復活した
キリシタンたちは、
うれしくてうれしくてたまりません。

それまで隠れ続け、
待ち続けてきた
キリシタンたちは、
毎日のように
天主堂に通い、

熱心に祈り、
みことばを学びました。
posted by 日本教会史 at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

捕縛

これから
「浦上四番崩れ」について
書いていきたいと思いますが、
その前に今までに書いて来たことを、
簡単にまとめておきます。

激しい迫害の中で
潜伏したキリシタンたちは、
バスチャンの残した
予告預言を信じて
7代250年間、
罪の告解を聞いてくれる神父が
来るのを待ち続けていました。
posted by 日本教会史 at 07:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

浦上四番崩れ7

その結果、
この問題は江戸幕府と
上記各国による外交団との間に移され、

外交団は毎日のように、
この問題をもって
幕府に迫りました。


しかし、
徳川250年の間に培われた
キリシタン邪教観は根深く、
なかなか解決はしなかったのです。

そして、キリシタン事件を
解決できないまま、
幕府は
瓦解してしまうのです。
posted by 日本教会史 at 12:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

浦上四番崩れ6

しかし奉行は
「これは純粋な内政問題なので、
外国の指図を受けるものではない。
ことに200年来も守られて来た
キリシタン禁教の法令を
止めることは、

幕府だけがすることで、
地方の問題ではないから、
どうか江戸幕府へ談判してほしい」
と、答えました。
posted by 日本教会史 at 11:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

浦上四番崩れ5

対等の条約が
結べなくなるかもしれません。

ですから、
早急に信者を放免し、

さらに進んで
キリシタン禁教令の
高札をとりのける方が、
国家のために良いでしょう」

と注意をしました。


posted by 日本教会史 at 08:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする