2018年08月31日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、田舎から出てきて通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(マルコの福音書15章21節)

 西坂の丘で26人の処刑が始まり、最初に殉教したフェリペ。 彼は日本に来て、まだ4ケ月しかたっていなかった弱冠24歳の青年でした。 しかも、日本に来るつもりではなく、母国メキシコに司祭叙階のために帰国する予定だった船が難船したばかりに、日本に漂着してしまった人だったのです。 私はこのフェリペの事を思うたびに、聖書に出てくる一人の人を思い出すのです。それは、イエス様の十字架を、無理やり背負わされたクレネ人シモンのことです。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の選び

 神様の選びというのは不思議です。日本で最初にキリストのために命をささげたのは、日本人ではなく、メキシコ人、つまり外国人だったのです。 しかも、日本に来るつもりではなかった者を、あえて主は選ばれました。6人の外国人神父の中で、彼だけは、自分でこの国に来ることを選んではなかったのです。 もちろん、人から強制されたのでもありません。 神ご自身が彼を選ばれ、この国の殉教者として召し出されたのでした。
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2018年08月30日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 彼は言っています。「自分のような本来司祭になる資格さえないような者が、殉教の恵みにあずかることができるのは、ただただ主イエス・キリストの深いお恵みによるものです。サン・フェリペ号が難船したのは、この私を救い、殉教の恵みの中に入れるために、主が許されたのです」 フェリペは自分の人生に許されたすべてのことを心から感謝して受け入れたのです。 メキシコに向かっていたのに、日本に難船したことも、司祭叙階の代わりに、死刑執行人に渡されたことも、 そのすべてのことの中に彼は主を認め、主の御手を見ていたのです。
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2018年08月29日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 フェリペは、決して優等生では、ありませんでした。 それどころか、本当は司祭にもなれなかったもしれない落ちこぼれだったのです。そのフェリペを、主は、選ばれたのです。彼が選んだのではありませんでした。むしろ、彼にとっては、強いられた十字架だったと言えるでしょう。彼は、自分で選ぶことは、できなかったのですから。それでも彼は、心から喜んでいました。殉教者に選ばれたことも。彼は、すべての事の中に、神の御手を見ていたからです。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 フェリペは、決して優等生では、ありませんでした。 それどころか、本当は司祭にもなれなかったもしれない落ちこぼれだったのです。そのフェリペを、主は、選ばれたのです。彼が選んだのではありませんでした。むしろ、彼にとっては、強いられた十字架だったと言えるでしょう。彼は、自分で選ぶことは、できなかったのですから。それでも彼は、心から喜んでいました。殉教者に選ばれたことも。彼は、すべての事の中に、神の御手を見ていたからです。
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2018年08月28日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

最後に来た最初の殉教者

 こうして26人の殉教者の中で、日本に最後に来たフェリペが、日本で最初の殉教者となりました。しかも日本に来るつもりでなかったフェリペが、日本で最初の殉教者にえらばれたのです。 時にフェリペ24歳。彼は、日本に来て、まだ4カ月しかたっていませんでした。 しかし主が彼を、そうです、このフェリペを、日本の最初の殉教者に選ばれたのです。
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2018年08月27日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

 それから2年たった時に、修院長は、フェリペに司祭叙階のために、再びメキシコに戻るようにと命じました。司祭叙階というのは、司祭になるための「任命按手式」のようなものです。 その時、メキシコに戻るために乗ったガレオン船が「サン・フェリペ号」だったのです。そしてその「サン・フェリペ号」が、メキシコに向かう途中に難船し、日本の土佐沖に漂着してしまいます。  そして彼は捕らえられ、殉教者の中に入れられたのです。
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2018年08月25日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

 フェリペは、若き青春時代には、放縦な生活をしていました。それでも一度は、どこかに神さまの攻める声を聞き、悔い改めてフランシスコ会修練会に入会をします。しかし結局は、すぐに元の生活に、戻ってしまいました。 それからしばらくして、彼の事を心配する両親は、彼を何とかまじめな人間にしようと考えて、商業に従事させるため、フィリッピンに送ります。フィリッピンに渡った彼は、やがて安逸な生活にも飽き、再び決心して、マニラのサン・フランシスコ修道会に入会させてもらおうと願いに行きます。 院長は、すぐには受け入れず、その申し出を主の前で祈り熟考した末に、彼を受け入れることにしました。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

「彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(マルコの福音書15章21節)

西坂の丘で26人の処刑が始まりました。 最初に天国へのやりを受けて殉教したのは、フェリペでした。 彼はイスパニア(スペイン)人の両親のもと、メキシコで生まれフランシスコ会修道士でした。とは言っても、本当は落ちこぼれだったのです。
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2018年08月24日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

最初の殉教者

最初にやりを受けて殉教したのは、メキシコ人のフランシスコ会修道士フェリペでした。それは、彼のつけられていた十字架の支え木が、下に寄り過ぎていて、全身の重みが、鉄の首枷(かせ)にかかってしまい、彼は声を出すこともできずに、窒息してしまいそうになっていたからです。 半三郎は、このメキシコ人フェリペの苦しみを見て、執行人に合図をしま人をした。それで2人の執行人は、このメキシコ人をやりで突き刺し、苦しみを取り除き断ち切ったのです。 十字架の上でけいれんが起こり、開かれた胸からは、2つの血の泉が噴出しました。ついに、殉教の血が流されたのです。この最初の殉教者フェリペは、日本に来て、まだ4か月しかたっていませんでした。 しかも、日本に来る予定ではなかったのに、船が難破して日本に来てしまったのです。 その彼が、日本で最初の殉教者となったのです。彼のことについては、次の章で、詳しく書くことにしましょう。
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2018年08月23日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

最初の殉教者


当初、両端の十字架につけられている者たちから、やりで殺されることになっていました。ところが、最初にやりを受けて殉教したのは、メキシコ人のフランシスコ会修道士フェリペでした。
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2018年08月22日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

 パウロ三木は十字架の上で、最後まで福音を語りながら、天国の希望とキリストの十字架による赦しを、語り続けていました。 4000人にも及んだと言われている集まってきた見物人たちは、少年たちの銀の鈴のような声に合わせて、主を共に賛美し始めました。そして、それはやがて大合唱となっていきました。 そして十字架の上から語られるイエス・キリストの福音に、聞き入っていました。もはやそこは、処刑場ではなく、天国が、そこには、降りてきていました。  そして、26人の処刑が、始まったのです。
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2018年08月21日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

 大名になる誘いを断って神を選んだ12歳の少年ルドビゴ茨木は、十字架の上で高らかに詩篇113篇を賛美しています。 その隣で13歳のアントニオが、声を合わせて「子らよ。主をほめたたえまつれ」と賛美しています。彼は、まだイエスさまを信じていない両親が「十字架から降りてきて」と絶叫した時に「喜んでください」と言ったのです。2人の銀のすずのような声が、西坂の丘に、こだましています。
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2018年08月20日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

 1596年12月に京都と大阪で捕らえられ、翌、1597年1月3日に耳そぎをされて始まった彼らの殉教への旅も、ついに終わる時が来ました。1597年2月5日、西坂の丘に26本の十字架が立ちました。26人の殉教者たちは、キリストと同じように、その十字架につけられていました。くぎ打たれたわけではありませんが、その手足はしっかりと鉄枷(かせ)でとめられていました。

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2018年08月19日

二十  西坂の丘にでー殉教始まる

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、ゆたかなみをむすびます」(ヨハネの福音書12章24節)

 西坂の丘に、少年ルドビゴ茨木とアントニオの詩篇113篇の賛美の声が、こだまします。その声に合わせて、見物に来ている人たちが、大合唱を始めます。 その賛美の声をバックに、パウロ三木が、十字架の上から福音を語ります。彼の最後のメッセージは「十字架の許し」でした。
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2018年08月18日

十九  十字架の上からの説教

報いーリバイバル

 死を前にしてパウロ三木は、目の前にいる人々の救いを願っていました。彼の心は、自分自身の命の事ではなく、彼を殺そうとしている人々の救いにあったのです。 日本に、このような殉教者が、かっていたのです。 十字架につけられても、赦し続け、十字架の福音を語り続けた伝道者が。 日本に、必ずリバイバルが、やってきます。パウロ三木の語った御言葉は、決してむなしく、この長崎、そして日本に落ちることはないでしょう。これから始まる、この地での大いなる収穫のリバイバルの中で、主は報いてくださるのです。  今、生きている私たちを用いて。
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2018年08月17日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら

 さらにパウロ三木は、死刑執行の責任者であり彼の旧友でも会った寺沢半三郎の方を見やり、さらに役人や執行人を見ながら、はっきりと、こう続けて語ったのです。「私は、私にとって死刑を命じた太閤様を、赦します。 半三郎を赦します。 役人を赦します。今まさに、ここにいる私をやりで殺そうとしている執行人を赦します。 なぜなら、イエス・キリストが、私の罪を十字架で赦してくださったからです。 イエス・キリストは、あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈れと言われました。 ですから、この死罪について、太閤さまはじめお役人衆に、私は何の恨みも抱いてはおりません。ただ私の切に願いまするのは、太閤さまをはじめ、すべての日本人が、イエス・キリストを信じて救いを受け、キリシタンとおなりになることでございます」
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2018年08月13日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら

 彼は、さらに続けて語ります。ますます激しさをを増しながら。「はばからずに申し上げます。確かに私はイエス・キリストを宣べ伝えました。そして、この理由で殺されるのを、わたしは喜んでおります。神さまから頂いた、この殉教の恵みを、心から神さまに感謝申し上げます。人が死に臨んで、どうして偽りを申しましょう。私は今、死に臨んで、真実のみを申し上げています。私の言うことを、どうか信じてください。この方イエス・キリストによるほか以外に 救いの道のございませぬことを確信をもって申し上げまする」人々は、パウロ三木の語る言葉に、引き寄せられて行きました。それほどの力強さと激しさが、パウロ三木の説教にはあったのです。
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2018年08月12日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら

 イエズス会士の修道士(イルマン)パウロ三木は、京都で捕らえられてから、この度は西坂の丘に着くまで、人々に福音を語り続けていました。 そして最後の説教が、この十字架の上からの説教だったのです。彼の罪状書きには、こう書いてありました。「この者どもはフィリッピン、ルソンの使節と称し、日本に来たり・・・」それを見て、パウロ三木は、十字架の上で身を乗り出し、群衆を見据えて、大声で叫びました。「ここにおられるすべての方々、私の言うことをお聞きください」その声に、人々は思わずも耳をそばだてて聞き入ります。「私はフィリッピンから来たルソン人ではありません。れっきとした日本人でございます。そしてイエズス会の修道士でございます。私は何の罪も犯したわけではございません。ただイエス・キリストの福音を宣べ伝え、その教えを広めたという理由だけで殺されるのです」
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2018年08月11日

十九  十字架の上からの説教

「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節)

 1597年2月5日、西坂の丘に26本の十字架が立ちました。26人の殉教者たちと共に。その中にいた12歳の少年ルドビゴ茨木と13歳のアントニオが、声を合わせて詩篇113篇を主に向かって高らかに賛美しました。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。 その銀の鈴のような声が、西坂の丘に響き渡ります。するとその声に合わせて、見物に来ていた4000人ともいわれている人々が、この少年たちに合わせて賛美し始めたのです。 そのとき、極悪犯罪人の処刑場だったこの場所に、天国が降りてきたのです。 主の深いご臨在が、その場を包んでいました。そのご臨在の中で、十字架の上から声を上げ説教を語り始める者がいました。 それが、パウロ三木でした。
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2018年08月10日

十八  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

西坂の丘に立つ26本の十字架

 26人を殺す刑執行鵜人たちが一人一人を十字架につけ始めました。手足と首を、まず鉄枷で止め、腰をひもで結んで、体を固定させ、ぴったりと十字架につけました。そして、掘ってあった穴の縁に、十字架の根元を当てて、徐々にすべらせ、ついに十字架は穴に立てられたのです。こうして一本一本、十字架が建てられていったのです。 殉教者たちとともに。 そして、ついに26本の十字架が、西坂の丘に立てられました。 26人の殉教者たちと共に。
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2018年08月08日

十八  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

 その26人の中で最年少の12歳の少年、ルドビゴ茨木がいました。 彼は佐賀唐津の山本村で寺沢半三郎の「養子になれ」との申し出を断って、神さまを選んで、喜んで、この殉教の丘である西坂の丘にきたのです。彼は、西坂の丘に着くと、そこにいた役人に聞きました。「私のかかる十字架は、どれですか」 役人は彼を見て、彼が一番小さな少年であることがわかると、「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番小さいあの十字架だ」と指差しました。 するとルドビゴ少年は、にっこりとほほ笑んで、その十字架に駆け寄り、その一番小さな十字架を抱きしめて、ほおずりし、口づけしたのです。
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2018年08月07日

十七  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)

 1597年2月5日、26人が殉教する日がやってきました。彼らは時津(とぎつ)の沖の小舟から陸にあげられると、すぐに歩き始め、途中、浦上のらい病院で短い休息の時間をとりました。短い休憩が終わったのち、役人のかん高い声が響きました。再び出発の命令が下ったのです。彼らは、西坂の丘を目指して歩き始めました。彼らが殉教する地に向かって、歩き始めました。 西坂の丘には、26個の穴が掘られていました。そして、その一つ一つの穴の前に、真新しい26の十字架が、一本ずつ置いてありました。


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2018年08月06日

十七  最後まで魂の救いー宣教を求めて

 私は、クリスチャンホームで 育てられました。また、私自身も、今では4人の男の子と 4人の女の子を持つ 8人の父親です。 ですから、この父子のやり取りを見ながら、特別な感動を覚えます。最後まで救霊に燃え続けていた19歳の青年ヨハネ五島、そして喜んでその息子を天に送り、自分も宣教に生き、殉教の備えをした父。たとえ、自分の愛する子を失うとしても、二人の間の愛と、主への信頼、信仰は崩れなかったのです。私も主に対する心を受け継いでいきたい。息子としても、父としても。そう思わずにはいられないのです。
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2018年08月05日

十七  最後まで魂の救いー宣教を求めて

父子の別れ

 自分が殉教しようとする時に、魂の救い、宣教のことを父に委ね願ったヨハネ五島。そして、それをしっかりと受け取って応答した父、彼らはともに、殉教を前にしても、宣教の事を考えていたのです。父は今、殉教を前にして魂の掬いのことを語る息子の信仰を見て、とても満足して喜んでいました。いままで祈りと愛をもって育んできた息子の信仰は、神の与えてくださった殉教という試練の中で開花したのです。 これは素晴らしい祝福でした。 この親子の心にあったのは、魂の掬い、宣教だったのです。 






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