2019年09月10日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

そしてさらに主は、私に迫ってこられるのです。「真にへりくだって、自分を捨てて、自分の十字架を負って、私についてくる者たちに、彼らのバトンは受け継がれ、その者たちを通して、応えは必ずやって来る、リバイバルは必ず、まもなくやってくる」と。ここまで、日本二十六聖人についてかいてきましたが、この章で終わります。次の章からは、その後の殉教者について、特に、浦上四番崩れの事を中心に書いていきます。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月09日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

西坂の丘に立つと、今も喜びが注がれてきます。天の御国から注がれてくる喜びが。その丘に立って祈るたびに、主は私に 語ってこられます「彼らが示した私への愛と従順、彼らが負った十字架、彼らの祈りと願い、それらは、決して忘れられてはいない。その応えが、この時代に必ずやって来る」と。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月08日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

時の権力者、太閤秀吉。彼は長崎にいる多くの切支丹たちの信仰を捨てさせるために、彼らへの見せしめとして26人を長崎まで連れてきて処刑したのです。けれども結果は、秀吉の思惑とはは、全く逆になったのです。二十六聖人たちは、信じていました。必ず主は、この殉教の血に報いてくださると、自分たちの殉教の死は、決して無駄になることなく、一粒の麦として、のちの日に、豊かな実を結ぶのだと。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月07日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

二十六聖人の殉教を見ていた見物人たちはの中のクリスチャンはもとより、信仰のはっきりしていなかった人々や、キリストを信じていなかった人までもが、改心し代官所に詰め掛けて、自分もクリスチャンだから殺してくれと言って、人々が殺到してきたと言われています。そしてこの後、彼らは殉教していきました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月06日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

当時の人々は、死を頻繁に見ていました。しかし、こんなに喜びと希望に満ちた死を見たことはありませんでした。いつも呪いと恨みと後悔の中で、人は死んでいったのです。ですから当時の人たちにとって、この26人の殉教者たちの死は、驚きと感動と羨望(せんぼう)であったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月05日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

リバイバル
日本二十六聖人、彼らは自分の十字架をしっかり受け取り、喜んで西坂の丘で殉教していきました。彼らは、最後まで福音宣教に生き、西坂の丘で十字架につけられて殉教したのです。西坂の丘に集まっていた4000人ともいわれている見物人たちは、この26人の殉教の姿に感動し、長崎に小さなリバイバルが起こります。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月04日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

キリストのそばに置かれた12弟子たちが、キリストと聖霊によって造り変えられていったように、26人の殉教者たちも、この殉教への道の中で、神により近づけられ、変えられていったのでしょう。長崎への道の途中で、殉教者に加えられたペトロ助四郎やフランシスコ吉、それに日本に来てわずか数カ月で捕らえられ、殉教者の中に入れられたフェリペを見ていると、そんな風に、私には思えてくるのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

その道のりの中で、彼らは今までなかったほどキリストに近づき、さらに十字架の深みへと導かれ、そして喜んで殉教していったのです。彼らに許された殉教という十字架を負うために、主はひと月の備えの時を、彼らに与えられたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月01日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

また彼らにとっては、京都で捕らえられから、西坂の丘で殉教するまでの およそひと月の長崎への道のりは、十字架を負うことの恵みを、さらに深く知る恵みの時 となった事でしょう その道のりの中で、彼らは、今までなかったほどキリストに近づき、さらに十字架の深みへと導かれ、そして 喜んで殉教していったのです。  
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月31日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って
喜んで殉教していった26人の殉教者たち。彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例えばマチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名を持つ別人に変わって、捕らえられることができたのでしょう。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月30日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

たとえその結果、命を失うとしても、彼らは福音を語り、宣べ伝えることを、止めることなどは、考えられなかったのでしょう。異邦人伝道に召されていたパウロが「私の同胞のためには、呪(のろ)われた者となることさえ願いたい」と言った同じスピリットを、彼らも持っていたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月29日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

福音宣教

福音宣教。イエス・キリストの福音を宣べ伝える。これこそが、彼らの召し、だったのです。彼らは、この召し、福音宣教の中に生きていました。そして、この福音宣教という召しに忠実に生きた時に、殉教という十字架が、彼らの前に置かれたのです。彼らは、今まで、口を開きませんでした。どんなに妬(ねた)みから、ありもしない悪口雑言を言われても、彼らは黙して語りませんでした。しかし、イエス・キリストの福音に関する限り、イエス・キリストの証人として、彼らは口を閉ざすことは 出来なかったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月28日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

十字架にすがりついて「降りてきて」と叫ぶ両親に「喜んでください」と天国を語った13歳の少年アントニオ。彼も両親が救われて天国へ来ることを、心から願って信じていました。彼らの切なる願いは、人々がキリストを信じて救われ、神のもとに帰ってくることだったのです。彼らは、人々の魂を、最後の最後まで求め続けていました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

京都で捕らえられたから、十字架の上で最後にやりを受けるまで、キリストの福音を宣べ伝え続け、十字架の説教を止めなかったパウロ三木。彼は最後の最後まで魂を追い求めていました。19歳のヨハネ五島が、最後に父と語ったことは、魂の救いでした。15歳の少年トマス小崎は、父とともに殉教するために、引かれながら、2人の弟の救いために、母マルタに三原城から手紙を書きました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

彼らは、この日本に、まだキリストを知らない者がいることに、耐えられなかったのです。そして、もう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように、泣かずにはいられなかったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十七  十字架を負って3−福音宣教

己(おのれ)を捨てて、喜んで殉教していった26人。彼らはすでに、もう自分に死んでいました。しかし、そんな彼らにも、ただ一つの気掛かりがありました。それは、この地上に残される まだ救われていない魂のことでした。天に帰ることをことを心から喜びながら、まだ救われていない日本の人々の魂を考えると、彼らの心は、激しく痛んだのです。イエス・キリストを真に信じる者への迫害が始まった、この国の将来を思うと、彼らの心に憂いがやって来ました。それは、死に対する恐れや恐怖でも、この地上に対する執着や、家族と離れてしまうことへの悲しみでもありませんでした。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月25日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

私たちが喜んで十字架を負えないのは、きっとまだ己を捨てて、自分に死んでいないからなのでしょう。己を捨ててしまうなら、御国の喜びが、十字架を負っているそのところに、今すぐにでも、やってくるのです。彼らは己を捨てて、喜んでいました。ただ一つのことだけを除いては・・・。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月24日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

京都で捕縛され、殉教者に選ばれてしまった時から、彼らの心は、ますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて、天につなぎ合わされていったことでしょう。長崎で殉教するまでの ひと月の殉教への歩みの中で、彼らの肉体はとても弱くされ、痛みや苦しみが襲ってくることも、しばしばあったかもしれませんが、彼らの心は、天の御国の喜びに、ますます満たされて、キリストと福音とのために 殉教しなければならなくなったことを、本当に喜んでいたことでしょう。 ちょうど、キリストのみ名のために、辱められるに値するものとされたことを 喜んだ使徒たちのように。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月23日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

己を捨てて
なぜ彼らは殉教という十字架を前にしても、こんなに喜んでいることができたのでしょう。それは彼らが、もうすでに「己(おのれ)を捨て」自分に死んでいたからなのです。彼らはもはや、自分の命には、生きていなかったのです。主が、ご自身の代価を払って与えてくださった永遠の命の中に、彼らは生きていたのです。だから、彼らは、。心から喜んでいたのです。
posted by 日本教会史 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

天の喜び
主は私にその時、語られたのです。「彼らは喜んでいた」と。確かに、彼らは喜んでいました。役人の「養子になれ」との誘惑を断って、自分の十字架に走り、口ずけした12歳の少年ルドビゴ茨木。十字架の足元にすがりついて「降りてきて」と絶叫する
母に向かって「喜んでください」と言った13歳の少年アントニオ。メキシコに行き、司祭に叙階(じょかい)されるはずだったのに、日本で殉教することになった時、「サン・フェリペ号が難船したのは、この私が殉教のめぐみにあずかるために許されたのです」と言ったフェリッペ 彼らはみんな、心から喜んでいました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十六  十字架を負って2−己を捨て

天の喜び
初めて西坂の丘に来て祈った時、私は驚きました。何故なら、坂を上がって西坂の丘にたどり着くと、そこには、「喜び」があったからです。テンカラー注がれてくるような、さわやかな 明るい喜びが、確かにそこには、あったのです。それは、私の中にそれまであった、暗い悲惨な殉教というイメージとは、あまりにもかけ離れていました。そこには、とても深い主の臨在があったのです。その日は小雨が降っていましたが私が西坂の丘にたち、心を主に向けて祈ると、喜びが内側からあふれてくるのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月20日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

しかし、やはり二十六聖人たちも、、私たちと同じように、弱さを持った罪びとだったのです。ただ、彼らは、主に従いたいと、心から願っていました。彼らは本当に主を愛していました。その主への愛と従いたいという強い強い願いが、聖霊の助けの中で、彼らを殉教にまで導いて行ったのでしょう。キリストに選ばれた弟子たちは、ガリラヤの無学な普通の人でした。けれども彼らは、主に呼ばれ、招かれた時に、すぐに従いました。同じように二十六聖人たちも、主に、すぐに従う心を持っていたのです。

posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月15日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

私たちの日々の信仰生活においても、同じようなことが許されることがあります。もちろん今の日本では、殉教という事はないでしょうが、
妬まれたり、ありもしないことを言われたりというのは、日常茶飯事です。そのような時に、私たちは黙ってその十字架を受け取っているでしょうか。つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を投げ捨ててしまっていないでしょうか。その十字架から、逃げてしまっていないでしょうか。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

これは、彼らにとっては、まさに十字架でした。しかし彼らは、その殉教という十字架を、喜んで受け取り、黙って縄を受けたのです。それはちょうど、キリストが、パリサイ人や律法学者たちの妬みによって、十字架につけられたのと、そっくりでした。また、キリストが捕らえられた時、祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不当な不法な裁判においても、大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みと誹謗と中傷によって、殉教という十字架につけられることになったことを、黙って引き受けたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

二十六聖人たちが殉教することになった直接のきっかけは、サン・フェリペ号の遭難でした。けれども、時の権力者太閤秀吉が、彼らに処刑を命じた原因は、そればかりではなく、ほかにもありました。いくつか考えられますが、その一つは、間違いなく元仏教僧だった施薬院全宗の妬(ねた)みと敵対心からの諫言(かんげん)でした。また、ポルトガルと今のスペインであるイスパニアの貿易競争からくる誹謗(ひぼう)合戦の結果でもありました。二十六聖人たちはありもしない悪口雑言を散々言われて上、殺されることになったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする