2018年09月14日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば、

 ここからは、このレリーフに刻まれている御言葉をを通して、彼ら二十六聖人たちの殉教に至る生涯を見ていきたいと思います。そしてそこから、今、生きている私たちに対する主の語りかけを聞いていきたいと思います。         人若し我に従わんと欲せば
 二十六聖人たちが殉教することになった直接のきっかけは、サン・フェリペ号の遭難でした。けれども、時の権力者太閤秀吉が、彼らに処刑を命じた原因は、そればかりではなく、ほかにもありました。いくつか考えられますが、その一つは、間違いなく元仏教僧だった施薬院全宗の妬(ねた)みと敵対心からの諫言(かんげん)でした。また、ポルトガルと今のスペインであるイスパニアの貿易競争からくる誹謗(ひぼう)合戦の結果でもありました。二十六聖人たちたちは、ありもしない悪口雑言を散々言われた上、殺されることになったのです。
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2018年09月13日

二十五  十字架を負って1−人もし我に従わんと欲せば

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)

 日本二十六聖人が、殉教した西坂の丘に、今は、彼らのレリーフが立っています。レリーフには、26人の殉教者が並んで彫られています。そのレリーフのちょうど真ん中の下の部分に、7本の十字架と共に、このみ言葉が刻まれているのです。  私が西坂の丘にたって祈るとき、いつもこのみ言葉は私の心に迫り語りかけてきます。確かに、御言葉には力があります。私たちが、この殉教の丘に立って祈る時、このみ言葉は静かに,しかし非常に力強く、祈る者たちに迫ってくるのです。 それは、きっと、二十六聖人たちが、このみ言葉に生きて、証を立てたからなのでしょう。彼らの生涯は、まさに、このみ言葉の成就だったと言えるのです。
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2018年09月11日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い

 ペテロ・バプチスタ神父は、全員が喜んでやりを受け、天に帰っていくのを見届けることができたのです。今や彼は、彼の霊の子どもたちや同僚たちと共に、天に帰るために、喜びながら、やりを受けることができるのです。 彼は、天を見上げて、くちびるを動かして祈りました。キリストが祈られたのと同じように、最後の祈りをしたのです。「父よ。わが霊を見てに委ねます。」と。そのとき、25人の鮮血で染まったやりが、ペテロ・バプチスタ神父を突き刺しました。       こうして、26人の処刑、が終わりました。日本で、初めての26人の殉教者たちが、喜んで天に帰っていったのです。この後に続く激しい迫害と殉教の先駆けとして。西坂の丘には、今も殉教者たちが残していった天の喜びが注がれています。 あなたも機会があれば、ぜひ祈りに訪れてください。
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二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い

 ペテロ・バプチスタ神父を、最後まで残したのは、半三郎をはじめとする役人たちの考えでした。それは、25人の仲間たちが、無残に刺し殺されて死ぬのを見れば、彼が途中で進行を捨てるかもしれないと考えたからでした。 しかし、ペテロ・バプチスタ神父は全く違うことを考えていたのです。 バプチスタ神父は、全員がだれひとり信仰を捨てることなく、最後まで主を愛して、殉教することを、心から願い祈っていました。そして、全員のその姿を、しっかり見届けたいと願っていたのです。 役人たちは、バプチスタ神父が、そんなことを願い祈っていることなど、何も知りませんでした。しかし役人たちが、バプチスタ神父を最後に処刑したことは、結果的には、彼の祈りの答えとなり、役人たちの思惑とは、全く逆だったのです。
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2018年09月10日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

「この方はまことに神の子であった」(マルコの福音書15章39節)

 西坂の丘の上に立てられた26本の十字架の上に、合図とともに、やりが突き刺さります。東と西の端から、一人また一人と、鮮血とともに26人は、次々にじゅんきょうしていきました。 東と西の端から始まったこの処刑も、やりを突き刺す執行人たちが、中央で出会うときには、26人全員の処刑が終わろうとしていました。 けれども、ただ一人、最後まで残された人がいました。 それは、ペテロ・バプチスタ神父でした。
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2018年09月09日

二十三  西坂の丘の上に立てられた26の十字架

さまざまな殉教

 12歳の最年少のルドビゴ茨木は、やりを受けた時、「パライソ(天国)、パライソ(天国)」と言って、目を天に向けながら、殉教したのです。 トマス小崎は、父のミカエル小崎とは、東と西に遠く離されて十字架にかけられていました。正確に言えば、トマス小崎は20番目の十字架にかけられており、父のミカエル小崎は4番目の十字架にかけられていたのです。 しかし、この親子は、ほとんど同じころにやりを受けて殉教し、共に天国に召されていったのです。 こうして、2人ずつ東西に分かれていた執行人が、中央で出会うころには、26人の処刑は終わろうとしていました。 けれども、最後まれ残された人がいました。それは、20人のリーダーだったペテロ・バプチスタ神父でした。
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2018年09月08日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

合図とともに

 執行人は2人ずつ、十字架から十字架へと、東と西の端から順番に、合図とともに突き刺して処刑をしていきました。勢い余って、槍の穂先が背中に出る者さえいました。 ほとんどの殉教者たちは、やりで突き刺されると、鮮血と共に瞬時にして息が絶えました。しかし、まだ息が少しでもあり、不十分と思われた者は、のどを、もう一度一突きされ、とどめを刺されたのです。
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2018年09月07日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

合図と共に
 4人の執行人はやりを持ち、2人ずつ一組になって十字架の両端へと行きました。そして、東の一番端の十字架と、西の端にある26番目の十字架との下に、やりを構えて立ったのです。彼らは、やりのさやを払い、合図を待っています。その時、半三郎から合図の声が掛かります。すると掛け声もろとも、やりは殉教者の胸の中でこうさくしました。 こうして東の一番端の十字架の上では、フランシスコ吉が、また西の26番目の十字架の上では、尾張生まれの49歳の伝道者パウロ鈴木が、やりをX形に受け、鮮血と共に殉教したのです。
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2018年09月06日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

「まことに、まことに、あなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネの福音書12章24節)

 西坂の上に立てられた26本の十字架。 最初に殉教したのは、日本に来て4カ月しかたっていなかった、弱冠24歳の青年フェリペでした。彼の十字架の支え木が、下に寄り過ぎていたため、全身の重みが鉄の首枷(かせ)にかかり、声も出せずに窒息しそうになっていたので、寺沢半三郎が、最初に処刑するように命じたのです。彼の処刑が終わると、半三郎は4人の執行人を呼びました。そして残された26人の処刑が始まりました。
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2018年09月05日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

クレネ人シモンのように

 これからいよいよ始まってくる日本のリバイバルの中で、主はご自身の憐(あわ)れみによって、フェリペやクレネ人シモンのように、たとえ自分の願いや望み、計画とは全く違う十字架を強いられたとしても、その中に主の御手を認め、喜んでついていく真のしもべたちを起こしていかれるのです。 私たちも、たとえ弱く不十分であっても、主が強いられた十字架を逃げずに、しっかりと受け取ってついていくならば、主はこの終わりの時に、喜んで豊かに用いてくださるのです。
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2018年09月04日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

クレネ人シモンのように

 フェリペは、主に愛されていました。 クレネ人シモンも、主に愛されていました。 主は、彼らの弱さも強さも、すべてを知っておられ、それぞれに最善の方法で現われ、導かれたのです。彼らにとって、強いられた十字架こそ、救いの完成への恵みの道だったのです。 フェリペは、今も天で、私たちのこの国、日本のためにとりなしていることでしょう。
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2018年09月02日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

主の方法

「父よ彼らを赦したまえ」ととりなしておられるこの方。この方の後ろを歩き、今十字架にかけられているこの方を見た時、シモンにははっきりと分かりました。 この方こそ救い主、イエス・キリストなのだ、と その時、彼は救われたのです。そしてこの後、彼の家族も救われます。彼の妻と子供のルポスは、パウロから「主にあって選ばれた人」と、挨拶を頂くほどの信仰者となったのです。 これが主の方法でした。 これがクレネ人シモンに対する主の計画だったのです。
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二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

主の方法

 シモンは十字架を背負いながら、カルバリの丘に向かって、よろよろとふらつきながら歩いていくイエスさまのすぐ後ろを、歩いてついて行ったのです。 この時、十字架に向かって行くイエス様の一番そばに、彼はいました。弟子たちは、みんな逃げていきました。 けれども彼は十字架を背負いながら、イエスさまが十字架につけられたゴルゴタにまでついていきました。 そして自分が背負ってきた、その十字架につけられた方を、かれはみたのです。十字架の真下で、彼は見たのです。イエスさまが十字架につけられているのを。彼の前を、よろけながら歩いていたこの方。そして今、十字架にかけられながら「父よ、彼らを赦したまえ」と、とりなしておられるこの方、この方の後ろを歩き、今十字架にかけられているこの方を見た時、シモンにははっきりとわかりました。
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2018年09月01日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

強いられた十字架

 シモンは田舎からエルサレムに、過ぎ越しの祭りを見るために出てきただけでした。 ところが、ちょうどその時に、イエスさまが十字架を背負って、ビア・ドロローサ(悲しみの道)を歩いていたところに出くわしてしまったのです。 ローマ兵が彼の肩をやりでたたいた時、彼はもはや逃げることはできませんでした。もし拒めば、そのままそのやりで、一突きされて殺されるからです。 彼はもう逃げられなかったのです。ですから彼にとって、イエスさまの十字架を背負っていくことは、強いられたことだったのです。 けれども、それは主の彼に対する深い憐(あわ)れみでもありました。
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2018年08月31日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、田舎から出てきて通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(マルコの福音書15章21節)

 西坂の丘で26人の処刑が始まり、最初に殉教したフェリペ。 彼は日本に来て、まだ4ケ月しかたっていなかった弱冠24歳の青年でした。 しかも、日本に来るつもりではなく、母国メキシコに司祭叙階のために帰国する予定だった船が難船したばかりに、日本に漂着してしまった人だったのです。 私はこのフェリペの事を思うたびに、聖書に出てくる一人の人を思い出すのです。それは、イエス様の十字架を、無理やり背負わされたクレネ人シモンのことです。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の選び

 神様の選びというのは不思議です。日本で最初にキリストのために命をささげたのは、日本人ではなく、メキシコ人、つまり外国人だったのです。 しかも、日本に来るつもりではなかった者を、あえて主は選ばれました。6人の外国人神父の中で、彼だけは、自分でこの国に来ることを選んではなかったのです。 もちろん、人から強制されたのでもありません。 神ご自身が彼を選ばれ、この国の殉教者として召し出されたのでした。
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2018年08月30日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 彼は言っています。「自分のような本来司祭になる資格さえないような者が、殉教の恵みにあずかることができるのは、ただただ主イエス・キリストの深いお恵みによるものです。サン・フェリペ号が難船したのは、この私を救い、殉教の恵みの中に入れるために、主が許されたのです」 フェリペは自分の人生に許されたすべてのことを心から感謝して受け入れたのです。 メキシコに向かっていたのに、日本に難船したことも、司祭叙階の代わりに、死刑執行人に渡されたことも、 そのすべてのことの中に彼は主を認め、主の御手を見ていたのです。
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2018年08月29日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 フェリペは、決して優等生では、ありませんでした。 それどころか、本当は司祭にもなれなかったもしれない落ちこぼれだったのです。そのフェリペを、主は、選ばれたのです。彼が選んだのではありませんでした。むしろ、彼にとっては、強いられた十字架だったと言えるでしょう。彼は、自分で選ぶことは、できなかったのですから。それでも彼は、心から喜んでいました。殉教者に選ばれたことも。彼は、すべての事の中に、神の御手を見ていたからです。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手

 フェリペは、決して優等生では、ありませんでした。 それどころか、本当は司祭にもなれなかったもしれない落ちこぼれだったのです。そのフェリペを、主は、選ばれたのです。彼が選んだのではありませんでした。むしろ、彼にとっては、強いられた十字架だったと言えるでしょう。彼は、自分で選ぶことは、できなかったのですから。それでも彼は、心から喜んでいました。殉教者に選ばれたことも。彼は、すべての事の中に、神の御手を見ていたからです。
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2018年08月28日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

最後に来た最初の殉教者

 こうして26人の殉教者の中で、日本に最後に来たフェリペが、日本で最初の殉教者となりました。しかも日本に来るつもりでなかったフェリペが、日本で最初の殉教者にえらばれたのです。 時にフェリペ24歳。彼は、日本に来て、まだ4カ月しかたっていませんでした。 しかし主が彼を、そうです、このフェリペを、日本の最初の殉教者に選ばれたのです。
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2018年08月27日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

 それから2年たった時に、修院長は、フェリペに司祭叙階のために、再びメキシコに戻るようにと命じました。司祭叙階というのは、司祭になるための「任命按手式」のようなものです。 その時、メキシコに戻るために乗ったガレオン船が「サン・フェリペ号」だったのです。そしてその「サン・フェリペ号」が、メキシコに向かう途中に難船し、日本の土佐沖に漂着してしまいます。  そして彼は捕らえられ、殉教者の中に入れられたのです。
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2018年08月25日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

 フェリペは、若き青春時代には、放縦な生活をしていました。それでも一度は、どこかに神さまの攻める声を聞き、悔い改めてフランシスコ会修練会に入会をします。しかし結局は、すぐに元の生活に、戻ってしまいました。 それからしばらくして、彼の事を心配する両親は、彼を何とかまじめな人間にしようと考えて、商業に従事させるため、フィリッピンに送ります。フィリッピンに渡った彼は、やがて安逸な生活にも飽き、再び決心して、マニラのサン・フランシスコ修道会に入会させてもらおうと願いに行きます。 院長は、すぐには受け入れず、その申し出を主の前で祈り熟考した末に、彼を受け入れることにしました。
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二十一  最初の殉教者ーフェリペ

「彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(マルコの福音書15章21節)

西坂の丘で26人の処刑が始まりました。 最初に天国へのやりを受けて殉教したのは、フェリペでした。 彼はイスパニア(スペイン)人の両親のもと、メキシコで生まれフランシスコ会修道士でした。とは言っても、本当は落ちこぼれだったのです。
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2018年08月24日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

最初の殉教者

最初にやりを受けて殉教したのは、メキシコ人のフランシスコ会修道士フェリペでした。それは、彼のつけられていた十字架の支え木が、下に寄り過ぎていて、全身の重みが、鉄の首枷(かせ)にかかってしまい、彼は声を出すこともできずに、窒息してしまいそうになっていたからです。 半三郎は、このメキシコ人フェリペの苦しみを見て、執行人に合図をしま人をした。それで2人の執行人は、このメキシコ人をやりで突き刺し、苦しみを取り除き断ち切ったのです。 十字架の上でけいれんが起こり、開かれた胸からは、2つの血の泉が噴出しました。ついに、殉教の血が流されたのです。この最初の殉教者フェリペは、日本に来て、まだ4か月しかたっていませんでした。 しかも、日本に来る予定ではなかったのに、船が難破して日本に来てしまったのです。 その彼が、日本で最初の殉教者となったのです。彼のことについては、次の章で、詳しく書くことにしましょう。
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2018年08月23日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

最初の殉教者


当初、両端の十字架につけられている者たちから、やりで殺されることになっていました。ところが、最初にやりを受けて殉教したのは、メキシコ人のフランシスコ会修道士フェリペでした。
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