2019年07月22日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

神の御手
フェリペは、決して優等生では、ありませんでした。それどころか、本当は司祭にもなれなかったかもしれない落ちこぼれだったのです。そのフェリペを、主は、選ばれたのです。彼が選んだのではありませんでした。むしろ彼にとっては、強いられた十字架だったと言えるでしょう。彼は自分でえらぶことは、できなかったのですから。それでも彼は、心から喜んでいました。殉教者に選ばれたことも彼はすべてのことの中に、神の御手を見ていたからです。

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2019年07月21日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

最後に来た最初の殉教者
こうして26人の殉教者の中で、にほんに最後に来たフェリペが、日本で最初の殉教者となりました。しかも日本に来るつもりでなかったフェリペが、日本で最初の殉教者に選ばれたのです。時にフェリペ24歳。彼は、日本に来て、まだ4カ月しかたっていませんでした。しかし主が彼を、そうです、このフェリペを、日本の最初の殉教者に選ばれたのです。
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2019年07月20日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

それから2年経った時に、修練長は、フェリペに司祭叙階のために、再びメキシコに戻るようにと命じました。司祭叙階というのは司祭になる「任命按手式」のようなものですその時、メキシコに戻るために乗ったガレオン船が「サン・フェリペ号」だったのです。そしてその「サン・フェリペ号」がメキシコに向かう途中に難船し、日本の土佐沖に漂着してしまいます。そして彼は捕らえられ、殉教者の中に入れられたのです。
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2019年07月19日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

それからしばらくして、彼の事を心配する両親は、彼を何とかまじめな人間にしようと考えて、商業に従事させるため、フィッリッピンに送ります。フィリピンに渡った彼は、やがて安逸な生活にも飽き、再び決心して、マニラのサン・フランシスコ修道会に入会させてもらおうと願いに行きます。院長はすぐには受け入れず、その申し出を主の前で祈り熟考した末に、彼を受け入れることにしました。
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2019年07月18日

二十一  最初の殉教者ーフェリペ

彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(マルコの福音書15章21節)
西坂の丘で26人の処刑が始まりました。最初に天国へのやりを受けて殉教したのは、フェリペでした。彼はイスパニア(スペイン)人の両親の下メキシコで生まれたフランシスコ会修道士でした。とは言っても、本当は落ちこぼれだっのです。フェリッペは若き青春時代には、放縦な生活をしていました。それでも一度は、どこかに神さまの責める声を聞き、悔い改めてフランシスコ会修練会に入会をします。しかし結局は、すぐに元の生活に、戻ってしまいました。
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2019年07月17日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

半三郎は、、このメキシコ人フェリペの苦しみを見て、執行人に合図をしました。それで2人の執行人は、このメキシコ人をやりで突き刺し、苦しみを取り除き断ち切ったのです。十字架の上でけいれんが起こり、開かれた胸からは、2つの血の泉が噴出しました。ついに、殉教の血が流されたのです。この最初の殉教者フェリペは、日本に来て、まだ4カ月しかたっていませんでした。しかも、日本に来る予定ではなかったのに、船が難破して日本に来てしまったのです。その彼が,日本で最初の殉教者となったのです。
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2019年07月16日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

最初の殉教者
当初、両端の十字架に十字架につけられている者たちから、やりで殺されることになっていました。ところが、最初にやりを受けて殉教したのは、メキシコ人のフランシコ会修道士フェリペでした。それは、彼のつけられていた十字架の支え木が、下に寄り過ぎていて、全身の重みが、鉄の首枷にかかってしまい、彼は声を出しこともできずに、窒息してしまいそうになっていたからです。
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2019年07月15日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

パウロ三木は十字架の上で、最後まで福音を語りながら、天国の希望とキリストの十字架による赦しを、語り続けていました。4000人にも及んだと言われる 集まってきた見物人たちは、少年たちの銀の鈴のような声に合わせて、主を賛美し始めました。そして、それはやがて大合唱となっていきました。そして十字架の上から語られるイエス・キリストの福音に、聞き入っていました。もはやそこは、処刑場ではなく、天国が、そこには、降りてきていました。

そして26人の処刑が始まったのです。
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二十  西坂の丘でー殉教始まる

パウロ三木は十字架の上で、最後まで福音を語りながら、天国の希望とキリストの十字架による赦しを、語り続けていました。4000人にも及んだと言われる 集まってきた見物人たちは、少年たちの銀の鈴のような声に合わせて、主を賛美し始めました。そして、それはやがて大合唱となっていきました。そして十字架の上から語られるイエス・キリストの福音に、聞き入っていました。もはやそこは、処刑場ではなく、天国が、そこには、降りてきていました。

そして26人の処刑が始まったのです。
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2019年07月14日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

大名になる誘いを断って 神を選んだ12歳の少年ルドビゴ茨木は十字架の上で 高らかに詩篇113篇を賛美しています。その隣で13歳のアントニオが、声を合わせて「子らよ。主をたたえまつれ」と賛美しています。彼は、まだイエスさまを信じていない両親が 「十字架から降りてきてと絶叫した時に「喜んでください」と言ったのです。 2人の銀の鈴のような声が、西坂の丘に、こだましています。
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二十  西坂の丘でー殉教始まる

1596年12月に京都と大阪で捕らえられ、翌1597年1月3日に耳そぎをされて 始まった彼らの殉教への旅も、ついに終わる時がきました。 1597年2月5日、西坂の丘に26本の十字架が立ちました。26人の殉教者たちは、キリストと同じように、その十字架につけられていました。くぎ打たれたわけではありませんが、その手足は、しっかりと鉄枷で留められていました。
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2019年07月13日

二十  西坂の丘でー殉教始まる

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネの福音書12章24節)
西坂の丘に、少年ルドビゴ茨木 とアントニオの 詩篇113編賛美の声が、こだまします。その声に合わせて、見物に来ていた人たちが、大合唱を始めます。彼の最後のメッセージは「十字架の赦し」でした。
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十九  十字架の上からの説教

パウロ三木の語った御言葉は 決してむなしく、この長崎、そして日本に落ちることはないでしょう。これから始まる、この地での大いなる収穫のリバイバルの中で、主は報いてくださるのです。今、生きている私たちを用いて。
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2019年07月12日

十九  十字架の上からの説教

報いーリバイバル
死を前にしてパウロ三木は、目の前にいる人々の救いを願っていました。彼の心は、自分自身の命のことではなく、彼を殺そうとしている人々の救いにあったのです。日本に、このような殉教者が、かっていたのです。十字架につけられても、赦し続け、十字架の福音を語り続けた伝道者が。
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2019年07月11日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら
さらにパウロ三木は、死刑執行人の責任者であり 彼の旧友でもあった寺沢半三郎の方を見やり、さらに役人や執行人をみながら、はっきりと、こう続けて語ったのです。「私は、私に死刑を命じた太閤さまを、赦します。半三郎を赦します。役人を赦します。今まさに、ここにいる私をやりで殺そうとしている執行人を赦します。何故なら、イエス・キリストが私の罪を赦してくださったからです。イエス・キリストは あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈れと言われました。ですから、この死罪について、太閤さま始めお役人衆に、私は何の恨みも抱いてはおりません。ただ私の切に願いまするのは、太閤さまをはじめ、すべての日本人が、イエス・キリストを信じて救いを受け、キリシタンとおなりになることでございます」
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2019年07月10日

十九  十字架の上からの説教

彼は、さらには続けて語ります。ますます激しさを増しながら。「はばからずに申し上げます。確かに私はイエス・キリストを宣べ伝えました。そして、その理由で殺されるのを、私は喜んでおります。神様から頂いた、この殉教のお恵みを、心から神様に感謝申し上げます。人が死に臨んで、真実のみを申し上げています。私のいう事を、どうか信じてください。この方イエス・キリストによるほか以外に 救いの道のございませぬことを確信をもって申し上げまする」人々は、パウロ三木の語る言葉に、引き寄せる説教られていきました。それほどの力強さと激しさが、パウロ三木の説教にはあったのです。
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2019年07月09日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら
「ここにおられるすべての方々、私のいう事をお聞きください」その声に、人々は思わずも耳をそばだてて聞き入ります。「私はフィリッピンから来たルソン人ではございません。れっきとした日本人でございます。そして最後の説教が、イエズス会の修道士でございます。私は何の罪も犯したわけではございません。ただイエス・キリストの福音を宣べ伝え、その教えを広めたという理由だけで殺されるのです」
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十九  十字架の上からの説教

「ここにおられるすべての方々、私のいう事をお聞きください」その声に、人々は思わずも耳をそばだてて聞き入ります。「私はフィリッピンから来たルソン人ではございません。れっきとした日本人でございます。そしてイエズス会の修道士でございます。私は何の罪も犯したわけではございません。ただイエス・キリストの福音を宣べ伝え,その教えを広めたという理由だけで殺されるのです」
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2019年07月08日

十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら
イエズス会士の修道士(イルマン)パウロ三木は、京都で捕らえられてから、この西坂の丘に着くまで、ひとびとに福音を語り続けて歩いて来ました。そして最後の説教が、この十字架の上からの説教だったのです。彼の罪状書きには、こう書いてありました。「この者どもはフリッピン、ルソンの使節と称し、日本に来たり・・・」それを見て、パウロ三木は、十字架の上で身を乗り出し、群衆を見据えて、大声で叫びました。
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十九  十字架の上からの説教

十字架の上から赦しながら
イエズス会士の修道士(イルマン)パウロ三木は、京都で捕らえられてから、この西坂の丘に着くまで、人々に福音を語り続けて歩いて来ました。そして最後の説教が、この十字架の上からの説教だったのです。かれの罪状書きには、こう書いてありました。「この者どもはフィリッピン、ルソンの使節と称し、日本に来たり・・・」それを見て、パウロ三木は十字架の上で身を乗り出して、群衆を見据えて、大声で叫びました。
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2019年07月07日

十九  十字架の上からの説教

そのとき、それまでに極悪犯罪人の処刑場だったこの場所に、天国が降りてきたのです。主の深い臨在が、その場を包んでいました。そのご臨在の中で、十字架の上から声を上げ説教を語り始める者がいました。それがパウロ三木でした。
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2019年07月06日

十九  十字架の上からの説教 

「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節)
1597年2月5日、西坂の丘に26本の十字架が立ちました。26人の殉教者たちとともに。その中にいた12歳の少年ルドビゴ茨木と13歳のアントニオが、声を合わせて詩篇113篇を主に向かって高らかに賛美しました「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。その銀のような声が、西坂の丘に響き渡ります。するとその声に合わせて、見物に来ていた4000人ともいわれている人々が、この少年たちに合わせて賛美し始めたのです。
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2019年07月05日

十八  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

西坂の丘に立つ26本の十字架
26人を殺す刑執行人たちが、一人一人を十字架につけ始めました 手足と首を、まず鉄枷(かせ)で止め、腰、をひもで結んで、体を固定させ、ぴったりと十字架につけました。そして、掘ってあった穴の縁に、十字架の根元を当てて、徐々にすべらせ、ついに十字架は穴に立てられたのです。本一本、十字架が立てられていったのです。殉教者たちとともに、そしてついに26本の十字架が、西坂の丘に立てられました。26人の殉教者たちとともに。
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2019年07月04日

十八  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

少年ルドビゴ茨木
その中に26人の中で最年少の12歳の少年、ルドビゴ茨木がいました。彼は佐賀唐津の山本村で寺沢半三郎の「養子になれ」との申し出を断って、神さまを選んで、喜んで、この殉教の丘である西坂の丘にきたのです。「私のかかります十字架は、どれですか」役人は彼を見て、彼が一番小さな少年であることが分かると、「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番小さいあの十字架だ」と指差しました。するとルドビゴ少年は、にっこりとほほ笑んで、その十字架に駆け寄り、その一番小さな十字を抱きしめて、ほおずりし、口ずけしたのです。
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2019年07月03日

十八  西坂の丘ー自分の十字架を抱きしめた26人

26人の殉教者たちは、午前9時半ごろ西坂の丘に着いたと言われています。彼らは西坂の丘に着き、自分のかけられる十字架がどれかを役人に示されると、その自分の十字架に向かって小躍りしつつ走り寄り、その自分のつけられる十字架を強く抱きしめたのです。
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