2018年05月23日

五  選び2−「戻り橋」

戻り橋」

 秀吉は、この24人に対して、キリシタンたちが、たくさんいる長崎で処刑することを命じます。彼らの処刑を通して、長崎にいるキリシタンたちをはじめ、人々への見せしめとして、キリシタンたちの信仰を失わせようとしたのです。 まずその手始めに、京都で24人の鼻と両耳をそぎ、惨めになった彼らの姿を 大阪、堺、京都などの主な町々で引き回せと命令しました。 ししかし、キリシタン大名と親交のあった当時の京都奉行の石田光成が、秀吉に彼らの減刑を申し出、左の耳たぶを切るだけで許されました。
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2018年05月22日

五  選び2−「戻り橋」

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節) 

 

 二十六聖人が、最初に捕らえられたのは、京都と大阪の教会でした。最初、彼らは24人でしたが、長崎に向かう道中で身の回りの世話をするために付き人としてついてきていたペトロ助四郎とフランシスコ吉が殉教者の中に加わり、26人となります。 最初に捕まった24人は、6人のフランシスコ会士であった外国人神父と 3人の日本人イエズス会士、それに15人の日本人信徒(キリシタン)でした。彼らは伝道士や伝道士見習いはもとより、元僧侶、武士や商人など、いろんな立場と職業の人たちでした。その中には3人の子どもも 含まれていました。 ただ、この最初の殉教者の中には、女性はふくまれていませんでした。 もちろん、この後、多くの女性たちが殉教していくことになりますが・・・。

 
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2018年05月21日

四  選び1−マチヤス  

神を選んだマチヤス

 そしてその彼を、神も選ばれたのです。彼は誰かの強制や押し付けではなく、自らの意志をもって、殉教という道を選び、神も彼を殉教者として選ばれたのです。神によって、彼は殉教者の一人として選ばれ、受け入れられたのです。 確かに、神さまは、神を選ぶ者を、選んでくださるのです。  今もって、彼の生誕地も年齢も受洗日も分かっていません。 しかし彼の名は、天にしっかりと刻まれていることでしょう。この後、殉教していった多くの名も知られていないクリスチャンたちとともに、天に間違いなく、彼の名は書き記されているのです。
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2018年05月20日

四  選び1−マチアス

神を選んだマチヤス
 全く別人の、しかし洗礼名が同じマチヤスが役人の前に出てきたのです。頭数をそろえなければいけない役人は、このマチヤスを見て、料理人のマチヤスを捜そうともせず、お前でいいと、喜んでこの男を捕まえたのです。こうして彼は、捕縛吏の役人たちに、受け入れられました。 そしてそれは、殉教者の中に加えられたことを意味しました。もちろん、マチヤスもそのことを知っていました。知っていて、彼は殉教者の中に自らを委ね、殉教者となることを選んだのです。そしてその彼を、神も選ばれたのです。 彼は誰かの強制や押し付けではなく、自らの意志をもって、殉教という道を選び、神も彼を殉教者として選ばれたのです。神によって彼は殉教者の一人として選ばれ、受け入れられたのです。 確かに、神さまは、神様を選ぶ者を、選んでくださるのです。今もって、彼の生誕地も年齢も受洗日も 分かってはいません。しかし彼の名は、天にしっかりと刻まれていることでしょう。この後、殉教していった多くの名も知られていないクリスチャンたちと共に、天に間違いなく、彼の名は書き記されているのです。
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2018年05月19日

四 選び1−マチヤス

神を選んだマチヤス

 捕縛吏の一隊が、秀吉の命令で京都の教会に足を踏み入れた時、捕縛吏たちの手には捕縛者名簿が握られていました。 彼らはその名簿に従って、一人一人の名前を読み上げながら、返答する信徒を確認し、人定めをしていました。「マチヤス」「マチヤス」捕縛吏が何度もマチヤスの名を呼びました。しかしマチヤスは答えません。 このマチヤスは料理人でした。ですからマチヤスはこの時、買い物に行っていたのだという人もいますが本当のところは分かりません。そうかもしれませんし、いたけれども恐ろしくて答えられなかったのかもしれません。料理人のマチヤスの答えは、無かったのです。それでも「マチヤス」「マチヤス」としっこく連呼する役人に、一人の青年が捕縛吏の前に進み出て、答えました。「私の名もマチヤスです」と。彼の洗礼名も同じマチヤスだったのです。
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2018年05月18日

四  選び1−マチアス

殉教のきっかけーサン・フェリペ号

1596年10月、一隻の巨大なガレオン船が四国の土佐沖に現れ、裏戸の桂浜に座礁しました。これはスペインの商船サン・フェリペ号でした。 そしてこの事件がきっかけとなって、時の権力者、太閤秀吉はフランシスコ会士を中心に京都と大阪にいた24人のキリシタンたちに逮捕命令を出したのです。後に、この24人は26にんになります。
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2018年05月17日

四  選び1−マチヤス

 「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節)

1597年2月5日、西坂の丘に建てられた26本の十字架につけられて、日本最初の殉教者「日本26聖人は」殉教していきました。 彼らが京都と大阪で捕らえられてから、ひと月以上の月日が過ぎていました。 なぜ彼らが選ばれ、どうして突然、時の権力者、太閤秀吉が26人に殉教を命じたのか。それに関しては多くの人々が歴史を研究し、いろんな考察がなされています。ここでは、それは本題ではないので論じません。 ただ確かに言えることは、彼らはキリストを唯一の救い主と信じ、イエス・キリストを喜んで人々に伝えていたということです。それゆえに捕らえられてしまいました。しかし彼らは、それを喜んでいました。そして彼らは、たとえ殺されても、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、語ることを止めることはしませんでした。彼らは、この地上での命より、キリストとともにいることの喜びの方が、はるかに勝っていることを知っていたのです。 これから読者の皆さんと共に、26人の足跡をたどりながら、彼らの殉教への旅に出たいと思います。
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2018年05月16日

三  序章3ーエンディングストーリー

 二十六聖人をはじめとする殉教者たちの物語りは、その時、完結します。 なんという恵みでしょうか。 神様は私たちを通して、最終章である「リバイバル」を書いて下さるのです。 この終わりの時代に生きる私たちに最終章、エンディングストーリーを書く使命を与えてくださったのです。 さあ、このエンディングストーリーを書くために、私たちはこれから二十六聖人をはじめとする殉教者たちに目を向けていきましょう。彼らを通して、主が私たちに語ってくださる御声に耳を傾け、彼らの殉教への歩みを通して語られるメッセージに、心を開いて学びましょう。 これから始まる魂の大収穫、大いなる刈り取り、リバイバルに備えるために。 
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2018年05月15日

三  序章3ーエンディングストーリー

 殉教者たちの物語は、まだ終わってはいません。完結していないのです。 殉教者たちの血の報いである魂の大収穫、リバイバルがこの国を訪れるその時、彼らの物語は完結します。 私たちが今、二十六聖人をはじめとする殉教者たちの足跡をたどり、彼らから神さまの語りかけを受けようとしていることの目的は、ここにあります。 命をかけてまで主に従い通した殉教者たち、彼らから、そのバトンをしっかり受け継いで、この終わりの時代を私たちは走り抜くのです。 
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2018年05月14日

三  序章3ーエンディングストーリー

 殉教者たちの物語は、まだ終わっていません。完結していないのです。 殉教者たちの血の報いである魂の大収穫、リバイバルがこの国を訪れるその時、彼らの物語は完結します。 私たちが今、二六聖人をはじめとする殉教者たちの足跡をたどり、彼らから神さまの語りかけを受けようとしていることの目的は、ここにあります。 命を懸けてまで従い通した殉教者たち、彼らから、そのバトンをしっかりと受け継いで この終わりの時代を 私たちは走りぬくのです。 
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2018年05月13日

三  序章3−エンディングストーリー

 キリストを愛して命をささげていった日本二十六聖人、そして彼らに続いて殉教していった数多くの殉教者たち。 私たちは今から彼らの足跡をたどり、彼らから多くのことを学びたいと思います。しかし、それは単なる歴史の勉強をしようとしているのではありません。  世界中で、今もキリストのゆえに殉教している人々は数多くいます。キリストが十字架で私たちの罪を贖い、復活されて救いを完成してくださった時から、現代に至るまで、キリスト教は迫害と殉教の歴史と共に成長し発展してきたといっても過言ではないでしょう。多くの殉教者たちの血と祈りの上に、いつも大きなリバイバルが訪れ、そしてその国や地域は、キリストに捕らえられ、変えられてきたのでです。 しかし日本においては二十六聖人以来、これほどの多くの殉教者を出しながら、いまだにリバイバルを見ていません、殉教者たちの血の報いと祈りの答えである魂の大収穫、リバイバルは、まだ日本には訪れていないのです。 主の特別な計画が日本にはきっとあるのでしょう。
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2018年05月12日

二  序章2

 天に帰る時が来て、召されたならば、もちろんキリスト教式で葬儀をなし、法事などはするわけはありません。そうすると、神社もお寺も、収入が大幅に減ってしまいます。 リバイバルが起こって 真のクリスチャンが爆発的に増えたなら、お寺や神社は当然、今までのようには、お金は入ってこなくなります。その時彼らは決して黙ってはいないでしょう。必ず、大義名分を言いながら、迫害が始まってくることでしょう。 国家的なレベルでの迫害が、再び日本で起こらないとは、誰も断言できないのです。 私はこれから日本最初の殉教者である「日本二十六聖人]の足跡を読者の皆さんとともにたどりながら、過去に起こった殉教の歴史を、ただ単に学びたいと思っているのではありません。  この終末の兆候を示し始めている現代とという時代を生きている私たちが、 来るべきキリストのいのちの中を生きるために必要なことを、彼らの殉教の歩みを通して、共に主から教えられたいのです。
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2018年05月11日

二  序章2

 しかし、日本の歴史を調べてると、この国はキリストを信じる者たちに対して決して寛大な国ではなかったことがわかります。 いやむしろ、殉教者の数においても、殉教の内容、つまり殺され方や迫害や拷問のされ方においても、世界有数の殉教国と言えるのです。日本で殉教した人の数は、少なく見積もっても30万人はいます。多く言う方は100万人を超えるといいます 日本は確かに、キリスト教には、寛容ではありませんでした。今はクリスチャンの数が少なく、社会的な力も経済力も影響力もないので、命にかかわるような迫害はありませんが、やがてこの国にリバイバルが訪れ、大群衆をなして人々が教会の礼拝に殺到し、何千万もの人々がボーン・アゲイン(新生)をして真のクリスチャンになったならば、必ず迫害が再び始まってくるでしょう。 真にボーン・アゲインしたクリスチャンならば、初詣でには行かず、教会の元旦礼拝に行くはずです。七五三の時も、車を買った時も、厄年の時も、神社に行ってお祓いなどはしないでしょう。 

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2018年05月10日

二  序章2

  私も、実をいうと、初めは「殉教」という言葉を聞いても、あまり現実味を感じませんでした。しかし、いま私が属している教会に導かれ,そこで説教や預言を通して「殉教」ということを聞き、また長崎に何度か導かれ「日本二十六聖人」のことを調べていくうちに「殉教」ということが、自分自身にもかかわる問題として迫ってきたのです。 確かに日本にいると、先ほども書きましたが、殉教というのは何か遠いことのように思えてきます。それだけ日本が平和だということでしょうか。とはいえ、日本もずいぶん以前に比べれば、治安が悪くなってきました。危険があちこちに転がっています。天災・人災を通うして、たくさんの人が一時に亡くなってしまう大量死の時代がやってきたようなきがします。しかし、それでもやはりキリストを信じているから殺されるということは、まだピンと来ないのではないでしょうか。
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2018年05月09日

一  序章T

しかし出会わない日本人がいるのです。それは、クリスチャンです。クリスチャンのグループとは、イスラエルやアメリカなどで少し会うぐらいだけなのです。 日本のクリスチャンは、ほとんど海外に宣教のために出て行っていないのです。 ですから「殉教」ということを聞くと、何か極端で現実味のない話のようにしか聞こえないのでしょう。 しかし、もし私たちが本気で主の命令である大宣教命令に応答し、世界宣教・海外宣教に取り組んでいくならば「殉教」ということは、極端な話ではなく、宣教といつも隣り合わせにあるということに気付くことでしょう。
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2018年05月08日

一  序章T

 現代は、殉教者が今までで一番多い時代がと言えるのです。 それにもかかわらず、日本にいると、それが何か遠い話のように感じてしまいます。 それは私たち日本のクリスチャンが、あまりにも世界に宣教のために出て行っていないからなのです。
私は主の恵みによって今まで35か国以上の国を訪れる機会がありました。アジア・アフリカ・ヨーロッパ・北米・中南米等、豊かな国にも貧しい国にもいきました。 そして知ったのです。どこに行っても日本人はいます。商社マンをはじめとするビジネスマン、そして観光客いろんな団体やグループがきています。時には個人の旅行者もいますが、どこに行っても日本人に会います。
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2018年05月07日

一  序章T

 殉教というと、今の日本では何か極端な話のように聞こえるかもしれまん。 確かに日本では信仰の自由は憲法で保障されていますし、実際、キリスト教を信じたからといって身に危険を感じたり、命を失ったりということは、今の日本では、まずないことでしょう。しかし、それだからといって、今はもう殉教の時代ではないのかというと、そうではないのです。 私たちの目を世界に向けるならば、20世紀は歴史上、最も多くのクリスチャンが殺された世紀でした。そしてその勢いは、21世紀に入っても衰えるどころか、ますます激しくなってなってきています。

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2018年05月06日

1 @ 一 序章T

 1597年2月5日、日本で初めての殉教がありました。 今から400年以上も前の事です。時の権力者太閤秀吉によって、24人のキリシタンたちが、大阪・京都で捕らえられました。彼らは、ひと月以上かけて長崎まで連れて来られて、西坂という丘の上で十字架につけられて殺されたのです。24人の身の回りの世話をするために、一緒に付き人としてついてきていた2人も途中で殉教者の中に加わり、西坂の丘で殉教した時には26人になっていました。 彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれています。
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2018年04月28日

殉教 天国への希望と喜び

あとがき

 教会に行くと必ずあるもの、それは十字架です。この十字架でイエス・キリストはご自分の命まで捨ててまで、私たちへの愛を示されたのです。 イエス・キリストは何一つ罪を犯されませんでした。 しかし私たちが自分で、どうすることもできない罪と、弱さと、その結果もたらされるすべての呪(のろ)いと病気を、イエスキリストは、ご自分の身に負って、私たちの身代わりになって十字架で死んでくださったのです。 そして、十字架で死ぬ直前に、こう言われました。「完了した」と。 罪の代価はすべて払われました。私達は、ただ自分の罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架を信じるだけで、その時全く新しく生まれ変わることができるのです。 そのことを、かっての浦上の人たちは知っていました。 しかし今、かって浦上の人たちが命をかけて守り続けたもの。「キリストへの信仰」 それはどこにあるのでしょうか。 時代は終末の様相を示してきています。 今こそ私たちは目を覚まして、キリストへの信仰を取り戻し、キリストとともに神さまの用意された本当の祝福の道を歩むべき時なのです。
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2018年04月27日

殉教 天国の希望と喜び 

あとがき
   
  「ウラカミ・ウラカミ」そう叫ぶ人々の声が、ベルギーのブルッセルでこだましました。今から130年ほど前の昔です。そして、この叫びが250年間禁止されていたキリスト教を、この日本の国で自由にしたのです。「ウラカミ」。彼らが叫んだのは、まぎれもなくこの本に書いた浦上の事です。この浦上には命をかけてキリストを信じ続けた人々がいました。江戸時代の迫害下にあっても隠れキリシタンとして信仰を守り続け、信仰が自由になる日を信じて待ち続けた人々が、この浦上にはいたのです。なぜ彼らは何代にもわたって命をかけてまで、イエス・キリストへの信仰を、守り通したのでしょうか。
それはイエスキリストが命をかけて、私たちを愛してくださったからです。
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殉教 天国の希望と喜び 

あとがき
   
  「ウラカミ・ウラカミ」そう叫ぶ人々の声が、ベルギーのブルッセルでこだましました。今から130年ほど前の昔です。そして、この叫びが250年間禁止されていたキリスト教を、この日本の国で自由にしたのです。「ウラカミ」。彼らが叫んだのは、まぎれもなくこの本に書いた浦上の事です。この浦上には命をかけてキリストを信じ続けた人々がいました。江戸時代の迫害下にあっても隠れキリシタンとして信仰を守り続け、信仰が自由になる日を信じて待ち続けた人々が、このへの上にはいたのです。なぜ彼らは何代にもわたって命をかけてまで、イエス・キリストへの信仰を、守り通したのでしょうか。
それはイエスキリストが命をかけて、私たちを愛してくださったからです。
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2018年04月26日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに

 浦上のキリシタンたちの歴史を見てきましたが、そこには、主を愛して従う者に対する 主の真実を見ることができます。

 彼らは待たされました。しかし主は 遅れることなく、ご自身の約束の時に、彼らを迫害から救い、助け出されました。


 主は決して 裏切らないお方、約束を守られるお方、真実なお方です。
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2018年04月25日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

  悲しみを喜びに


   そして1880年、高谷庄屋屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。 しかし、キリシタン流配の処分を出した後、当主は死亡し、長男は懲戒のため高島炭鉱に送られている時、ガス爆発により死亡しています。その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて生計を立てるのに困り、ついに敷地から邸宅に至るまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、村を立ち退くことになったのです。 浦上の信者は、何とかしてこの敷地を手に入れようとして祈り、そしてついに、わずか1600円で買い取ったのです(当時はコメ10キロ44銭)。

  かって絵踏みをさせられた場所で、彼らはミサを行いました。主は彼らの涙を覚えておられ、迫害と殉教という火の試練を通した後に、彼らの悲しみを喜びに変えられたのです。

主は真実なお方です。そして主は正しく裁いて下さるお方です。
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2018年04月24日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

 悲しみを喜びに

   「旅」から帰ってきた浦上のキリシタンたちには、切なる願いがありました。それは神の家、つまり聖堂を建てることでした。彼らは、ミサのために毎日曜日ごとに大浦天主堂まで歩いて通わねばならなかったのです。彼らは、それでもうれしくてたまりませんでした。けれども、その日の糧を得るにも、きゅうきゅうとしていた信者たちにとって、それは時間的にも大きな困難でした。そこで浦上に仮聖堂を建てる計画を作り、まずは適当な場所を探しました。そこで、瓦ぶき平屋で、200人ぐらい収容できる離れ座敷を仮聖堂にあてました。しばらくは、ここに、大浦からポアリエ神父が通っていましたが、聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。
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2018年04月23日

四十五  浦上四番崩れ9ー悲しみを喜びに

 試練を用いる神

  250年にも及ぶ弾圧と迫害の後に、やっと6年間の流配から解放されて信仰の自由を得たと思った途端、赤痢、台風、天然痘という人間的に見れば悲惨と思えることの中の連続の中で、彼女たちは、神を呪ったり恨んだりするのではなく、もちろん運命だと言ってあきらめるのでもなく、むしろその中で、神が用意されていた最善の道を見出していったのです。 愛である方、主イエスへの彼女たちの持っていた信頼、この信仰が祈りとともに働いて、多くの痛んでいた小さな者たち(孤児や捨て子)を助ける主の救いの手として働く道へと導かれていくのです。

私たちの人生の中にも、いろいろな試練がゆるされます。 しかし試練が私たちを主から離すのではないということを、浦上のキリシタンの歴史を見るときに思わされます。むしろ試練は、私たちの信仰を練り清めて、私たちに主が用意されている道へと、私たちを導いてくれるのです。

主は愛の方、そして最善以外、私たちに決してなさらないお方だからです。
posted by 日本教会史 at 07:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする