2017年03月04日

バスチャンの日繰り@

この地下組織のほかに、
もうひとつ彼らが250年間
信仰の灯をともし続けるのに大きな原動力となったものがあります。
それは神父たちが殉教してしまった後に、
信徒を指導していた日本人伝道士
バスチャンの存在でした。
彼の洗礼名はセバスチャンと言いましたが、
略してバスチャンと呼ばれていました。
彼の日本名はいまもわかっていません。
彼は「バスチャンさまの日繰り」という、
1934年の大陰暦によるキリシタン暦
(受難週や復活祭、聖霊降臨日や降誕節など)
を残しました。
この影響は非常に大きなものがあります。

2017年02月28日

浦上四番崩れA

その結果、浦上のキリシタンたちはついに捕らえられ、牢に入れられてしまいました。
まず指導者の68人が最初に捕まりました。
そしてこの問題を解決できぬまま、
江戸幕府は倒れてしまうのです。


かわった明治新政府は神道を中心に天皇政治を目指したため、キリシタンに対しては迫害の手をゆるめるどころか、ますます厳しくなりました。
そのため、キリシタンへの迫害と弾圧は外交上の問題となりました。
明治6年、すなわち1873年になってやっとこの問題は解決し、キリストを信じることが認められたのです。
しかしそのためには
浦上四番崩れ」と言われている明治政府によるキリシタン弾圧の中での厳しい迫害と殉教を通過しなければならなかったのです。

2017年02月26日

浦上四番崩れ@

今月から浦上四番崩れについて書いていきたいと思いますが、その前にいままでに書いてきたことを簡単にまとめておきます。
激しい迫害の中で潜伏したキリシタンたちは、バスチャンの残した予告を信じ7代250年の間、告白を聞いてくれる神父が来るのを待ち続けていました。
そして予告どおり、7代250年たったときに、神父がついにやってきました。

「ワタシノムネアナタノトオナジ」
この言葉をもって復活したキリシタンたちは、うれしくてたまりません。
それまで隠れて待ち続けてきたキリシタンたちは、毎日のように天主堂に通い、
熱心に祈り、御言葉を学びました。
けれどもまだ、日本はキリスト教を禁止していたのです。

2017年02月21日

バスチャンの日繰りC

ところがある日、大きな黒船がやって来たと言って人々が騒いでいます。
彼は小高い丘に登って、そのところを打ち眺めました。

「これじゃ。バスチャンさまの予言の黒船じゃ。
じゃが、わしはコンへソーロに会うてコンピサンを申すまで生きてはおらぬ。」

そう言って彼は涙をこぼしたのです。

また長崎港の近くに善谷という
カトリック信者の村があります。
もと禅定谷といっていましたが、
左八という水方が引率して
家族と2人の独身者が移住してきました。

2017年02月13日

バスチャンの4つの予告預言B

彼は涙を流してこう言ったのです。
「黒船の渡来も遠いことではないぞ。
コンヘソーロが来て、
コンピサン(告白)をきき、
罪科の赦しをいただける日は近づいた。
オラショも教えも大声でできるようになるぞ。
牛肉も食べられる世になるが、
それは金持ちや上っ方ばかりで
われわれ貧乏人の口にはのるまい。
その日が近づいたというのに、
このわしは何と不幸じゃ。
コンヘソーロに会うて
コンピサンを申すこともできないで死んでしまうが、
お前たち若いものは。
その時代を見ることができるのじゃ。」

2017年02月11日

バスチャンの4つの予告預言A

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。


バスチャンから7代たったときに
長崎の外海というところに形右衛門というひとりの
老人がいました。
彼は信仰篤い人で「コンヘソーロ(神父)」が来るのを
ずっと待っていました。

バスチャンの4つの予告預言@

バスチャンが残した4つの予告とは
次のようなものでした。

一、 お前たちを7代までは、
   わが子とみなすがそれからあとはアニマ(霊魂)の
   助かりが困難になる。

二、 コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に
   乗ってやってくる。
   毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

三、 どこでも大声でキリシタンの歌をうたって
   歩ける時代が来る。

四、 道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)

バスチャンの4つの予告預言@

バスチャンが残した4つの予告とは
次のようなものでした。

一、 お前たちを7代までは、
   わが子とみなすがそれからあとはアニマ(霊魂)の
   助かりが困難になる。

二、 コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に
   乗ってやってくる。
   毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

三、 どこでも大声でキリシタンの歌をうたって
   歩ける時代が来る。

四、 道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)

2017年02月04日

バスチャンの日繰り@

この地下組織のほかに、
もうひとつ彼らが250年間
信仰の灯をともし続けるのに大きな原動力となったものがあります。
それは神父たちが殉教してしまった後に、
信徒を指導していた日本人伝道士
バスチャンの存在でした。
彼の洗礼名はセバスチャンと言いましたが、
略してバスチャンと呼ばれていました。
彼の日本名はいまもわかっていません。


2017年02月03日

祈りによってC

「どんな強い人間でも、
あんな目にあわされたら、
人間の力だけではとてもしのぐことはできません。
私が転んだら天主さま、
また日本のたくさんの殉教者に対して
申しわけないと思い、
断食の祈りをささげ、
聖霊さまのお助けを祈っておりました。
聖霊さまのお力でしのげたのでございましょう」
と仙右衛門は答えました。

2017年01月29日

祈りによってB

仙右衛門は転んで牢を出された人より3日送れて、
転ばず信仰を守りとおし、
村(乙名)預けということで
浦上の村に帰されました。
そのとき村の人が仙右衛門に、
どうしてあんなひどい拷問をしのぐことができたのですかと聞きました。

2017年01月28日

祈りによってA

彼はただ単純に教えられたことを
信じて守っていただけでした。
毎金曜日にはキリストの
ご受難を思って断食をし、
祈りをしている人でした。

2017年01月27日

祈りによって@

ただひとり高木仙右衛門は転びませんでした。
この人は農民でした。
字は読めず、特別な学問を受けたわけでもなく、
見た目には弱そうな人で、
仲間さえ、どこからそんな勇気が出てくるのか
信じられないぐらいでした。

2017年01月24日

過酷な拷問F

役人は「あれを見たか、
あのような体になってから改心するよりも、
いま体の痛まぬうちに改心したらどうだ」と、
これから拷問を受けようとしている5人の者や、
まだ転び証文に爪印を押していない人たちに言いました。

2017年01月22日

過酷な拷問E

続いて次の5人も同じ目にあわせようとしました。
この拷問のありさまを見せられていた人たちの何人かは、
「これから毎日こんな目にあわされるなら、
とても信仰を守りとおすことはできない」と、
転び証文の自分の名前の下に爪印を押したのです。

2017年01月21日

過酷な拷問D

役人は「あれを見たか、あのような体になってから
改心するよりも、いま体を痛まぬうちに改心したらどうだ」と
これから拷問を受けようとしている5人の者や、
まだ転び証文に爪印を押していない人たちに言いました


2017年01月17日

過酷な拷問C

続いて次の5人も同じ目にあわせようとしました。
この拷問のありさまを見せられていた人たちの何人かは、
「これから毎日こんな目にあわされるなら、
とても信仰を守り通すことはできない」と、
転び証文の自分の名前の下に
爪印を押したのです。
それを見ていまひどい目にあった6人も
すっかり気を落としてしまい、
爪印を押してしまいました。

2017年01月14日

過酷な拷問B

水をかけると縄は、短く縮み、
肉にくい入り、皮膚は紫色に変わります。
そしてまた気絶してしまいます。
こうして6人は門口に引き出され、
捨て物のように転がされました。

2017年01月13日

過酷な拷問A

そして下に立った役人が棒とむちで
さんざんに打ちたたきます。
するとほとんど気絶してしまいます。
それから地面に引きおろして水をかけ、
正気に戻してくり返すのです。

2017年01月12日

過酷な拷問@

駿河問いという責め苦(ドドイとも呼ばれる)を受けるため、
6人が選ばれました。
これは両足を背中にそらせて、
両足首と両手首それに首、胸にも
縄を掛けてそれを背中の一箇所でくくり寄せ、
その縄を梁に巻き上げ、
身体を弓のようにそらせて、
つるすのです。
そして何回も身体を回して釣縄によりをかけて、
コマのように勢いをつけて
振り回し、
次によりを戻して逆に回転させます。

2017年01月11日

捕縛H

けれども桜町牢での拷問は
凄惨をきわめ、
その結果、ついに高木仙右衛門
ただひとりを残して
82人が転んでしまうのです。

2017年01月09日

捕縛G

10月5日、68人は再び小島牢から桜町牢に移されましたが、
そのときには彼らは83名となり、
2坪の四畳半の牢に38人が詰め込まれる有様でした。
それでも彼らは責められても苦しめられても信仰をこのときまでは守っていたのです。

2017年01月08日

捕縛F

また彼らが捕らえられたあとにも、
浦上では、死人が出たとき
坊さんを呼ばない人たちが次々に
桜町牢に入れられていました。

捕縛E

そうしている間にも、
「入牢者には拷問を加えない」という
外交団との約束は破られ、
長崎では捕らえられた68人に説得や
ひどい拷問が加えられました。

2017年01月06日

捕縛D

一方、キリシタンであるという信仰の問題だけで
捕縛投獄されたことに在留外国人は衝撃を覚え、
各国の領事は奉行に抗議しました。
さらにこの問題は幕府と各国外交団に移され、
毎日のように議論されました。
しかしキリシタン邪教観は強く、
なかなか解決しませんでした。