2016年11月19日

崩れG


信徒発見が起こる直前に大きな崩れが
許されたのは、とても興味深いことです。
250年待ち続けたことの成就を見る前に彼らは
帳方を失い、水方も一人しか残らないという
試練の中に置かれたのでした。

殉教ブログ.jpg

posted by 日本教会史 at 17:51| Comment(0) | martyrdom, 殉教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

人若し我に従わんと欲せばF


また、キリストが捕らえられたとき、
祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不法な裁判において大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みによって殉教という十字架につけられることを黙って引き受けたのです。



キリストがパリサイ人や律法学者たちの妬みによって十字架につけられたのと同じように・・・・。
また、キリストが捕らえられたとき、
祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不法な裁判において大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みによって
殉教という十字架につけられることを
黙って引き受けたのです。

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2016年08月18日

宣教@

彼らは己を捨てて自分に死んでいました。
でもそんな彼らにも、ただ一つの気がかりがあったのです。
天に帰ることを心から喜びながら、この世に残していくまだ救われていない魂のことを思うと彼らの心は激しく痛みました。

キリストへの迫害が始まったこの国の将来のことを思うと憂いがやってきました。
posted by 日本教会史 at 10:59| Comment(0) | martyrdom, 殉教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

最後の願いD

群衆を恐れ、自分の立場を守るためにイエスを群衆にわたして十字架につけたピラトのように、半三朗は秀吉を恐れ、自分の立場を守るために、殉教者たちの願いを退けたのです。


Like Pilatus who let people dominate Jesus with fear of people and purpose to keep his position,  Hanzaburo got afraid of Hideyoshi and refused wishes of martyrs to keep his own position.
posted by 日本教会史 at 08:50| Comment(0) | martyrdom, 殉教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

Martyrdom / 殉教:Those bearing their crosses with joy / 喜んで十字架をしのんだ人たち

殉教ー喜んで十字架をしのんだ人たち
第一回 福音は迫害と殉教によって

殉教は遠くの世界のことか
  「殉教」は、いまのような平和な日本においては現実味のうすい話です。まして殉教ということを真剣に受けとめて祈っている教会があるなら、多くの人に奇妙な印象を与えることでしょう。ところが、私の導かれた教会は、その殉教を真剣に受けとめて祈っている教会でした。
   私自身、この群れの中に導かれて殉教という言葉を初めて聞いたとき、とても遠いことのように思われ、とまどいました。けれども、聖書をひもといて御言葉を調べ、日本の教会の歴史を見ていくと、殉教は決して極端なことでも遠くの世界のことでもないと、気づき始めたのです。
   また、私たちが自分たちの国や自分たちの教会という枠をはずして、世界に私たちの目を向け、海外宣教に出て行くならば、殉教に対する意識は大きく変わっていくでしょう。
   いまは、宣教史上でもっとも多くの殉教者が出ていると言われている時代です。宣教史ににおいては、殉教は決して極端でもおかしなことでもなく、むしろ迫害と殉教の中でこそ、キリストの福音は宣べ伝えられ、広がり続けてきたと言っても過言ではないのです。


Martyrdom- those bearing their crosses with joy
No 1  The Evangelization was through persecution and martyrdom

Martyrdom is the matter that happens in a distant world?
   “Martyrdom” is the story of being detached from reality in a peaceful country like Japan. If found is the church that takes the matter of martyrdom seriously and is praying for it, it is sure that many people have odd sense. But the church I was led by God was the one that accepts the matter of martyrdom seriously and prays. 

   When I heard the word of martyrdom for the first time after being led to this church group, I was perplexed because I myself considered it’s still quite long before it would take place.  But, I got to notice that martyrdom is never radical or taking place in a distant world while searching the Scriptures of the Bible and observing the history of Christian churches in Japan.

   If we turn our attention on the world beyond our own country and our church, and go overseas to preach Gospel, we will change our attitude toward martyrdom.

   This is the age when most martyrs are allowed in the history of the evangelization.  Martyrdom is never radical or strange, and can safely be declared that the Gospel was preached and being reached out in persecution and martyrdom. 



posted by 日本教会史 at 17:55| Comment(0) | martyrdom, 殉教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする