2015年01月10日

浦上四番崩れー悲しみを喜びに

浦上に仮聖堂を建てる計画を作り、まずは適当な場所を探しました。
そこで、瓦ぶき平屋で、200人ぐらい収容できる離れ座敷を仮聖堂にあてました。
しばらくは、ここに大浦からポアリエ神父が通っていましたが、聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。

そして1880年、高谷庄屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。
 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。
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2014年02月26日

あとがきG

時代は週末の様相を示してきています。今こそ私たちは目を覚まして、キリストへの信仰を取り戻し、
キリストとともに神さまの用意された本当の祝福の道を歩むべき時なのです。
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2014年02月25日

あとがきF

そのことを、かつての浦上の人たちは知っていました。しかし今、かつて浦上の人たちが命をかけて守り続けたもの。
「キリストへの信仰」。
それは、どこにあるのでしょうか。

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2014年02月24日

あとがきE

そして十字架で死ぬ直前に、こう言われました。「完了した」と。罪の代価はすべて払われました。
私たちは、ただ自分の罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架を信じるだけで、
その時全く新しく生まれ変わることができるのです。

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あとがきD

イエス・キリストは、何一つ罪を犯されませんでした。しかし私たちが自分で、どうすることもできない罪と、弱さと、
その結果もたらされるすべての呪いと病気を、
イエス・キリストは、ご自分の身に負って、
私たちの罪の身代わりになって十字架で死んでくださったのです。

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2014年02月23日

あとがきC

教会に行くと必ずあるもの、それは十字架です。
この十字架でイエス・キリストはご自分の命を捨ててまで、
私たちへの愛を示されたのです。
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あとがきB

なぜ彼らは何代にもわたって命をかけてまで、イエス・キリストへの信仰を、
守り通したのでしょうか。
それはイエス・キリストが命をかけて、私たちを愛してくださったからです。

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2014年02月22日

あとがき@

「ウラカミ・ウラカミ」そう叫ぶ人々の声が、
ベルギーのブリュッセルでこだましました。
今から130年ほど昔のことです。
そして、この叫びが250年間禁止されていたキリスト教を、
この日本で自由にしたのです。


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あとがきA

「ウラカミ」。彼らが叫んだのは、まぎれもなくこの本に書いた浦上のことです。
この浦上には命をかけてキリストを信じ続けた人々がいました。
江戸時代の迫害下にあっても隠れキリシタンとして信仰を守り続け、
信仰が自由になる日を信じて待ち続けた人々が浦上にはいたのです。


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2014年02月21日

浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにF

 浦上のキリシタンの歴史を見てきましたが、そこには、
主を愛して従う者に対する主の真実を見ることができます。
 彼らは待たされました。しかし主は遅れることなく、
ご自身の約束の時に、彼らを迫害から救い、助け出されました。
 主は決して裏切らないお方、約束を守られるお方、真実なお方です。

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浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにE

 主は彼らの涙を覚えておられ、迫害と殉教という火の試練を通した後に、
彼らの悲しみを喜びに変えられたのです。
 主は真実なお方です。そして主は正しく裁いてくださるお方です。

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2014年02月20日

浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにD

 浦上の信者は、何とかしてこの敷地を手に入れようとして祈り、
そしてついに、わずか1600円で買い取ったのです(当時は米10キロ44銭)。
 かつて絵踏みをさせられた場所で、彼らはミサを行いました。

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浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにC

 しかし、キリシタン流配の処分を出した後、
当主は死亡し、長男は懲戒のため高島炭坑に送られている時、ガス罰発により死亡しています。
その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて生計を立てるのに困り、
ついに敷地から邸宅にいたるまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、
村を立ち退くことになったのです。
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2014年02月19日

浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにB

そして1880年、高谷庄屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。

 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、
毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。

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浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びにA

 そこで浦上に仮聖堂を建てる計画を作り、まずは適当な場所を探しました。
そこで、瓦ぶき平屋で、200人ぐらい収容できる離れ座敷を仮聖堂にあてました。
しばらくは、ここに大浦からポアリエ神父が通っていましたが、
聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。

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2014年02月18日

浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

悲しみを喜びに@

 「旅」から帰ってきた浦上のキリシタンたちには、切なる願いがありました。
 それは神の家、つまり聖堂を建てることでした。
彼らは、ミサのために毎日曜日ごとに、
大浦天主堂まで歩いて通わねばならなかったのです。
彼らは、それでもうれしくてたまりませんでした。
けれども、その日の糧を得るにも、きゅうきゅうとしていた信者たちにとって、
それは時間的にも大きな困難でした。

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浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

試練を用いる主B

 しかし試練が私たちを主から離すのではないということを、
浦上のキリシタンを見るときに思わされます。
むしろ試練は、私たちの信仰を錬り清めて、
私たちに主が用意されている道へと、私たちを導いてくれるのです。
 主は愛の方、そして最善以外、私たちに決してなさらないお方だからです。

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2014年02月17日

浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

試練を用いる主A

 愛である方、主イエスへの彼女あちの持っていた信頼、
この信仰が祈りとともに働いて、多くの痛んでいた小さな者たち(孤児や捨て子)を助ける主の救いの手として働く道へと導かれて行くのです。
 私たちの人生の中にも、いろいろな試練が許されます。

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浦上四番崩れ9:悲しみを喜びに

試練を用いる主@

250年にも及ぶ弾圧と迫害の後に、
やっと6年間の流配から解放されて信仰の自由を得たと思った途端、
赤痢、台風、天然痘という人間的に見れば悲惨と思えることの連続の中で、
彼女たちは、神をのろったり恨んだりするのではなく、
もちろん運命だと言ってあきらめるのでもなく、むしろその中で、
神が用意されていた最善の道を見いだしていったのです。

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2014年02月16日

浦上四番崩れ8ー孤児院:孤児のための働き@

 赤痢が下火になったころ、台風が襲い、大暴風が浦上のバラックを吹き飛ばしていきました。
それが片付いたと思ったら、今度は港の入り口の島々(蔭の尾島)に天然痘がはやりました。
病気を恐れて、家族の者でさえ、患者を見捨てて逃げるほどでした。
村にも町にも、親を疫病で奪われた孤児たちの姿がちらほら見えました。
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浦上四番崩れ8ー孤児院:ド・ロ神父と篤志看護師G

 そして、心を合わせて一心に祈ったのです。
神父は娘たちに医学を教えただけではなく、
祈りを教え、聖書の御言葉を教えることにも力を入れました。
 こうして、次第に修道会の生活に近づいていきました。
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2014年02月10日

浦上四番崩れ8ー孤児院:ド・ロ神父と篤志看護師F

 夜遅く合宿しているこの部屋に帰ってきても、
そこには、ござと板の上に敷いた布団が1枚あるばかりでした。
食器は茶わんがたった1つ、何か飲めるものを作って、
その茶わんで娘たちは回し飲みしました。

 
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2014年02月09日

浦上四番崩れBド・ロ神父と篤志看護婦E

ド・ロ神父は毎夜、大浦天主堂に戻りました。
マキたちは家に帰ると家族に伝染させる心配があったので、
どこかに合宿することにしました。
そのとき高木仙右衛門が自分の小屋を提供しました。
そこで4人は共同生活を始めました。
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浦上四番崩れBド・ロ神父と篤志看護婦D

篤志看護婦となったこの4人の娘たちは、
神父から看護法を教えてもらい、
恐ろしい伝染病がはやっている町々村々を回り、
大勢の人を助けました。
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2014年02月08日

浦上四番崩れBド・ロ神父と篤志看護婦C

マキが動いたのを見ると、
他にも守山マツ、片岡ワイ、深堀ワサという
女性たちがtもに立ち上がりました。
彼女たちはみな、
「旅」の仲で迫害を受け、
拷問にかけられて
辛酸をなめてきた人たちでした。
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