2020年01月24日

四十四  浦上四番崩れ8−孤児院

孤児のための働き
守山マツは津和野に流されていた時、殉教していった弟の裕次郎が臨終する時に言い残していった言葉を忘れたことはありませんでした。裕次郎は姉のマツに手当をしてもらいながら、兄の勘三郎の手を握かえって、最後にこう言って天に帰っていったのです。「おら、もうじき天主様から召される如(ごと)ある。兄と姉は生き永らえて浦上に帰れる如(ごと)思われるばい。その時にはキリシタン法度の高札は取られ、大声で祈りができるに違いなか。浦上に帰れたら、1人は結婚して、その子の一人ば神父さまにしてくれるやろ。やっぱり教理をよう知っとらんと、信仰も弱かけん。子どもば泣かせなさんな。子どもばかわいがってくれよ・・・」「子どもを泣かすな」と言った弟の言葉を思い起こしながら、マツやマキやほかの娘たちと相談して、孤児を育てることにしました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。