2019年12月09日

四十  浦上四番崩れ4−一村総流罪

そして1870年1月1日、突然、残された戸主700人に、明朝六時(午前6時)までに立山役所に集まれと出頭命令が出ました。あまりにも突然だったので出かけている者もあり、5日に改めてほしいと信者が申し出、役所もそれを許しました。その中に長崎にいる各国領事をはじめ、たまたま長崎に来ていたイギリス公使パークスたちが県知事に掛け合って、なんとかやめさせようとしましたが、知事は「東京政府から出た命令なので何ともしがたい」と突っぱねたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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