2019年11月15日

三十七  浦上四番崩れ1−捕縛

長崎奉行は、浦上農民たちが囚人たちを奪い返しに来るかもしれないと思い、2日後には小島に新牢を造り、そこに移しました。そこから仙右衛門、与五郎、寅五郎、又市などは、取り調べのために、たびたび西役所に引き出されました。一方、キリシタンであるという信仰の問題だけで捕縛投獄されたことに在留異国人は衝撃を覚え、各国の領事は奉行に抗議しました。さらに問題は幕府と各国外交団にうつされ、毎日のように議論されました。しかしキリシタン邪教観は強く、なかなか解決しませんでした。そうしている間にも「入牢者には拷問を加えない」という外交団との約束は破られ、長崎では捕らえられた68人に説得やひどい拷問が加えられていました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。