2019年08月31日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って
喜んで殉教していった26人の殉教者たち。彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例えばマチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名を持つ別人に変わって、捕らえられることができたのでしょう。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。