2019年08月24日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

京都で捕縛され、殉教者に選ばれてしまった時から、彼らの心は、ますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて、天につなぎ合わされていったことでしょう。長崎で殉教するまでの ひと月の殉教への歩みの中で、彼らの肉体はとても弱くされ、痛みや苦しみが襲ってくることも、しばしばあったかもしれませんが、彼らの心は、天の御国の喜びに、ますます満たされて、キリストと福音とのために 殉教しなければならなくなったことを、本当に喜んでいたことでしょう。 ちょうど、キリストのみ名のために、辱められるに値するものとされたことを 喜んだ使徒たちのように。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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