2019年08月15日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

私たちの日々の信仰生活においても、同じようなことが許されることがあります。もちろん今の日本では、殉教という事はないでしょうが、
妬まれたり、ありもしないことを言われたりというのは、日常茶飯事です。そのような時に、私たちは黙ってその十字架を受け取っているでしょうか。つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を投げ捨ててしまっていないでしょうか。その十字架から、逃げてしまっていないでしょうか。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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