2019年01月20日

四十  浦上四番崩れ4−一村総流罪

1868年7月11日、まず最初に、仙右衛門や甚三郎などの中心人物から萩に66人、津和野に28人、福山に20人の合計114人が長崎港から送り出されました。なんとこの時、浦上に残された人たちには、家族の者でさえ、彼らがどこの流されたのかは、知らされなかったのです。それが分かったのは、半年後のことでした。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。