浦上一村総流配
しかし、それはあまりにひどすぎると、参与小松帯刀が、三条実美に意見を申し出たので、死刑にしないで全員流配することに決まりました。こうして神道国教主義をとった明治新政府は、キリストへの信仰を捨てない浦上のキリシタンたちを「一村総流罪(いっそんそうるざい)」にすることに決めました。この結果、浦上の信者3394人が金沢や名古屋、それに萩、津和野、鹿児島などの西日本の諸藩に流されるという大変な処分が、行われることになったのです。
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