2018年12月07日

三十六  キリシタンの復活3−自葬問題

庄屋があわてたのも無理はありません。「それでは聖徳寺との縁を切りたいものの名簿を出せ」と言ったところ、本原郷400戸、家の郷100戸あまり、中野郷100というように、元来の仏教徒と裕福ではあるが信仰心の薄かったキリシタン30戸だけを除いて、村人のほとんど全部が名を連ねたのです。これで、ついに浦上村の人々がキリシタンであることが、明るみにでたのです。そこで長崎奉行所では、たくさんの間者を浦上に潜入させ名簿を作り、主だった指導者たちのことや4か所の秘密聖堂の坪数、間取りまで詳しく調べさせていました。
posted by 日本教会史 at 08:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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