2018年11月29日

三十六  キリシタンの復活3−自葬問題

自葬問題

当時は、死人があると必ず檀那寺(だんな)の坊さんを招いて読経を頼み、坊さんの立会いの下で納棺することになっていました。しかし神父から指導を受けるようになると、このような表面仏教という態度を清算しなければいけなくなったのです。1867年4月5日 本原郷の茂吉が死んだとき、これまで通り聖徳寺の坊さんを呼んできましたが、使いの者が途中で、わざとつまらぬことを言って坊さんを怒らせたので、坊さんは帰ってしまいました。それで幸いと、茂吉の家では坊さんなしで時葬してしまったのです。
posted by 日本教会史 at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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