2018年09月26日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人もし我に従(したが)はんと欲(ほっ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って

 喜んで殉教していった26人の殉教者たち。 彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。 なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例え話マチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名をもつ別人に代わって、捕らえられることができたのでしょう。
posted by 日本教会史 at 22:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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