2018年09月22日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

己(おのれ)を捨てて、喜んで殉教していった26人。彼らは、すでに、もう自分に死んでいました。 しかし、そんな彼らにも、ただ一つの気掛かりががありました。それは、この地上に残されるまだ救われていない魂のことでした。天に帰ることを心から喜びながら、まだ救われていない日本の人々の魂を考えると、彼らの心は、激しく痛んだのです。イエス・キリストを真に信じる者への迫害が始まった、この国の将来を思うと、彼らの心に憂いがやってきました。 それは死に対する恐れや恐怖でも、この地上に対する執着や、家族と離れてしまうことへの悲しみでもありませんでした。 彼らは、この日本に、まだキリストを知らない者がいることに、耐えられなかったのです。そして、もう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように、泣かずにはいられなかったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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