2018年09月05日

二十二  強いられた十字架ークレネ人シモンのように

クレネ人シモンのように

 これからいよいよ始まってくる日本のリバイバルの中で、主はご自身の憐(あわ)れみによって、フェリペやクレネ人シモンのように、たとえ自分の願いや望み、計画とは全く違う十字架を強いられたとしても、その中に主の御手を認め、喜んでついていく真のしもべたちを起こしていかれるのです。 私たちも、たとえ弱く不十分であっても、主が強いられた十字架を逃げずに、しっかりと受け取ってついていくならば、主はこの終わりの時に、喜んで豊かに用いてくださるのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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