2018年07月24日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

ゲッセマネ

 ところが、殉教者たちが時津の岸壁についても、上陸は許されませんでした。 時津はキリシタンの町でした。護送役人たちは、キリシタンの人々が、殉教者を取り戻そうと暴動をおこしはしないかと恐れたのです。もちろん、そんな事をするわけはありませんが、護送役人たちは、自分たちの尺度で考えて恐れ、心配し、警戒して、上陸を許さなかったのです。 26人の殉教者たちは、後ろ手に縛られたまま、いこごちの悪い舟の中で、その夜を明かさねばなりませんでした。殉教者たちは、寒風が吹きすさぶ中、夜露に濡れながら、この夜は、ほとんど眠らないまま過ごしたようです。 しかもこの夜は、ことのほか寒さが厳しかったので、殉教者たちは、体をを寄せ合って祈り合いながら、暖を取り、この地上での最後の夜を過ごしたと言われています。 彼らにとって、この夜はまさにゲッセマネとなりました。 そして、彼らにとってゲッセマネとなった2月4日の冬の夜が、やがて明けようとしていました。
posted by 日本教会史 at 03:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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