2018年07月22日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

赦しと和解

 その26人の殉教者たちは、峠を降りて彼杵の港に着きました。そこで彼らは、イエズス会のヨハネ・ロドリゲス神父とパシオ神父に会うのです。 実はイエズス会とフランシスコ会の間には、宣教の考え方や、やり方にずいぶん違いがありました。共にイエス・キリストを宣べ伝えていきたいと強く願っていましたが、時として二つの会の間で意見が激しくぶつかり合うこともあったのです。 それでこの時、ペテロ・バプチスタ神父はフランシスコ会士を代表して、イエズス会の神父である彼に、謝罪と和解をいいました。「私たちは間もなく、死出の旅路に着きますが、今までにイエズス会の神父の方々に、ずいぶんとご迷惑をかけたことと存じますが、どうか、その一切をお赦しください」と、するとそれに対して、ロドリゲス神父も、「私たちもまた、イエズス会の名において、フランシスコ会の方々に、あなたと同じことをお願いし、おわびいたします」と語り、二人はお互いを許し合って、そこで固く抱きしめ合ったのです。

posted by 日本教会史 at 05:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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