2018年06月13日

九  ルドビゴ茨木3

 この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。 この少年の中に息づいていたのは、キリストともに生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
posted by 日本教会史 at 04:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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