2018年06月08日

八  ルドビゴ茨木2

 この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書にも彼は動じませんでした。この少年は、確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。 そして、キリストがともにいることの素晴らしさの中に、命の中に、生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。

posted by 日本教会史 at 23:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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