2018年04月28日

殉教 天国への希望と喜び

あとがき

 教会に行くと必ずあるもの、それは十字架です。この十字架でイエス・キリストはご自分の命まで捨ててまで、私たちへの愛を示されたのです。 イエス・キリストは何一つ罪を犯されませんでした。 しかし私たちが自分で、どうすることもできない罪と、弱さと、その結果もたらされるすべての呪(のろ)いと病気を、イエスキリストは、ご自分の身に負って、私たちの身代わりになって十字架で死んでくださったのです。 そして、十字架で死ぬ直前に、こう言われました。「完了した」と。 罪の代価はすべて払われました。私達は、ただ自分の罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架を信じるだけで、その時全く新しく生まれ変わることができるのです。 そのことを、かっての浦上の人たちは知っていました。 しかし今、かって浦上の人たちが命をかけて守り続けたもの。「キリストへの信仰」 それはどこにあるのでしょうか。 時代は終末の様相を示してきています。 今こそ私たちは目を覚まして、キリストへの信仰を取り戻し、キリストとともに神さまの用意された本当の祝福の道を歩むべき時なのです。

posted by 日本教会史 at 04:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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