2018年04月25日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

  悲しみを喜びに


   そして1880年、高谷庄屋屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。 しかし、キリシタン流配の処分を出した後、当主は死亡し、長男は懲戒のため高島炭鉱に送られている時、ガス爆発により死亡しています。その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて生計を立てるのに困り、ついに敷地から邸宅に至るまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、村を立ち退くことになったのです。 浦上の信者は、何とかしてこの敷地を手に入れようとして祈り、そしてついに、わずか1600円で買い取ったのです(当時はコメ10キロ44銭)。

  かって絵踏みをさせられた場所で、彼らはミサを行いました。主は彼らの涙を覚えておられ、迫害と殉教という火の試練を通した後に、彼らの悲しみを喜びに変えられたのです。

主は真実なお方です。そして主は正しく裁いて下さるお方です。
posted by 日本教会史 at 04:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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