2018年04月20日

四十四  浦上四番崩れ8−孤児院

 孤児のための働き

  赤痢が下火になったころ、台風が襲い、大暴風が浦上のバラックを吹き飛ばしていきました。それが片付いたと思ったら、今度は港の入り口の島々(蔭の尾島)に天然痘がはやりました。病気を恐れて、家族の者さえ、患者を見捨てて逃げるほどでした。村にも町にも、親を疫病で奪われた孤児たちの姿がちらほら見えました。  天然痘の看護も収まって、浦上に帰ってきたマキの腕の中に、一人の赤ん坊が抱かれていました。名はタケと言います。  天然痘で両親が死んだ孤児でした。それまで蔭の尾島にあった「孤児院」が閉鎖されたので連れてきたのです。  孤児はタケだけではありませんでした。当時、日本では各地で捨て子が多くいました。長崎でも相次ぐ災難で、孤児や捨て子は、次々に出ていました。
posted by 日本教会史 at 23:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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