2011年05月07日

さらに迫害の後B

来月からこの浦上四番崩れに関して
詳しく見ていきたいと思います。
私たちはいまこんなにも自由にキリストを
信じることができますが、
それは彼らの迫害の中での主への従順と
その結果もたらされた尊い殉教の上にあることを
私たちはそこで知ることでしょう。
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posted by 日本教会史 at 16:43| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

殉教、は済んだ話ではなく、教えに殉じるのはいついかなる時代でも必要なことではないでしょうか。

償い、自己犠牲、絶えずこれらを求めているのがカトリック、キリスト教である筈です。誤解をされていることはないと思いますが、念のため。
Posted by フランチェスコ at 2011年05月07日 16:52
メールをありがとうございます。
お返事が遅れてすみません。
殉教は、済んだ話ではなく、まさにこれからの時代を生きる私たちには、現実の問題として迫ってくることだと思います。
またいついかなる時代にも、主イエス・キリストに従い殉ずることは本当に必要なことだと思います。
私たち罪びとである人間は、残念ながら、自己犠牲や自己否定というのは得意ではありません。でも、聖霊の助けの中で恵によって、自己犠牲を喜んで出来るようになるのだと思います。

メールを本当にありがとうございました。
これからもまた、コメントをいただければ幸いです。
isaiah
Posted by isaiah at 2012年05月19日 10:03
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