2020年01月29日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜び

この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや 吟味のあるごとに 自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して
絵踏みを実行していた家です。しかし、キリシタン流配の処分を出したのち、当主は死亡し、長男は懲戒のために高島炭鉱に送られている時、ガス爆発により死亡しています。その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて 生計を立てるのに困り ついに敷地 建物邸宅に至るまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、村を立ち退くことになったのです。浦上の信者は、何とかしてこの敷地を手に入れようとして祈り、そしてついに、わずか1600円で買い取ったのです。(当時は米10キロ44銭)。
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四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
そこで浦上に 仮聖堂を建てる計画を作り、まずは、適当な場所をさがしました。そこで、瓦ぶき平屋で、200にんぐらい収容できる離れ座敷を 仮聖堂にあてました。しばらくは、ここに大浦から ポアリエ神父が通っていましたが、聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。そして1880年高谷庄屋屋敷を買い取って補修し、仮聖堂としました。
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四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに  

悲しみを喜びに
浦上のキリシタンたちの歴史を見てきましたが、そこには、しゅをs

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