2019年08月23日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

己を捨てて
なぜ彼らは殉教という十字架を前にしても、こんなに喜んでいることができたのでしょう。それは彼らが、もうすでに「己(おのれ)を捨て」自分に死んでいたからなのです。彼らはもはや、自分の命には、生きていなかったのです。主が、ご自身の代価を払って与えてくださった永遠の命の中に、彼らは生きていたのです。だから、彼らは、。心から喜んでいたのです。
posted by 日本教会史 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする