2019年08月21日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

天の喜び
主は私にその時、語られたのです。「彼らは喜んでいた」と。確かに、彼らは喜んでいました。役人の「養子になれ」との誘惑を断って、自分の十字架に走り、口ずけした12歳の少年ルドビゴ茨木。十字架の足元にすがりついて「降りてきて」と絶叫する
母に向かって「喜んでください」と言った13歳の少年アントニオ。メキシコに行き、司祭に叙階(じょかい)されるはずだったのに、日本で殉教することになった時、「サン・フェリペ号が難船したのは、この私が殉教のめぐみにあずかるために許されたのです」と言ったフェリッペ 彼らはみんな、心から喜んでいました。
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二十六  十字架を負って2−己を捨て

天の喜び
初めて西坂の丘に来て祈った時、私は驚きました。何故なら、坂を上がって西坂の丘にたどり着くと、そこには、「喜び」があったからです。テンカラー注がれてくるような、さわやかな 明るい喜びが、確かにそこには、あったのです。それは、私の中にそれまであった、暗い悲惨な殉教というイメージとは、あまりにもかけ離れていました。そこには、とても深い主の臨在があったのです。その日は小雨が降っていましたが私が西坂の丘にたち、心を主に向けて祈ると、喜びが内側からあふれてくるのです。
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