2019年08月31日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って
喜んで殉教していった26人の殉教者たち。彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例えばマチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名を持つ別人に変わって、捕らえられることができたのでしょう。
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2019年08月30日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

たとえその結果、命を失うとしても、彼らは福音を語り、宣べ伝えることを、止めることなどは、考えられなかったのでしょう。異邦人伝道に召されていたパウロが「私の同胞のためには、呪(のろ)われた者となることさえ願いたい」と言った同じスピリットを、彼らも持っていたのです。
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2019年08月29日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

福音宣教

福音宣教。イエス・キリストの福音を宣べ伝える。これこそが、彼らの召し、だったのです。彼らは、この召し、福音宣教の中に生きていました。そして、この福音宣教という召しに忠実に生きた時に、殉教という十字架が、彼らの前に置かれたのです。彼らは、今まで、口を開きませんでした。どんなに妬(ねた)みから、ありもしない悪口雑言を言われても、彼らは黙して語りませんでした。しかし、イエス・キリストの福音に関する限り、イエス・キリストの証人として、彼らは口を閉ざすことは 出来なかったのです。
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2019年08月28日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

十字架にすがりついて「降りてきて」と叫ぶ両親に「喜んでください」と天国を語った13歳の少年アントニオ。彼も両親が救われて天国へ来ることを、心から願って信じていました。彼らの切なる願いは、人々がキリストを信じて救われ、神のもとに帰ってくることだったのです。彼らは、人々の魂を、最後の最後まで求め続けていました。
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2019年08月27日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

京都で捕らえられたから、十字架の上で最後にやりを受けるまで、キリストの福音を宣べ伝え続け、十字架の説教を止めなかったパウロ三木。彼は最後の最後まで魂を追い求めていました。19歳のヨハネ五島が、最後に父と語ったことは、魂の救いでした。15歳の少年トマス小崎は、父とともに殉教するために、引かれながら、2人の弟の救いために、母マルタに三原城から手紙を書きました。
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2019年08月26日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

彼らは、この日本に、まだキリストを知らない者がいることに、耐えられなかったのです。そして、もう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように、泣かずにはいられなかったのです。
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二十七  十字架を負って3−福音宣教

己(おのれ)を捨てて、喜んで殉教していった26人。彼らはすでに、もう自分に死んでいました。しかし、そんな彼らにも、ただ一つの気掛かりがありました。それは、この地上に残される まだ救われていない魂のことでした。天に帰ることをことを心から喜びながら、まだ救われていない日本の人々の魂を考えると、彼らの心は、激しく痛んだのです。イエス・キリストを真に信じる者への迫害が始まった、この国の将来を思うと、彼らの心に憂いがやって来ました。それは、死に対する恐れや恐怖でも、この地上に対する執着や、家族と離れてしまうことへの悲しみでもありませんでした。
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2019年08月25日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

私たちが喜んで十字架を負えないのは、きっとまだ己を捨てて、自分に死んでいないからなのでしょう。己を捨ててしまうなら、御国の喜びが、十字架を負っているそのところに、今すぐにでも、やってくるのです。彼らは己を捨てて、喜んでいました。ただ一つのことだけを除いては・・・。
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2019年08月24日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

京都で捕縛され、殉教者に選ばれてしまった時から、彼らの心は、ますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて、天につなぎ合わされていったことでしょう。長崎で殉教するまでの ひと月の殉教への歩みの中で、彼らの肉体はとても弱くされ、痛みや苦しみが襲ってくることも、しばしばあったかもしれませんが、彼らの心は、天の御国の喜びに、ますます満たされて、キリストと福音とのために 殉教しなければならなくなったことを、本当に喜んでいたことでしょう。 ちょうど、キリストのみ名のために、辱められるに値するものとされたことを 喜んだ使徒たちのように。
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2019年08月23日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

己を捨てて
なぜ彼らは殉教という十字架を前にしても、こんなに喜んでいることができたのでしょう。それは彼らが、もうすでに「己(おのれ)を捨て」自分に死んでいたからなのです。彼らはもはや、自分の命には、生きていなかったのです。主が、ご自身の代価を払って与えてくださった永遠の命の中に、彼らは生きていたのです。だから、彼らは、。心から喜んでいたのです。
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2019年08月21日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

天の喜び
主は私にその時、語られたのです。「彼らは喜んでいた」と。確かに、彼らは喜んでいました。役人の「養子になれ」との誘惑を断って、自分の十字架に走り、口ずけした12歳の少年ルドビゴ茨木。十字架の足元にすがりついて「降りてきて」と絶叫する
母に向かって「喜んでください」と言った13歳の少年アントニオ。メキシコに行き、司祭に叙階(じょかい)されるはずだったのに、日本で殉教することになった時、「サン・フェリペ号が難船したのは、この私が殉教のめぐみにあずかるために許されたのです」と言ったフェリッペ 彼らはみんな、心から喜んでいました。
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二十六  十字架を負って2−己を捨て

天の喜び
初めて西坂の丘に来て祈った時、私は驚きました。何故なら、坂を上がって西坂の丘にたどり着くと、そこには、「喜び」があったからです。テンカラー注がれてくるような、さわやかな 明るい喜びが、確かにそこには、あったのです。それは、私の中にそれまであった、暗い悲惨な殉教というイメージとは、あまりにもかけ離れていました。そこには、とても深い主の臨在があったのです。その日は小雨が降っていましたが私が西坂の丘にたち、心を主に向けて祈ると、喜びが内側からあふれてくるのです。
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2019年08月20日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

しかし、やはり二十六聖人たちも、、私たちと同じように、弱さを持った罪びとだったのです。ただ、彼らは、主に従いたいと、心から願っていました。彼らは本当に主を愛していました。その主への愛と従いたいという強い強い願いが、聖霊の助けの中で、彼らを殉教にまで導いて行ったのでしょう。キリストに選ばれた弟子たちは、ガリラヤの無学な普通の人でした。けれども彼らは、主に呼ばれ、招かれた時に、すぐに従いました。同じように二十六聖人たちも、主に、すぐに従う心を持っていたのです。

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2019年08月15日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

私たちの日々の信仰生活においても、同じようなことが許されることがあります。もちろん今の日本では、殉教という事はないでしょうが、
妬まれたり、ありもしないことを言われたりというのは、日常茶飯事です。そのような時に、私たちは黙ってその十字架を受け取っているでしょうか。つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を投げ捨ててしまっていないでしょうか。その十字架から、逃げてしまっていないでしょうか。
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二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

これは、彼らにとっては、まさに十字架でした。しかし彼らは、その殉教という十字架を、喜んで受け取り、黙って縄を受けたのです。それはちょうど、キリストが、パリサイ人や律法学者たちの妬みによって、十字架につけられたのと、そっくりでした。また、キリストが捕らえられた時、祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不当な不法な裁判においても、大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みと誹謗と中傷によって、殉教という十字架につけられることになったことを、黙って引き受けたのです。
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2019年08月14日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

二十六聖人たちが殉教することになった直接のきっかけは、サン・フェリペ号の遭難でした。けれども、時の権力者太閤秀吉が、彼らに処刑を命じた原因は、そればかりではなく、ほかにもありました。いくつか考えられますが、その一つは、間違いなく元仏教僧だった施薬院全宗の妬(ねた)みと敵対心からの諫言(かんげん)でした。また、ポルトガルと今のスペインであるイスパニアの貿易競争からくる誹謗(ひぼう)合戦の結果でもありました。二十六聖人たちはありもしない悪口雑言を散々言われて上、殺されることになったのです。
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2019年08月13日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

ここからは、このレリーフに刻まれている御言葉を通して、彼ら二十六聖人たちの殉教に至る生涯を見ていきたいと思います。そしてそこから、今、生きている私たちに対する主の語りかけを聞いていきたいと思います。

人若し我に従わんと欲せば

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2019年08月12日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従はんと欲せば

私が西坂の丘に立って祈る時、いつもこのみ言葉は私の心に迫り語りかけてきます。確かに、御言葉には力があります。私たちが、この殉教者の丘に立って祈るとき、このみ言葉は静かに、しかし非常に強く、祈る者たちに迫ってくるのです。それはきっと、二十六聖人たちが、このみ言葉に生きて、証を立てたからなのでしょう。彼らの生涯は、まさに、このみ言葉の成就だったと言えるのです。
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2019年08月11日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

「人若(も)し我に従はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」   (マルコ伝8章34節)
日本二十六聖人が、殉教した西坂の丘に、今は、彼らのレリーフが建っています。レリーフには、26人の殉教者が並んで彫られています。そのレリーフのちょうど真ん中の下の部分に、7本の十字架とともに、このみ言葉が刻まれているのです。
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2019年08月10日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

殉教の後で
実は この二十六聖人の殉教の後、殉教に加わっていた一人の役人が、回心したと言われています。ちょうどキリストの十字架の下にいた ローマ兵の百人隊長が[この方はまことに神の子であった」とキリストの十字架気付いたように、役人たちの中の一人が、26人の殉教を通して、彼らの信じているキリストこそが、本当の救い主だと、気づいたのです。しかし、それが誰なのかは、残念ながら定かではありません。もしかすると、半三郎だったかもしれませんが・・・。
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2019年08月09日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

こうして、26人の処刑が、終わりました。日本で、初めての26人の殉教者たちが、喜んで天に帰っていったのです。この後に続く激しい迫害の先駆けとして。西坂の丘には、今も殉教者たちが残していった天の喜びが注がれています。あなたも機会があれば、ぜひ祈りに訪れてください。
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2019年08月08日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

何故なら、ペテロ・バプチスタ神父は、全員が喜んでやりを受け、天に帰っていくのを見届けることができたのです。今や彼は、彼の霊の子どもたちや同僚たちとともに。、天に帰るために、喜びながら、やりを受けることができるのです。彼は、天を見上げて、唇を動かして祈りました。キリストが祈られたのと同じように、最後の祈りをしたのです。「父よ、わが霊を見てに委ねます」と。そのとき、25人の鮮血で染まったやりが、ペテロ・バプチスタ神父を突き刺しました。
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2019年08月07日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ  

バプチスタ神父は、全員が誰ひとり信仰を捨てることなく、最後まで主を愛して、殉教することを、心から願い祈っていました。そして、全員のその姿を、しっかり見届けたいと願っていたのです。役人たちは、バプチスタ神父が、そんな事を願い祈っていることなど、何も知りませんでした。しかし役人たちが、バプチスタ神父を最後に処刑したことは、結果的には、彼の祈りの答えとなり、役人たちの思惑とは、全く逆だったのです。
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2019年08月06日

二十四 最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い
ペテロ・バプチスタ神父を、最後まで残したのは、半三郎をはじめとする役人たちの考えでした。それは、25人の仲間たちが、無残に刺し殺されて死ぬのを見れば、彼が途中で信仰を捨てるかもしれないと考えたからでした。しかし、ペテロ・バプチスタ神父は、全く違うことを考えていたのです。
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2019年08月05日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

「この方は誠に神の子であった」(マルコの福音書15章39節)
西坂の丘の上に立てられた26本の十字架の上に、合図とともに、やりが突き刺さります。東と西の端から、一人、また一人と、鮮血とともに26人は、次々に殉教していきました。東と西の端から始まったこの処刑も、やりを突き刺す執行人たちが、中央で出会うときには、26人全員の処刑が終わろうとしていました。けれども、ただ一人、最後まで残された人がいました。それはペテロ・バプチスタ神父でした。
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