2019年08月15日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

私たちの日々の信仰生活においても、同じようなことが許されることがあります。もちろん今の日本では、殉教という事はないでしょうが、
妬まれたり、ありもしないことを言われたりというのは、日常茶飯事です。そのような時に、私たちは黙ってその十字架を受け取っているでしょうか。つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を投げ捨ててしまっていないでしょうか。その十字架から、逃げてしまっていないでしょうか。
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二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

これは、彼らにとっては、まさに十字架でした。しかし彼らは、その殉教という十字架を、喜んで受け取り、黙って縄を受けたのです。それはちょうど、キリストが、パリサイ人や律法学者たちの妬みによって、十字架につけられたのと、そっくりでした。また、キリストが捕らえられた時、祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不当な不法な裁判においても、大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みと誹謗と中傷によって、殉教という十字架につけられることになったことを、黙って引き受けたのです。
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2019年08月14日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

二十六聖人たちが殉教することになった直接のきっかけは、サン・フェリペ号の遭難でした。けれども、時の権力者太閤秀吉が、彼らに処刑を命じた原因は、そればかりではなく、ほかにもありました。いくつか考えられますが、その一つは、間違いなく元仏教僧だった施薬院全宗の妬(ねた)みと敵対心からの諫言(かんげん)でした。また、ポルトガルと今のスペインであるイスパニアの貿易競争からくる誹謗(ひぼう)合戦の結果でもありました。二十六聖人たちはありもしない悪口雑言を散々言われて上、殺されることになったのです。
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2019年08月13日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

ここからは、このレリーフに刻まれている御言葉を通して、彼ら二十六聖人たちの殉教に至る生涯を見ていきたいと思います。そしてそこから、今、生きている私たちに対する主の語りかけを聞いていきたいと思います。

人若し我に従わんと欲せば

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2019年08月12日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従はんと欲せば

私が西坂の丘に立って祈る時、いつもこのみ言葉は私の心に迫り語りかけてきます。確かに、御言葉には力があります。私たちが、この殉教者の丘に立って祈るとき、このみ言葉は静かに、しかし非常に強く、祈る者たちに迫ってくるのです。それはきっと、二十六聖人たちが、このみ言葉に生きて、証を立てたからなのでしょう。彼らの生涯は、まさに、このみ言葉の成就だったと言えるのです。
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2019年08月11日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

「人若(も)し我に従はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」   (マルコ伝8章34節)
日本二十六聖人が、殉教した西坂の丘に、今は、彼らのレリーフが建っています。レリーフには、26人の殉教者が並んで彫られています。そのレリーフのちょうど真ん中の下の部分に、7本の十字架とともに、このみ言葉が刻まれているのです。
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2019年08月10日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

殉教の後で
実は この二十六聖人の殉教の後、殉教に加わっていた一人の役人が、回心したと言われています。ちょうどキリストの十字架の下にいた ローマ兵の百人隊長が[この方はまことに神の子であった」とキリストの十字架気付いたように、役人たちの中の一人が、26人の殉教を通して、彼らの信じているキリストこそが、本当の救い主だと、気づいたのです。しかし、それが誰なのかは、残念ながら定かではありません。もしかすると、半三郎だったかもしれませんが・・・。
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2019年08月09日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

こうして、26人の処刑が、終わりました。日本で、初めての26人の殉教者たちが、喜んで天に帰っていったのです。この後に続く激しい迫害の先駆けとして。西坂の丘には、今も殉教者たちが残していった天の喜びが注がれています。あなたも機会があれば、ぜひ祈りに訪れてください。
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2019年08月08日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

何故なら、ペテロ・バプチスタ神父は、全員が喜んでやりを受け、天に帰っていくのを見届けることができたのです。今や彼は、彼の霊の子どもたちや同僚たちとともに。、天に帰るために、喜びながら、やりを受けることができるのです。彼は、天を見上げて、唇を動かして祈りました。キリストが祈られたのと同じように、最後の祈りをしたのです。「父よ、わが霊を見てに委ねます」と。そのとき、25人の鮮血で染まったやりが、ペテロ・バプチスタ神父を突き刺しました。
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2019年08月07日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ  

バプチスタ神父は、全員が誰ひとり信仰を捨てることなく、最後まで主を愛して、殉教することを、心から願い祈っていました。そして、全員のその姿を、しっかり見届けたいと願っていたのです。役人たちは、バプチスタ神父が、そんな事を願い祈っていることなど、何も知りませんでした。しかし役人たちが、バプチスタ神父を最後に処刑したことは、結果的には、彼の祈りの答えとなり、役人たちの思惑とは、全く逆だったのです。
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2019年08月06日

二十四 最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い
ペテロ・バプチスタ神父を、最後まで残したのは、半三郎をはじめとする役人たちの考えでした。それは、25人の仲間たちが、無残に刺し殺されて死ぬのを見れば、彼が途中で信仰を捨てるかもしれないと考えたからでした。しかし、ペテロ・バプチスタ神父は、全く違うことを考えていたのです。
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2019年08月05日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

「この方は誠に神の子であった」(マルコの福音書15章39節)
西坂の丘の上に立てられた26本の十字架の上に、合図とともに、やりが突き刺さります。東と西の端から、一人、また一人と、鮮血とともに26人は、次々に殉教していきました。東と西の端から始まったこの処刑も、やりを突き刺す執行人たちが、中央で出会うときには、26人全員の処刑が終わろうとしていました。けれども、ただ一人、最後まで残された人がいました。それはペテロ・バプチスタ神父でした。
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2019年08月04日

二十三  西坂の丘の上に立てられた26の十字架

さまざまな殉教
12歳の最年少のルドビゴ茨木は、やりを受けた時、「パライソ(天国)、パライソ(天国)」と言って、目を天に向けながら、殉教したのです。トマス小崎は、父のミカエル小崎とは、東と西に遠く離されて十字架にかけられていました。正確に言えば、トマス小崎は20番目の十字架にかけられており、父のミカエル小崎は4番目の十字架にかけられていたのです。しかし、この親子はほとんど同じころにやりを受けて殉教し、共に天国に召されていったのです。こうして、2人ずつ東西に分かれていた執行人が、中央であうころには、26人の処刑は終わろうとしていました。けれども、最後まで残された人がいました。それは、26人のリーダーだったペテロ・バプチスタ神父でした。
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二十三   西坂の丘に立てられた26の十字架 

執行人は2人ずつ、十字架から十字架へと、東と西の端から順番に、合図とともに突き刺して処刑をしていきました。勢い余って、やりの穂先が背中に出る者さえいました。ほとんどの殉教者たちは、やりで突き刺されると、鮮血とともに瞬時にして息が絶えました。しかし、まだ息が少しでもあり、不十分と思われた者は、のどを、もう一度ひとつきされ、とどめを刺されたのです。
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2019年08月03日

二十三  西坂の丘に立てられた26の十字架

合図とともに
4人の執行人はやりを持ち、2人ずつ1組になって十字架の両端へと行きました。そして、東の一番端の十字架と西の端にある26番目の十字架との下に、やりを構えて立ったのです。彼らは、やりのさやを払い、合図を待っています。その時、半三郎からの合図の声がかかります。すると掛け声もろとも、やりは殉教者の胸の中で交錯しました。こうして東の一番端の十字架の上では、フランシスコ吉が、また西の26番目の十字架では尾張生まれの49歳の伝道者パウロ鈴木が、やりをX形に受け、鮮血とともに殉教したのです。
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2019年08月02日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従はんと欲せば

すぐ従う心をもって
二十六聖人たちは、キリストのように受け取ったのです。しかも喜んで。それが彼らにできたのは、彼らが特別な「聖人」だったからなのでしょうか。私はそうではないと思います。二十六聖人が特別な聖人だったからできたとは、私には思えないのです。私は彼らを慕っています。その信仰にならいたいと願っています。とても彼らを尊敬しているのです。しかし、やはり二十六聖人たちも、私たちと同じように、弱さを持った罪びとだったのです。ただ、彼らは、主に従いたいと心から願っていました。彼らは、本当に主を愛していました。
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二十三  西坂の上に立てられた26の十字架  

「まことにまことに、あなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それはひと粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネの福音書12章24節)
西坂の丘の上に立てられた26本の十字架。最初に殉教したのは、日本に来て4カ月しかたっていなかった、弱冠24歳の青年フェリペでした。彼の支え木が、下に寄り過ぎていたため、全身の重みが鉄の首枷(かせ)にかかり、声も出せずに窒息しそうになっていたので、寺沢半三郎が、最初に処刑するように命じたのです。彼の処刑が終わると、半三郎は4人の執行人を呼びました。そして残された25人の処刑が始まりました。               
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