2019年06月17日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

ゲッセマネ
ところが、殉教たちが時津の岩壁に着いても、上陸は許されませんでした。時津は、キリシタンの町でした。護送役人たちは、キリシタンの人々が、殉教者を取り戻そうと暴動を起こしはしないかと恐れたのです。もちろん、そんな事をするわけはありませんが、護送役人たちは、自分たちの尺度で考えて恐れ、心配して、警戒して、上陸を許さなかったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする