2019年05月02日

九  ルドビゴ茨木3

この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も、十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。この少年に息づいていたのは、キリストと共に生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする