2019年04月26日

八  ルドビゴ茨木2

この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に 目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書きにも 彼は動じませんでした。この少年は確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。そしてキリストがともにいることの 素晴らしさの中に、命の中に生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする