2019年04月30日

九  ルドビゴ茨木3

当時、西坂の丘は、長崎で最も小高い丘だったようです。今でもそうですが、遠足でどんなに疲れていても、頂上が見えると急に元気になって走り出す子供のように、ルドビゴ茨木少年も、西坂の丘が見えると、急に元気になって、その丘を駆け上がったのです。そして誰よりも早く西坂の丘に着くと、そこで彼らが殉教するためにつけられる十字架を造っていた役人に聞きました。「私のつく十字架はどれですか」と
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

九  ルドビゴ茨木3

「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい」(マルコの福音書8章34節)
佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ茨木少年。12歳の最年少であった彼を、何とか助けたいと思った寺沢半三郎も、彼のキリストへの愛と信仰を聞いて、もう何も言わなくなりました。26人の殉教への旅は続きます。そしていよいよ、彼らが十字架にかけられて殺され 殉教する西坂の丘が近づいてきました。その時、最年少のルドビゴ茨木少年が、小走りに走り出したのです。


posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月28日

八  ルドビゴ茨木

西坂の丘で
ルドビゴ少年は刑場である西坂の丘に着いた時、自分が処刑されるために用意された十字架に 走り寄り、それを抱きしめて、ほずおずりし 口ずけしたと言われています。そして、その十字架の上にかけられたとき、隣の十字架にかけられていた 13歳のアントニオ少年とともに、高らかに詩篇113篇を賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。(新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

八  ルドビゴ茨木2

この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に 目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書きにも 彼は動じませんでした。この少年は確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。そしてキリストがともにいることの 素晴らしさの中に、命の中に生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月25日

八  ルドビゴ茨木2

私は何度か、ある時は一人で、ある時は夫婦で、ルドビゴ少年が神を選んだ山本の村へ、足を運びました。山本の村を流れている川の堤防に 腰掛けながら、天を見上げて祈っていると、深い神さまの臨在が、いつも注がれてきます。人生の大事な選択の時に、この山本の村で静まっているとかって神さまを選んだルドビゴ少年の声が聞こえてくる錯覚に陥ります。そして主がすぐそばに来て、私に触れ、御言葉をもって語りかけてくださるのです。「永遠に価値あるもののために生きなさい」と。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

八  ルドビゴ茨木2

かって日本には、このような12歳の少年がいました。キリストを愛するあまり、命をも惜しまず、どんな権力を持っている人にも屈せず、この地上でのぜいたくにも目もくれず、永遠の天の御国をまっすぐに見ながら、命をかけて福音を宣べ伝え続けた少年がいたのです。それが12歳のルドビゴ茨木少年だったのです。この少年に見つめられて、福音を語られた寺沢半三郎は、返す言葉もなく、彼の目をルドビゴ少年からそらしたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月23日

八  ルドビゴ茨木2

たび重なる誘いを 「キリストを捨て、永遠の命を つかの間の命 と代えることはできません」とはっきりとルドビゴ少年は断りました。いやそれどころか、むしろ「お奉行様こそ、キリストを信じて 私と一緒にパライソである天国 へ参りましょう」と詰め寄り、寺沢半三郎の目をしっかりと見つめて福音を宣べ伝えたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

八  ルドビゴ茨木2

「命を救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのために命を失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章35〜37節)
 唐津の山本村で「私の養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、西坂の丘で十字架につけられて、殉教することを選んだルドビゴ茨木。しかし寺沢半三郎はこのいたいけな12歳の命を何とかして助けたいと思って何度も何度も、いろんな言い方で彼に「養子になれ。俺の小姓になれ」と語りかけたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
「ルドビゴ。今のままの信仰ではだめだ。信仰をやめて おれの養子になれば、あと50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着られる。そのうえ、刀を差して武士になり、大名にもなれるぞ」ルドビゴ少年は、再び半三郎は、の目をしっかりと見て、こう言いました。「そうしてまで、私は生き延びたいとは思いませぬ。なぜなら終わりのなき永遠の命を、たちまち滅びるつかの間の肉体の命とは代えられないからです。お奉行さま。あなたの方こそ、キリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソにおいでなさるのが、ずっと良いことです。あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国に参りましょう」半三郎は返す言葉もなく、重くまぶたを下ろし、瞳を閉じたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
「キリシタンを捨てることが条件だぞ。それ以外の事は何でも許してやろう。大目に見る。しかし、今のままの信仰ではだめだ」ルドビゴは半三郎をしっかり見て、ニコニコしながら天を指して言いました。「この地上で大名として取り立てられるよりも、神さまのもとで小姓として仕えとうございます。お奉行さまも、どうぞキリシタンにおなりなさいませ。そしてご一緒に パライソである天国へ参りましょう」あまりにも意外な少年の決断ある返事に、半三郎は、さらにこう言ったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月20日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
彼はルドビゴ少年に言いました。「お前の命は、私の手の平の中にある。もし私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ。お前を助けて私の小姓にしてやろう」ルドビゴ少年は「わたしは ペトロ・バプチスタ神父(26人のリーダー)に従いまする」と答えました。それを聞いたペトロ・バプチスタ神父は「キリシタンとしての生活が許されるなら、何も死に急ぐことはない。喜んでそれに従いなされ」と言いました。それでルドビゴ少年は半三郎に答えました。「ありがとうございます。それでは養子にさせて頂きまする。ただ一つだけお願いがあります。キリシタンとして、今のままの信仰を持ち続けられるならば・・・」半三郎は、最後まで聞かずにいいました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月19日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
囚人の中に  旧友のパウロ三木がいたことでした。そしてもう一つが、3人の無邪気な少年を処刑しなければならない ことだったのです。とりわけ、其の3人の中でも、特に元気で、いたいけな最年少のルドビゴ少年を処刑しなければならないと思うと、彼の心は暗く重たくなりました。彼は考えました。秀吉から受けた命令の24人より2人多く囚人がいる。ルドビゴ一人を放免することは、できないことではない。そこで何とかして、このルドビゴ少年を助けようと、彼はするのです。
posted by 日本教会史 at 15:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年
2月1日、26人は、博多から唐津への旅を続け、唐津湾に遠からぬ村の山本で、処刑の執行責任者である寺沢半三郎に引き渡されます。寺沢半三郎は唐津城主で長崎奉行の寺沢志摩守広高の弟で、死刑執行人の代理者だったのです。半三郎は、24人の名簿と囚人を照合して、彼らを受け取ります。この時彼の心は、2つのことで痛み暗い気持ちになります。



posted by 日本教会史 at 14:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

七  ルドビゴ茨木1

命を救おうと思う者はそれを失い、私と福音のために命を失うものはそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分の命を買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコ福音書8章35〜37節)
西坂の丘で処刑された日本二十六聖人、その26人の中に、3人の少年がいました。彼らはとても無邪気な少年たちでした。長崎までの難渋を極めた道を、このいたいけな3人の少年が、26人の心をずいぶん和ませたのでした。父ミカエル小崎とともに殉教者に選ばれ、西坂の丘の上で、十字架につけられ殺された15歳の少年トマス小崎。長崎生まれの13歳の少年アントニオ。彼は中国人の父と日本人の女性の間に生まれました。イエズス会の学校で教育を受け、伝道者になるために訓練の真っ最中でした。そして最年少の12歳であったルドビゴ茨木。尾張出身の彼は、おじのパウロ茨木、レオン鳥丸とともに西坂の丘で殉教します。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

六  選び3−ルドビゴ少年 

ルドビゴ少年
確かに長崎までの道中、彼らの心は喜んでいました。しかし肉体の疲労は相当なものでした。その彼らの苦しみを和らげ、大きな慰めとなったのが、いつも明るくて元気のいいルドビゴ茨木でした。二十六聖人の中には3人の少年がいましたが、このルドビゴ茨木少年は、26人の中の最年少で12歳でした。彼は生来利発な少年ではありませんでしたが、いつも明るく朗らかで、とてもとても元気のいい少年だったのです。彼の存在は26人にとって、とても大きな励ましであり、慰めであったようです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月09日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に
26人の殉教者たちは、あるところは陸路で、そしてあるところは海路で、大阪から長崎までの800キロに渡る長い旅を続けたのです。一年で最も寒いと思われる真冬のさなかに、ほとんどの道を、徒歩で旅を続けました。姫路・赤穂・岡山・三原・下関と道はぬかるみ、旅は非常な難渋を極めました。しかし彼らの顔は、輝いていました。長崎で主イエスさまと同じ十字架につけられて殉教できることを、とても喜んでいました。彼らは殉教者に選ばれたことを、心から感謝しながら、天国への希望に燃えて、その旅を続けていたのです。彼らは知っていました。主がともにいることの喜びと素晴らしさを。その喜びをかみしめながら、十字架にかかる長崎までの道を歩いたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に
この2人は24人を護送する護衛の役人たちに、自分たちも殉教者の仲間に加えて欲しいと、繰り返し、繰り返し、しつこく願ったと言われています。役人たちはその姿にほとほとあきれ果て、ついにこの2人にも縄をかけたと思われます。また役人たちも、彼らの持っていた財布の路銀に目を付けたのかもしれません。いずれにしても、彼らは喜んで持っていた路銀を差し出し、自ら進んで縄を受け、殉教の恵みの中に加わり、彼らは26人となりました。この2人も自ら進んで「殉教」という十字架を、喜んで選んだのでした。それは彼ら自身の「選び」だったのです。 どこで2人が加わったのかは、はっきりしませんが、彼らが下関に着いた時には、殉教者たちは26人になっていました。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ福音書22章14節)
 京都と大阪で捕らえられた24人は、戻り橋を渡り、長崎への殉教の旅が始まります。その道中で2人が加わり26人となります。その2人のうちの一人は、青年のペトロールズでした。彼は、京都にいたオルガンティノ神父が、24人の中にいる3人のイエズス会士の世話のためにと付き添わせたのです。彼は道中での必需品を差し入れるための路銀を携えていましたが、わが身も顧みずに奉仕に努めていました。もう一人は、京都のフランシスコ会士のもとにいた伊勢の大工であったフランシスコ吉です。彼はフランシスコ会士をはじめ、24人の殉教者たちが、京都、大阪、堺の町々を引き回された時から、長崎に護送される道中の間彼らの事を慕い続けて、身の回りの世話をし続けたのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

五  選び2−「戻り橋」

私も結婚してすぐに、妻と共にこの「戻り橋」に行きました。そして二人でこの橋を渡ったのです。それは、私たち夫婦の神さまへの 信仰告白でした。「神様が与えてくださった 召しを選んでいきます。この選びを捨てて、もう決して戻ることはしません」という私たちの主への信仰告白だったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

五  選び2−「戻り橋」

そして彼らはその橋を渡りました喜んで、その橋を渡ったのです。そして彼らは耳をそがれ、京都、大阪、堺と引き回されることになりました。彼らは殉教することを、天国への旅を、えらんだのです。この橋は「戻り橋」と呼ばれています。彼らは、この「戻り橋」を戻りませんでした。彼らは戻らず渡ったのです。そして、彼らの天国への殉教の旅が始まったのです。彼らにとって主と共にいる喜びがあまりに大きかったのでそれを失うことの方が、この地上で受ける肉体への苦痛よりも、はるかにつらかったのでしょう。確かに、主は彼らとともにおられたのです。そして、その共にいてくださることを、彼らは喜んだのです。それは彼らにとって、当たり前の選択だったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

五  選び2−「戻り橋」

しかし、キリシタン大名と親交のあった当時の京都奉行の石田三成が、秀吉に彼らの減刑を申し出、左の耳たぶを切るだけで許されました。1月3日、上京一条の辻に24人は連れ出され、そこで左の耳たぶをそがれます。実はこの時、彼らには、殉教から逃れることができる機会がありました。上京一条の辻に橋があります。その橋を渡る前に、役人たちは24人に向かって言いました。「もしここで、この橋を渡らずに、お前たちが信仰を捨てるなら、耳そぎはもちろん、処刑も免除される。そしてお前たちは全員、許されるのだ。でも、もしあくまで信仰を捨てないのなら、この橋を渡るその時、そこから、お前たちの死への旅が始まるのだぞ」そう言って彼らを脅したのです。しかし、彼らはその橋を渡りました。喜んで、その橋を渡ったのです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

五  選び2−「戻り橋」

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」(マタイ福音書22章14節)
二十六聖人が、最初に捕らえられたのは、京都と大阪の教会でした。最初、24人でしたが、長崎に向かう道中で身の回りの世話をするために付き人としてついてきていたペトロ助四郎とフランシスコ吉が殉教者の中に加わり、26人となります。

posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする