2019年02月26日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。しかしキリシタン流配の処分を出した後、当主は死亡し、長男は懲戒のため高島炭鉱に送られている時、ガス爆発により死亡しています。その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて生計を立てるのに困り、ついに敷地から邸宅に至るまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、村を立ち退くことになったのです。
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四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 そこで浦上に仮聖堂を建てる計画を作り、まずは適当な場所を探しました。そこで、瓦ぶき平屋で、200人ぐらい収容できる離れ座敷を仮聖堂にあてました。しばらくは、ここに、大浦からポアリエ神父が通っていましたが、聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。そして1880年、高谷庄屋屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。
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