2019年02月15日

四十三  浦上四番崩れ7−天災

浦上を襲う天災
キリシタンたちが、浦上に帰ってきた翌年の1874年夏、まず赤痢が流行します。そこへ追い打ちをかけるように8月21日、台風が来襲し、長崎は大被害を受けます。前年建てたばかりの浦上のバラック長屋は、総倒れとなり、昔からあった家も含めて、全戸数の半分は倒壊しました。1年かけて辛苦の中で育てた農作物は、風に吹きちぎられ、収穫は皆無となりました。米価は暴騰し、食べ物にも困った浦上農民に、赤痢はますますひろがりました。そして浦上だけでも210人の患者が出ました。しかし、この悪条件の中で、赤痢という恐ろしい疫病を210人の患者で食い止め、8人の死者にとどめたのは、ド・ロ神父と彼を助けた岩永マキら篤志看護婦の献身があったからです。
posted by 日本教会史 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする