2018年09月30日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやってくる

リバイバル

 時の権力者、太閤秀吉、彼は長崎にいる 多くのキリシタンたちの信仰を捨てさせるために、彼らへの見せしめとして26人を 長崎まで連れてきて 処刑したのです。けれども結果は、秀吉の思惑とは、全く逆になったのです。 二十六聖人たちは、信じていました。必ず主は、この殉教の死は、決して無駄になることなく、一粒の麦として、のちの日に、豊かな実を結ぶのだと。
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2018年09月29日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやってくる

リバイバル

 当時の人たちは、死を頻繁に見ていました。 しかし、こんなに喜びと希望に満ちた死を見たことがありませんでした。いつも呪(のろ)いと恨みと後悔の中で、人は死んでいったのです。ですから、当時の人たちにとって、この26人の殉教者たちの死は、驚きと感動と羨望(せんぼう)であったのです。 二十六聖人の殉教を見ていた見物人たちの中のクリスチャンはもとより、信仰のはっきりしていなかった人々やキリストを信じていなかった人までもが、改心し、代官所に詰め掛けて、自分もクリスチャンだから殺してくれと言って、人々が殺到してきたと言われています。そしてこの後、彼らは殉教していきました。

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2018年09月28日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

リバイバル

 日本26聖人。彼らは自分の十字架をしっかりと受け取り、喜んで西坂の丘で殉教していきました。彼らは、最後まで福音宣教に生き、西坂の丘で十字架につけられて殉教したのです。 西坂の丘に集まっていた4000人ともいわれている見物人たちは、この26人の殉教の姿に感動し、長崎に小さなリバイバルが起こります。
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2018年09月27日

二十八  十字架を負ってー応えは必ずやってくる

十字架を負って

また、彼らにとっては京都で捕らえられてから、西坂の丘で殉教するまでの およそひと月の長崎への道のりは、、十字架を負うことの恵みを、さらに深く知る恵みの時となった事でしょう。 その道のりの中で、彼らは、今までなかったほどキリストに近づき、さらに十字架の深みへと導かれ、そして喜んで殉教していったのです。彼らに許された殉教という十字架を負うために、主は、ひと月の備えの時を、彼らに与えられたのです。キリストのそばに置かれた12弟子たちが、キリストと聖霊によってつくり変えられていったように、26人の殉教者たちも、この殉教への道の中で、神に近づけられ、変えられていったのでしょう。  長崎への道の途中で、殉教者に加えられたペトロ助四郎やフランシスコ吉、それに日本に来てわずか数カ月で捕らえられ、殉教者の中に入れられたフェリペを見ていると、そんなふうに、私には見えてくるのです。
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2018年09月26日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人もし我に従(したが)はんと欲(ほっ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って

 喜んで殉教していった26人の殉教者たち。 彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。 なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例え話マチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名をもつ別人に代わって、捕らえられることができたのでしょう。
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2018年09月25日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

福音宣教

 たとえその結果、命を失うとしても、彼らは福音を語ることを止めませんでした。救われていない人々がいる限り、彼らは、福音を語り、宣べ伝えることを、止めることなどは考えられなかったでしょう。異邦人伝道に召されていたパウロが「私の同胞のためには、呪われた者となることさえ願いたい」と言った同じスピリットを、彼らも持っていたのです。
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2018年09月24日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

福音宣教

 福音宣教。イエス・キリストの福音を宣べ伝える。 これこそが、彼らの召しだったのです。彼らは、この召し、福音宣教の中に生きていました。そして、この福音宣教という召しに忠実に生きたときに、殉教という十字架が、彼らの前に置かれたのです。 彼らは、今まで、口を聞きませんでした。どんなに妬みから、ありもしない悪口雑言を言われても、彼らは黙して語りませんでした。しかし、イエス・キリストの福音に関する限り、イエス・キリストの証人として、彼らは口を閉ざすことは、できなかったのです。
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2018年09月23日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

 京都で捕らえれられから、十字架の上で、最後にやりを受けるまで、キリストの福音を宣べ伝え続け、十字架の説教を止めなかったパウロ三木。
彼は最後の最後まで魂を追い求めていました。19歳のヨハネ五島が、最後に父と語ったことは、魂の救いでした。15歳の少年トマス小崎は、父と共に殉教するために引かれながら、2人の弟の救いのために、母マルタに、三原城から手紙を書きました。十字架にすがりついて「降りてきて」と叫ぶ両親に「喜んでください」と天国を語った13歳の少年アントニオ。  彼も両親が救われて天国へ来ることを、心から願って信じていました。彼らの切なる願いは、人々がキリストを信じて救われ、神のもとに帰ってくることだったのです。彼らは、人々の魂を、最後の最後まで求め続けていました。
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2018年09月22日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

己(おのれ)を捨てて、喜んで殉教していった26人。彼らは、すでに、もう自分に死んでいました。 しかし、そんな彼らにも、ただ一つの気掛かりががありました。それは、この地上に残されるまだ救われていない魂のことでした。天に帰ることを心から喜びながら、まだ救われていない日本の人々の魂を考えると、彼らの心は、激しく痛んだのです。イエス・キリストを真に信じる者への迫害が始まった、この国の将来を思うと、彼らの心に憂いがやってきました。 それは死に対する恐れや恐怖でも、この地上に対する執着や、家族と離れてしまうことへの悲しみでもありませんでした。 彼らは、この日本に、まだキリストを知らない者がいることに、耐えられなかったのです。そして、もう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように、泣かずにはいられなかったのです。
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2018年09月21日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

己を捨てて

 私たちが喜んで十字架を負えないのは、きっとまだ己を捨てて、自分に死んでいないからなのでしょう。己を捨ててしまうなら、御国の喜びが、十字架を負っているそのところに、今すぐにでも、やってくるのです。     彼らは己を捨てて、喜んでいました。 ただ一つのことだけを除いては・・・。
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2018年09月20日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

己を捨てて

 京都で捕縛され、殉教者に選ばれてしまった時から、彼らの心は、ますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて、天につなぎ合わされていったことでしょう。長崎で殉教するまでのひと月の殉教への歩みの中で、彼らの肉体はとても弱くされ、痛みや苦しみが襲ってくることも、しばしばあったかもしれませんが、彼らの心は、天の御国の喜びに、ますます満たされて、キリストと福音とのために殉教しなければならなくなったことを、本当に喜んでいたことでしょう。ちょうど、キリストのみ名のために、辱められるに価するものとされたことを喜んだ使徒たちのように。
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2018年09月19日

二十六  十字架を負って2−己を捨てて

己を捨てて

 なぜ彼らは殉教という十字架を前にしても、こんなに喜んでいることができたのでしょう。それは彼らが、もうすでに「己を捨て」自分に死んでいたからなのです。 かれらはもはや、自分の命には、生きていなかったのです。主が、ご自身の命の代価を払ってあたえてくださった永遠の命の中に、彼らは生きていたのです。だから、彼らは、心から喜んでいたのです。
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2018年09月18日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

天の喜び

 主はその時、語られたのです。「彼らは喜んでいた」と。 確かに、彼らは喜んでいました。 役人の「養子になれ」との誘いを断って、自分の十字架に走り、口ずけした12歳の少年ルドビゴ茨木。 十字架の足元にすがりついて「降りてきて」と絶叫する母に向かって「喜んでくださいと言った13歳の少年アントニオ。 メキシコに行き、司祭に叙階(じょかい)されるはずだったのに、日本で殉教することになった時、「サン・フェリペ号が難船したのは、この私が殉教の恵みにあずかるために許されたのです」と言ったフェリペ。 彼らはみんな、心から喜んでいました。
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2018年09月17日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

天の喜び

 初めて西坂の丘の来て祈った時、私は驚きました。なぜなら、坂を上がって西坂の丘にたどり着くと、そこには「喜び」があったからです。天から注がれてくるような、さわやかな明るい喜びが、確かにそこにはあったのです。それは、私の中にそれまであった、暗い悲惨な殉教というイメージとは、あまりにもかけ離れていました。 そこには、とても深い主のご臨在があったのです。その日は小雨が降っていましたが、私が、西坂の丘に立ち、心を主に向けて祈ると、喜びが内側からあふれてくるのです。
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2018年09月16日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば

すぐ従う心をもって

 二十六聖人たちは、キリストのように受け取ったのです。しかも喜んで、それが彼らにできたのは、彼らが特別な「聖人だった」からなのでしょうか。私は、そうではないと思います。二十六聖人が特別な聖人だったからできたとは、私には思えないのです。 私は彼らを慕っています。その信仰にならいたいと願っています。とても彼らを尊敬しているのです。 しかし、やはり二十六聖人たちも、私たちと同じように、弱さを持った罪びとだったのです。ただ、彼らは、主に従いたいと、心から願っていました。彼らは、本当に主を愛していました。その主への愛と、従いたいという強い強い願いが、聖霊の助けの中で、彼らを殉教にまで導いていったのでしょう。  キリストに選ばれた弟子たちは、ガリラヤの無学な普通の人でした。 けれども彼らは、主に呼ばれ、招かれた時に、すぐに従いました。 同じように二十六聖人たちも、主に、すぐに従う心を持っていたのです。
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2018年09月15日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従はんと欲せば

 これは、彼らにとっては、まさに十字架でした。しかし彼らは、その殉教という十字架を、喜んで受け取り、黙って縄を受けたのです。 それはちょうど、キリストが、パリサイ人や律法学者たちの妬みによって、十字架につけられたのと、そっくりでした。また、キリストが捕らえられた時、祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不当な不法な裁判においても、大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みと誹謗と中傷によって、十字架につけられることになった事を、黙って引き受けたのです。   私たちの日々の信仰生活においても、同じようなことが許されることがあります。もちろん今の日本では、殉教ということはないでしょうが、妬まれたり、ありもしないことを言われたりというのは、日常茶飯事です。 そのような時に、私たちは黙ってその十字架を受け取っているでしょうか。つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を投げ捨ててしまっていないでしょうか。その十字架から、逃げてしまっていないでしょうか。
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2018年09月14日

二十五  十字架を負って1−人若し我に従わんと欲せば、

 ここからは、このレリーフに刻まれている御言葉をを通して、彼ら二十六聖人たちの殉教に至る生涯を見ていきたいと思います。そしてそこから、今、生きている私たちに対する主の語りかけを聞いていきたいと思います。         人若し我に従わんと欲せば
 二十六聖人たちが殉教することになった直接のきっかけは、サン・フェリペ号の遭難でした。けれども、時の権力者太閤秀吉が、彼らに処刑を命じた原因は、そればかりではなく、ほかにもありました。いくつか考えられますが、その一つは、間違いなく元仏教僧だった施薬院全宗の妬(ねた)みと敵対心からの諫言(かんげん)でした。また、ポルトガルと今のスペインであるイスパニアの貿易競争からくる誹謗(ひぼう)合戦の結果でもありました。二十六聖人たちたちは、ありもしない悪口雑言を散々言われた上、殺されることになったのです。
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2018年09月13日

二十五  十字架を負って1−人もし我に従わんと欲せば

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)

 日本二十六聖人が、殉教した西坂の丘に、今は、彼らのレリーフが立っています。レリーフには、26人の殉教者が並んで彫られています。そのレリーフのちょうど真ん中の下の部分に、7本の十字架と共に、このみ言葉が刻まれているのです。  私が西坂の丘にたって祈るとき、いつもこのみ言葉は私の心に迫り語りかけてきます。確かに、御言葉には力があります。私たちが、この殉教の丘に立って祈る時、このみ言葉は静かに,しかし非常に力強く、祈る者たちに迫ってくるのです。 それは、きっと、二十六聖人たちが、このみ言葉に生きて、証を立てたからなのでしょう。彼らの生涯は、まさに、このみ言葉の成就だったと言えるのです。
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2018年09月11日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い

 ペテロ・バプチスタ神父は、全員が喜んでやりを受け、天に帰っていくのを見届けることができたのです。今や彼は、彼の霊の子どもたちや同僚たちと共に、天に帰るために、喜びながら、やりを受けることができるのです。 彼は、天を見上げて、くちびるを動かして祈りました。キリストが祈られたのと同じように、最後の祈りをしたのです。「父よ。わが霊を見てに委ねます。」と。そのとき、25人の鮮血で染まったやりが、ペテロ・バプチスタ神父を突き刺しました。       こうして、26人の処刑、が終わりました。日本で、初めての26人の殉教者たちが、喜んで天に帰っていったのです。この後に続く激しい迫害と殉教の先駆けとして。西坂の丘には、今も殉教者たちが残していった天の喜びが注がれています。 あなたも機会があれば、ぜひ祈りに訪れてください。
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二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

バプチスタ神父の願い

 ペテロ・バプチスタ神父を、最後まで残したのは、半三郎をはじめとする役人たちの考えでした。それは、25人の仲間たちが、無残に刺し殺されて死ぬのを見れば、彼が途中で進行を捨てるかもしれないと考えたからでした。 しかし、ペテロ・バプチスタ神父は全く違うことを考えていたのです。 バプチスタ神父は、全員がだれひとり信仰を捨てることなく、最後まで主を愛して、殉教することを、心から願い祈っていました。そして、全員のその姿を、しっかり見届けたいと願っていたのです。 役人たちは、バプチスタ神父が、そんなことを願い祈っていることなど、何も知りませんでした。しかし役人たちが、バプチスタ神父を最後に処刑したことは、結果的には、彼の祈りの答えとなり、役人たちの思惑とは、全く逆だったのです。
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2018年09月10日

二十四  最後の殉教者ーペテロ・バプチスタ

「この方はまことに神の子であった」(マルコの福音書15章39節)

 西坂の丘の上に立てられた26本の十字架の上に、合図とともに、やりが突き刺さります。東と西の端から、一人また一人と、鮮血とともに26人は、次々にじゅんきょうしていきました。 東と西の端から始まったこの処刑も、やりを突き刺す執行人たちが、中央で出会うときには、26人全員の処刑が終わろうとしていました。 けれども、ただ一人、最後まで残された人がいました。 それは、ペテロ・バプチスタ神父でした。
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2018年09月09日

二十三  西坂の丘の上に立てられた26の十字架

さまざまな殉教

 12歳の最年少のルドビゴ茨木は、やりを受けた時、「パライソ(天国)、パライソ(天国)」と言って、目を天に向けながら、殉教したのです。 トマス小崎は、父のミカエル小崎とは、東と西に遠く離されて十字架にかけられていました。正確に言えば、トマス小崎は20番目の十字架にかけられており、父のミカエル小崎は4番目の十字架にかけられていたのです。 しかし、この親子は、ほとんど同じころにやりを受けて殉教し、共に天国に召されていったのです。 こうして、2人ずつ東西に分かれていた執行人が、中央で出会うころには、26人の処刑は終わろうとしていました。 けれども、最後まれ残された人がいました。それは、20人のリーダーだったペテロ・バプチスタ神父でした。
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2018年09月08日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

合図とともに

 執行人は2人ずつ、十字架から十字架へと、東と西の端から順番に、合図とともに突き刺して処刑をしていきました。勢い余って、槍の穂先が背中に出る者さえいました。 ほとんどの殉教者たちは、やりで突き刺されると、鮮血と共に瞬時にして息が絶えました。しかし、まだ息が少しでもあり、不十分と思われた者は、のどを、もう一度一突きされ、とどめを刺されたのです。
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2018年09月07日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

合図と共に
 4人の執行人はやりを持ち、2人ずつ一組になって十字架の両端へと行きました。そして、東の一番端の十字架と、西の端にある26番目の十字架との下に、やりを構えて立ったのです。彼らは、やりのさやを払い、合図を待っています。その時、半三郎から合図の声が掛かります。すると掛け声もろとも、やりは殉教者の胸の中でこうさくしました。 こうして東の一番端の十字架の上では、フランシスコ吉が、また西の26番目の十字架の上では、尾張生まれの49歳の伝道者パウロ鈴木が、やりをX形に受け、鮮血と共に殉教したのです。
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2018年09月06日

二十三  西坂の上に立てられた26の十字架

「まことに、まことに、あなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネの福音書12章24節)

 西坂の上に立てられた26本の十字架。 最初に殉教したのは、日本に来て4カ月しかたっていなかった、弱冠24歳の青年フェリペでした。彼の十字架の支え木が、下に寄り過ぎていたため、全身の重みが鉄の首枷(かせ)にかかり、声も出せずに窒息しそうになっていたので、寺沢半三郎が、最初に処刑するように命じたのです。彼の処刑が終わると、半三郎は4人の執行人を呼びました。そして残された26人の処刑が始まりました。
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