2018年08月01日

十七  最後まで魂の救いー宣教を求めて

浦上のらい病院

 京都から始まった彼らの旅は、もうまもなく終わろうとしていました。最後の夜を過ごした時津を後にして、夜明けとともに26人は、再び歩き始めました。処刑される殉教の場所の西坂の丘を目指して、彼らは歩いたのです。このころには、京都で切られた耳は血と泥に汚れ、 かさぶたができていました。 時津から歩きだした26人は、谷底を、縫うようにして、小道を歩きました。そして西坂に向かう途中、ほんのひと時浦上にあるらい病院で休憩をとったのです。 そこには、イエズス会のパシオ神父が、待っていました。彼は、3人のイエズス会士の告解を聞くために、会いに来ていたのです。
posted by 日本教会史 at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする