2018年06月13日

九  ルドビゴ茨木3

 この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。 この少年の中に息づいていたのは、キリストともに生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
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九  ルドビゴ茨木3

 そして誰よりも早く西坂の丘に着くと、そこで彼らが殉教するためにつけられる十字架を作っていた役人に聞きました。「私のつく十字架はどれですか」と。役人は彼に目をやり、彼が一番小さい少年だということに気づくと「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番ちいさいあの十字架だ」と26本の中で一番小さな十字架を指差したのです。 ルドビゴ少年は、その役人に笑顔を返し、その指差された一番小さな十字架に喜びながら駆け寄り、力いっぱいその十字架を抱きしめると、思わずも十字架にほおずりし,そして十字架に口づけしたのです。                 
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