2018年06月30日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

旧友パウロ三木

 寺沢半三郎にとって、もう一つ大きな悩みがありました。それは26人の囚人の中に、旧友のパウロ三木がいたことです。半三郎は、パウリ三木と、学童のころ、親しかったのです。パウロ三木の教理解説の会に出席したこともあり、受洗を希望したこともあったほどです。実際、兄の奉行である寺沢宏高は、すでに洗礼を受けていました。 そんなわけで、半三郎は、とてもパウロ三木を尊敬し敬愛していたのです。 そのパウロ三木が、信仰のゆえに囚人として捕らえられ、その死刑執行を自分がしなければならないのです。 半三郎はパウロ三木に丁重にあいさつし、パウロ三木も友の厚意に感謝を述べ、二人は固く手を握り、肩をたたきあって、この奇遇を喜び合いました。 半三郎は親友を救うことができず、自分の手で死に追いやらねばならない宿命が、なんとも悲しかったようです。それなので、彼は自分に与えられている職権の範囲でできることがあれば、この友人の願いをかなえてあげたいと思いました。


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2018年06月29日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

今もそこには。天を思わせる臨在が、注がれています。 この山本で、26人の死刑執行人代理の寺沢半三郎に、彼らは引き渡されます。寺澤半三郎は、無邪気な3人の少年を処刑し殺さねばならないことで、心は暗くなっていました。それで何とかしてルドビゴを助けようとしたのですが、この少年は決してイエス・キリストへの信仰を捨てなかったのです。
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2018年06月28日

十二  死刑執行人、寺沢半三郎の苦悩ー三つの願いを退ける

 15歳の少年トマス小崎が母に手紙をしたためたのが、広島県の三原の三原城の牢獄でした。今は、そこには城跡しかありません。新幹線三原駅のすぐそばに隣接して三原城があります。そこは、祈るには、とても良い場所です。 26人は、そこで一夜を過ごした後、さらに殉教に向かって天国への旅を続けました。 三原から下関、博多を通過して、唐津の山本村に着きました。ここは最年少の12歳の少年ルドビゴ茨木が、神さまを愛し、キリストへの信仰をえらんだばしょです。
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2018年06月27日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

トマス小崎の手紙

  15歳の少年トマス小崎は、自分と父が殉教することに対しては 何の恐れも心配もしていませんでした。いやそれどころか、喜んでさえいたことでしょう。天国に対する確信と希望を、持っていたからです。しかし、残されてしまう母と、まだ幼い2人の弟の事が心をよぎり、この手紙を書いたのです。彼らが最後まで信仰を守って、天国で必ず会えるようにと、祈りながら,涙ながらに書いたのかもしれません。 そして、この手紙を書き終えた時には、トマス少年は、愛する母と2人の弟も、主のみての中に委ね切っていました。主を信頼していたからです。
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2018年06月26日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

トマス小崎の手紙

それから、とりわけ弟マンショとフィリポに関しては、彼ら2人を異教徒の手にゆだねることのないように、よろしくお取り計らいください。 私は母上様の事をわれらの主にお願いし、お委ね致します。母上から私の知っている人々に、よろしく申し上げてください。 母上様。罪とがを悔い改めることを忘れぬよう、再び重ねてお願い申し上げます。何故なら悔い改めだけが、唯一の重大なことですから。アダムは神に背き、罪を犯しましたが、悔い改めと贖い(贖い)によって救われました。 陰暦12月2日 安芸の国三原城の牢獄にて」
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2018年06月25日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

トマス小崎の手紙

 「母上様 神の恵みに助けられながら、この手紙をしたためます。 罪標に記されている宣告分にあるように、パードレ以下私たち24人は長崎で十字架につけられることになっています。どうか私のことも、父上ミカエルの事も何一つご心配くださいませんように。パライソなる天国で母上様とすぐにお会いできると お待ちしております。 たとえパードレ様がいなくても、臨終には罪とがを熱心に悔い改め、イエス・キリストの幾多の恵みを感謝なされば救われます。この世ははかないものでありますから、パライソなる天国の永遠の全き幸福を、ゆめゆめ失わぬようにお心掛けください。人が母上様にいかなることをしようとも、忍耐し、かつすべての人に多くの愛をお示しください。
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2018年06月24日

十一  15歳の少年トマスー母にしたためた手紙

三原城の牢獄の中で

 この手紙をトマス小崎が書いた場所は、今の広島県の三原です。 殉教者たちの一行は、京都で戻り橋を渡り、兵庫、明石、姫路、岡山、尾道と旅を続け、この三原にたどり着きます。 1597年1月19日の深夜に、三原城の牢獄で、15歳の少年は見張りの目を盗みながら、涙ながらに母マルタにあてて、この別れの手紙を書きました。
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十一  15歳の少年トマスー母にしたためた手紙

三原城の牢獄の中で

 この手紙をトマス小崎が書いた場所は、今の広島県の三原です。 殉教者たちの一行は、京都で戻り橋を渡り、兵庫、明石、姫路、岡山、尾道と旅を続け、この三原にたどり着きます。 1597年1月19日の深夜に、三原城の牢獄で、15歳の少年は見張りの目を盗みながら、涙ながらに母マルタにあてて、この別れの手紙を書きました。
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2018年06月23日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

  少年トマスが母にあてて書いた手紙が、殉教した後に、父ミカエルの懐から見つかりました。囚人だったトマスには、手紙を書いても届けるすべがなかったのでしょう。 彼は、父ミカエルに、この手紙を渡します。 しかし、同じ囚人として捕らえられ殉教への旅をしている父にも、やはり届けるすべがはなかったのです。父のミカエルは、この手紙を大切に自分の肌着の下に、身に着けて隠し持っていました。 それを殉教の後に、ポルトガル人が発見しました。その時、この手紙は血に染まっていました。
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2018年06月22日

十一  15歳の少年トマス小崎ー母にしたためた手紙

 西坂の丘で殉教していった26人の中にいた3人の少年。そのうちの2人、弱冠12歳の最年少のルドビゴ茨木と中国人を父に持っていた13歳の少年アントニオ。彼の両親は、まだイエス様を信じていませんでした。この2人については、すでにもう書きました。今回は、もう一人の少年。15歳のトマス小崎について書きたいと思います。彼は48歳の父ミカエル小崎と共に殉教します。父のミカエル小崎は伊勢生まれの弓師でした。その父とともに、西坂の丘で十字架にかけられて、処刑され殉教していったのです。
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2018年06月21日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

 アントニオは、さらに何度も何度も、両親に向かって言いました。「喜んでください。喜んでください」と。 そう言って隣で十字架に掛けられていたルドビゴ茨木と共に、詩篇113篇を賛美し始めたのです。 その時、西坂の丘に天国が下りてきたと言われています。
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2018年06月20日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

 中国人の父親は、それでも叫び続けました。「アントニオ、キリシタンを捨てて助かってくれ。そうすれば私のありったけの財産をお前に譲ってやる。頼むから、どうか頼むから、キリストを捨てて助かってくれ」「お父さん、財産は、この世だけの物です。主イエス様が、私たちのために準備してくださっているのは、永遠の宝です。お父さん、嘆かないでください。私は、もうすぐ天国へ行きます。そしてそこで、お父さんのためにお祈りいたします。だからお父さんもイエス様を信じて、天国へ来てください。そこでお待ちしていますから」
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2018年06月19日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

 案の定、アントニオの両親は、十字架に近づいて激しく泣き叫びました。「アントニオ。お願いだから十字架から降りてきてちょうだい。親に先立つ不孝があるか。お願いだから、キリストを捨てて降りてきてちょうだい」 必死になって、半ば狂乱しながら十字架にしがみついて泣き叫ぶ両親に向かって、アントニオはこう応えたのです。「お父さん、お母さん。喜んでください。私は、これから天国へ行くのです。お父さん。お母さん。泣かないでください。私はこれから先に天国へ行って、お父さん、お母さんのおいでになるのを待っています。ですから、お父さんもお母さんもイエス様を信じて、私の後から天国に来てください。お父さん。お母さん。喜んでください」


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2018年06月17日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

  今回は,そのアントニオについて書きたいと思います。 アントニオの生まれ故郷は、長崎でした。彼の父親は中国人、母親は日本人でした。両親はまだどちらもイエス・キリストを信じていませんでした。 政府の役人たちは26人を処刑するとき、アントニオの十字架の足元に両親を連れてきたのです。両親の叫びを聞けば、アントニオが、信仰を捨てるかもしれないと役人たちは思ったのでしょう。彼らは、何とかしてキリストへの信仰を捨てさせたかったのです。
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2018年06月16日

十  少年アントニオー十字架で捧げた賛美

「ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。」(詩篇113篇1節)

 西坂の丘で殉教していった26人。その中に3人の少年がいました。その一人が佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ少年でした。彼は若干12歳の最年少であったにもかかわらず、西坂の丘で自分のかかる十字架を抱きしめ、思わずも十字架に頬ずりをし、そして十字架に口ずけしたといわれています。 その十字架の上で、彼は詩篇113篇を、彼の横に並んで、同じように十字架にかけられて殉教していった13歳の少年アントニオと共に、心から神に向かって賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。(新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
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2018年06月13日

九  ルドビゴ茨木3

 この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。 この少年の中に息づいていたのは、キリストともに生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
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九  ルドビゴ茨木3

 そして誰よりも早く西坂の丘に着くと、そこで彼らが殉教するためにつけられる十字架を作っていた役人に聞きました。「私のつく十字架はどれですか」と。役人は彼に目をやり、彼が一番小さい少年だということに気づくと「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番ちいさいあの十字架だ」と26本の中で一番小さな十字架を指差したのです。 ルドビゴ少年は、その役人に笑顔を返し、その指差された一番小さな十字架に喜びながら駆け寄り、力いっぱいその十字架を抱きしめると、思わずも十字架にほおずりし,そして十字架に口づけしたのです。                 
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2018年06月11日

九  ルドビゴ茨木3

 佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ茨木少年。 12歳の最年少であった彼を、何とか助けたいと思った寺沢半三郎も、彼のキリストへの愛と信仰を聞いて、もう何も言わなくなりました。 26人の殉教への旅は続きます。そしていよいよ、彼らが十字架にかけられて殺され殉教する西坂の丘が近づいてきました。 その時、最年少のルドビゴ茨木少年が、小走りに走り出したのです。 当時、西坂の丘は、長崎で最も小高い丘だったようです。今でもそうですが、遠足でどんなに疲れていても、頂上が見えると急に元気になって走り出す子供のように、ルドビゴ茨木少年も、西坂の丘が見えると、急に元気になって、その丘を駆け上がったのです。





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2018年06月10日

九  ルドビゴ茨木3

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい」(マルコの福音書8章34節)

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九  ルドビゴ茨木3

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい」(マルコの福音書8章34節)

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2018年06月09日

八  ルドビゴ茨木2

西坂の丘で

 ルドビゴ少年は刑場である西坂の丘に着いたとき、自分が処刑されるために用意された十字架に走り寄り、それを抱きしめて、ほおずりし口づけしたと言われています。 そして、その十字架の上にかけられたとき、隣の十字架にかけられていた13歳のアントニオ少年とともに、高らかに詩篇113篇を賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。  (新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
                            













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2018年06月08日

八  ルドビゴ茨木2

 この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書にも彼は動じませんでした。この少年は、確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。 そして、キリストがともにいることの素晴らしさの中に、命の中に、生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。
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2018年06月07日

八  ルドビゴ茨木2

 山本の村を流れている川の堤防に腰掛けながら、天を見上げて祈っていると、深い神さまの御臨在が、いつも注がれてきます。 人生の大きな選択の時に、この山本村で静まっていると、かって神さまを選んだルドビゴ少年の声が聞こえてくるような錯覚に陥ります。 そして主がすぐそばに来て、私に触れ、み言葉をもって語りかけてくださるのです。「永遠に価値あるもののために生きなさい」と。 この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。
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2018年06月06日

八   ルドビゴ茨木2

 かって日本には、このような12歳の少年がいました。キリストを愛するあまり、命をも惜しまず、どんな権力をもっている人にも屈せず、この地上でのぜいたくにも目もくれず、永遠の天の御国をまっすぐに見ながら、命をかけて福音を宣べ伝え続けた少年がいたのです。それが12歳のルドビゴ茨木少年だったのです。 この少年に見つめられて、福音を語られた寺沢半三郎は、返す言葉もなく。彼の目をルドビゴ少年からそらしたのです。 私は何度か、ある時は一人で、ある時は夫婦で、ルドビゴ少年が神を選んだ山本の村へ、足を運びました。
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2018年06月05日

八  ルドビゴ茨木2

「命を救おうと思うものはそれを失い、私と福音とのために命を失うものはそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分の命を買い戻すために、人いったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章35〜37節)

 唐津の山本村で「私の養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、西坂の丘で十字架につけられて、殉教することを選んだルドビゴ茨木。 しかし寺沢半三郎は、このいたいけな12歳の少年の命を何とかして助けたいと思って 何度も何度も、いろんな言い方で彼に「養子になれ。俺の小姓になれ」と語りかけ誘ったのです。その度重なる誘いを「キリストを捨て、永遠の命をつかの間の命と変えることはできません」と、はっきりルドビゴ少年は断りました。 いやそれどころか、むしろ「お奉行さまこそ、キリストを信じて私と一緒にパライソである天国へ参りましょう」と詰め寄り、寺沢半三郎の目をしっかりと見つめて、福音を宣べ伝えたのです。
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