2018年05月10日

二  序章2

  私も、実をいうと、初めは「殉教」という言葉を聞いても、あまり現実味を感じませんでした。しかし、いま私が属している教会に導かれ,そこで説教や預言を通して「殉教」ということを聞き、また長崎に何度か導かれ「日本二十六聖人」のことを調べていくうちに「殉教」ということが、自分自身にもかかわる問題として迫ってきたのです。 確かに日本にいると、先ほども書きましたが、殉教というのは何か遠いことのように思えてきます。それだけ日本が平和だということでしょうか。とはいえ、日本もずいぶん以前に比べれば、治安が悪くなってきました。危険があちこちに転がっています。天災・人災を通うして、たくさんの人が一時に亡くなってしまう大量死の時代がやってきたようなきがします。しかし、それでもやはりキリストを信じているから殺されるということは、まだピンと来ないのではないでしょうか。
posted by 日本教会史 at 06:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする