2017年10月31日

キリスト教邪教観4

一方、長崎では
沢宣嘉は、
浦上キリシタンの指導者26人を、
総督府によびだして、
キリシタンを捨てよと、
詰め寄りました。

しかし改心戻しをした時、
彼らは殉教を覚悟していましたので、
「死刑にされても、かまいません」
と言って信仰を改めようとはしません。

そこで
沢宣嘉は4月29日に
180人の、戸主を呼び出し、
総督府の庭の小石の上に座らせて、
12人の役人を従えて出てきました。
posted by 日本教会史 at 14:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

キリスト教邪教観3

これを見た欧米の外交団から、
「われわれ文明人の信じている
キリスト教会を邪宗というのは
われわれに対する侮辱である」と、
政府へ抗議してこられ、
政府は困って、

一、切支丹宗門の儀は、是迄御制禁の通り
固く相守るべく候事。
一、邪宗門の儀は固く禁止之事。

と、書き改めました。
posted by 日本教会史 at 08:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

キリスト教邪教観2

五榜の掲示の第3札には、
次のように書かれていました。

1 切支丹邪宗門の儀は堅く御制禁たり。
若し不審なる者之有れば、
その筋の役所に申し出可、
ご褒美下さる可事。
慶応四年三月       大政官


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2017年10月08日

キリスト教邪教観

年は改まり1868年、
明治新政府は沢宣嘉を、
九州鎮総督兼外国事務総督に
任命します。

彼は井上聞多〔馨)を連れて、
3月7日に長崎に着任します。

新政府は
4月7日に五榜の掲示を掲げ、
神道国教主義の政府方針を
明らかにしました。

つまり、
神道により民心を一つに
まとめようとしたのです。

それは当然キリシタン弾圧を
決定づけました。
posted by 日本教会史 at 23:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

改心戻し6

ところが白州へ出てみると、
案に相違して、
「いずれ厳しく吟味いたすので、
その時呼び出すまで
自分の家におれ」と
言い渡されて
奉行所から追い出されました。

というのは、幕府が倒れて、
天皇政治が始まろうとしており、

奉行所は
それどころではなかったのです。

翌11月9日に、
15代将軍慶喜は、大政を奉還し、
浦上事件を解決できないまま、
幕府へ倒れました。

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2017年10月03日

改心戻し5

「ぜひに願いを、いたしまする。
もし庄屋さまが
受け付けてくださらないならば、
これから長崎の代官に
直訴をいたしまする」

庄屋はやむなく、
その夜のうちに、
彼らの名簿を添えて
長崎代官に届けました。

数日後、
彼らは奉行所に呼び出されました。
殉教覚悟で、
彼らは出頭しました。



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