2017年07月28日

捕縛5

明治6年、
すなわち、1873年になって、
やっとこの問題は解決し、
キリストを信じることが
認められたのです。

しかし、
そのためには
「浦上四番崩れ」と
いわれている、
明治政府による
キリシタン弾圧の中での
厳しい迫害と殉教を
通過しなければならなかったのです。

posted by 日本教会史 at 16:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

捕縛4

代わった明治新政府は、
神道を中心に
天皇政治を目指したため、
キリシタンに対しては
迫害の手を緩めるどころか、
ますます激しくなりました。

そのため、
キリシタンへの
迫害と弾圧は、
外交上の問題となりました。


posted by 日本教会史 at 19:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

捕縛3

けれどもまだ、
日本は
キリスト教を禁止していました。

その結果、
浦上のキリシタンたちは、
ついに捕らえられ、
ろうに入れられてしまいます。

まず最初に、
指導者の68人が
捕まりました。

そして、
この問題を解決できぬまま、
江戸幕府は
倒れてしまうのです。
posted by 日本教会史 at 16:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

捕縛2

そして、
預言通りに
7代250年たった時に、
神父がやって来たのです。

「ワタシノムネ
アナタトオナジ」

この言葉をもって復活した
キリシタンたちは、
うれしくてうれしくてたまりません。

それまで隠れ続け、
待ち続けてきた
キリシタンたちは、
毎日のように
天主堂に通い、

熱心に祈り、
みことばを学びました。
posted by 日本教会史 at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

捕縛

これから
「浦上四番崩れ」について
書いていきたいと思いますが、
その前に今までに書いて来たことを、
簡単にまとめておきます。

激しい迫害の中で
潜伏したキリシタンたちは、
バスチャンの残した
予告預言を信じて
7代250年間、
罪の告解を聞いてくれる神父が
来るのを待ち続けていました。
posted by 日本教会史 at 07:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

浦上四番崩れ7

その結果、
この問題は江戸幕府と
上記各国による外交団との間に移され、

外交団は毎日のように、
この問題をもって
幕府に迫りました。


しかし、
徳川250年の間に培われた
キリシタン邪教観は根深く、
なかなか解決はしなかったのです。

そして、キリシタン事件を
解決できないまま、
幕府は
瓦解してしまうのです。
posted by 日本教会史 at 12:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

浦上四番崩れ6

しかし奉行は
「これは純粋な内政問題なので、
外国の指図を受けるものではない。
ことに200年来も守られて来た
キリシタン禁教の法令を
止めることは、

幕府だけがすることで、
地方の問題ではないから、
どうか江戸幕府へ談判してほしい」
と、答えました。
posted by 日本教会史 at 11:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

浦上四番崩れ5

対等の条約が
結べなくなるかもしれません。

ですから、
早急に信者を放免し、

さらに進んで
キリシタン禁教令の
高札をとりのける方が、
国家のために良いでしょう」

と注意をしました。


posted by 日本教会史 at 08:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

浦上4番崩れ4

大国アメリカの全権大使が、
農民信徒たちを
懇切に慰問したことは、
長崎奉行をずいぶん
驚かせたようです。

領事たちは、
「日本が宗教をゆるさないということは、
野蛮国であるという証拠であり、
この度の事件が
本国へ報告させられたならば、

日本の立場は非常に
悪くなるでしょう、
posted by 日本教会史 at 09:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

浦上四番崩れ3

その日
7月15日の午前11時、プロシア領事が、
翌16日にはフランス領事レックスが、
その翌17日は、ポルトガル領事ロレイロが
奉行所を訪ね、
抗議をしました。

その数日後に来日した
アメリカ公使ワルケンブルグも
奉行に抗議し、
牢内にいる信徒たちを
見舞いました。

posted by 日本教会史 at 07:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

浦上四番崩れ2

キリシタンであるという
信仰の理由だけで、
このような捕縛投獄が行われたことは、
居留外国人たちに
大きな衝撃を与えました。

そして、
この事件は、
その日のうちに
外交問題となりました。
posted by 日本教会史 at 08:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする