2017年05月30日

役人の目を盗んで

それでも信者たちは、
役人の目を盗んでは、
夜となく昼となく、
天主堂に入りこんでオラショを唱え、
神父たちと話をするのでした。

それが役人の目にあまりひどく映ると、
新しい迫害が起こるかもしれません。
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2017年05月29日

キリシタンの復活

7代250年間待ち続けていた神父が、
ついにやってきたのです。

イザベリナゆりたちが
フランス寺で会った異人が
その神父であるということは、
その日のうちに
浦上中に知れわたり、
浦上の全村民が
知るところとなりました。

するとその翌日から、
浦上の信者たちは続々と、
早朝から天主堂へ
来るようになりました。

しかし、
日本はまだ、
厳重な禁教下にあったので、
役人たちの警戒もまた、
急に厳しくなりました。

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2017年05月28日

浦上信徒発見16

こうして、
浦上のキリシタンが、
発見されたのです。

そして、
それに引き続いて、
長崎県だけでも数万人もの
キリシタンが潜伏していることが、
明らかになりました。

1614年1月の大禁教令から251年にわたる、
厳しい迫害と殉教の期間を
潜伏し続けたキリシタンは、
ついに復活したのです。

これは
他国に類を見ない出来事として、
世界宗教史にでも
注目されています。
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2017年05月27日

浦上信徒発見15

彼らが
更に神父に質問しようとすると、
他の日本人が
天主堂に入って来ました。

その途端、
神父の周りにいた彼らは、
たちまちぱっと
八方に散り散りになりましたが、

すぐまた帰ってきて
「今の人たちも村の者で
私たちと同じ心でございます。
ご心配いりません」
と申しました。

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2017年05月26日

浦上信徒発見14

あなたさまも『悲しみ節』を守りますか」
「そうです。
私たちも守ります、
今日は『悲しみ節』の17日めです」

神父は、
「悲しみ節」という言葉をもって
「四旬節」(復活祭前の40日)を
言いたいのだと悟ったのです。

悲しみ節の期間、
迫害下の潜伏の中で
キリシタンたちは、
断食と祈りを守り続けてきたのです。
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2017年05月25日

浦上信徒発見13

確かに彼らは、
イエス・キリストを信じて、
神父の来るのを
250年間待ち続けていたのです。

彼らの中の一人が、
さらに申しました。
「御主(ゼスス)さまは…
33歳の時、
私たちな魂の救いのために
十字架にかかって、
お果てになりました。

ただ今、
私たちは『悲しみ節』にいます。
posted by 日本教会史 at 21:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

浦上信徒発見12

ところが先日、
ある神父の方が、
こう言われるのを聞きました。

「みな、
『サンタ・マリアのご像はどこ』
という言葉ばかり強調する。

でも大切なことは、
彼らはこの像の前に来て、

御子ゼススさまを
探していたことです。

彼らはイエスさまを
探していたのです。

そのことを忘れてはならない」

posted by 日本教会史 at 11:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

浦上信徒発見11

神父が聖母像の前に
案内すると、
みんなが集まってきて
「本当にサンタ・マリアさまだよ。
御子ゼススさまを
抱いていらっしゃる」と
言うのでした。

プロテスタントの牧師である私は、
彼らがマリア像を探していたことに、
つまずきを覚えていました。
posted by 日本教会史 at 22:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

浦上信徒発見10

この時、
250年に渡って
地下に潜伏していた
日本のキリシタンたちが、
再び復活したのです。

驚きながら
立ち上がろうとする神父に、
その婦人は
畳み掛けるように聞きました。
「サンタマリアのご像はどこ」
posted by 日本教会史 at 23:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

浦上信徒発見9

神父は驚いて聞き返しました。
「本当ですか。
どこのお方です。あなたがたは」

「私たちは皆、
浦上の者でございます。
浦上ではほとんど皆、
私たちと同じ心を持っております」

この言葉を耳にした時の
プチジャン神父の驚きと喜びは、
今の私たちには、
到底察し得ないでしょう。
posted by 日本教会史 at 06:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

浦上信徒発見9

そして、
その中の一人のイザベリナゆりが、
自分の胸に手を当てて、
神父の耳にささやいたのです。

「ワレラノムネ
アナタノムネトオナジ
(ここにおります私たちは皆、
あなたさまと同じ心でございます、)」
posted by 日本教会史 at 17:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

浦上信徒発見8

神父が聖所の方に進んで行くと、
この十数名の参観人の一行は
物珍しげに、
きょろきょろしながら
後ろからついて来て
堂内に入って行きました。

プチジャン神父が、
祭壇の前でひざまずいて
祈っていると、
天主堂の中にも
まどの外にも、
役人らしい人影がいないのを
確かめてから、

彼らの中の3人の婦人が、
プチジャン神父に
近づいて来ました。




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2017年05月17日

浦上信徒発見7

1865年3月17日、
金曜日の昼下がり、
フランス寺の前に
十数名の男女の農民が
やって来ました。

フランス寺の扉は
鍵がかけられて
閉まっていました。

彼らには、
フランス式の掛け金の
開け方がわからないので、
ガチャガチャとさせていると、
プチジャン神父が
急いでやって来て
開けてくれたのです。
posted by 日本教会史 at 22:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

浦上信徒発見6

ところが実はその時、
長崎の周りの村には、
何万というキリシタンたちが、
素知らぬ顔をしながら
信仰を告白する時を、
今か今かと
待っていたのです。
posted by 日本教会史 at 12:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

浦上信徒発見5

それでも、
プチジャン神父たちは、
多くの殉教者を出した長崎には、
きっと信者の種が隠されているに違いないと
信じていました。

けれども、
どんなに探しても、
それらしき者が一人として
見つからないので、
よほど厳しい弾圧と迫害を受けたのだろうと、
とても嘆いていたのです。
posted by 日本教会史 at 21:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

浦上信徒発見4

ある時は、
子どもにお菓子を与えて、
食べる時に十字を切りはしないと
気を付け見てみたり、

またある時は、
わざと馬から落ちて、
もしもキリシタンなら
思わず助けてくれはしないかと
試してみたり、
とにかく、
いろいろやってみましたが、
みんなあてが外れて、
信者らしい人とは
出会えませんでした。
posted by 日本教会史 at 08:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

浦上信徒発見3

けれども、
神父はあきらめませんでした。

きっと、
長崎にはまだキリシタンたちが
残っているに違いないと信じて、
彼らと会える日を
待ち望んでいたのです。

それで、
プチジャン神父は、
長崎ばかりではなく、
その郊外辺りも、
度々出かけて、
キリシタンらしい人はいないか、
キリシタンらしき家はないかと
訪ねて歩いたのです。
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2017年05月11日

浦上信徒発見2

ところが、
献堂式の日には、
日本人は誰も姿を見せませんでした。
フランス領事から
長崎奉行に
案内状は出されていましたが、
下役が代理として来ただけでした。

それで、
彼らは大いにがっかりしてしまいました。
posted by 日本教会史 at 06:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

浦上信徒発見

1865年2月19日、
フランス寺と呼ばれていた大浦天主堂の
献堂式が行われました。
プチジャン神父は、
ひそかに期待していたことがありました。

それは、きっと昔からのキリシタンが
長崎には残っていて、
天主堂ができれば、
すぐにでも
名乗り出てくるだろうと
楽しみにしていたのです。
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2017年05月08日

大浦天主堂 フランス寺

この天主堂は、
北に向かって、
二十六聖人が殉教した西坂に向かって
真向かいに建てられているので、
日本二十六聖人教会、
あるいは日本二十六聖人殉教者聖堂と名づけられました。
しかし町の人々は、
当時フランス寺と呼んでいました。

今は地名にちなんで大浦天主堂と一般には言われています。
この大浦天主堂で、
浦上信徒の発見がなされたのです。
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2017年05月07日

大浦天主堂  フランス寺

1863年、フランス人のふゅーれ神父は、
大浦の南山手に天主堂を建てるための工事に着工します。

フューレ神父は、
その翌年帰国しますが、
代わりに赴任したプチジャン神父は、
日本人を使って、
日本の材料で工事を進め、
ついに1864年12月29日に
落成し、
翌1865年2月19日に献堂します。
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2017年05月05日

鎖国破れる

1853年にペリーが浦賀に来て
鎖国を続けていた日本は、
外からの力によって
目を覚まされることになります。

そして5年後の1858年(安政5年)
日本は、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと
修好条約を結び、
長崎港なその5港が開港されます。

その結果、
外国人居留地ができるようになりました。

ここに、
ついに200余年にわたって続いていた
日本の4鎖国は破れたのです。

posted by 日本教会史 at 08:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

キリシタンの復活A

実際に、1867年に始まった「浦上四番崩れ」と
それに続いて起こった大村領木場の三番崩れ、
悲惨極まる五島崩れ、
外海や、伊王島、陰の尾島、
大山、善長次などの離島へき地にまで及んだ残酷な迫害の中で、
殉教する者たちも出ました。

キリストへの信仰の自由を
勝ち取るために、
どうしても、
このような厳しい季節を
忍びながら
通過しなければならなかったのです。
posted by 日本教会史 at 23:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

キリシタンの復活A

しかし、彼らが信じて待ち続けた、
大声でキリシタンの歌を歌って歩ける喜びを得るためには、
もうしばらくの時と、
迫害と殉教という困難と試練が必要だったのです。

この国が鎖国を解き、
250年以上続けたキリシタン弾圧と迫害をやめて、
キリストを信じる信仰の自由を得るためには、
再び殉教の血が、
流されなければなりませんでした。
posted by 日本教会史 at 15:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする