2017年02月28日

浦上四番崩れA

その結果、浦上のキリシタンたちはついに捕らえられ、牢に入れられてしまいました。
まず指導者の68人が最初に捕まりました。
そしてこの問題を解決できぬまま、
江戸幕府は倒れてしまうのです。


かわった明治新政府は神道を中心に天皇政治を目指したため、キリシタンに対しては迫害の手をゆるめるどころか、ますます厳しくなりました。
そのため、キリシタンへの迫害と弾圧は外交上の問題となりました。
明治6年、すなわち1873年になってやっとこの問題は解決し、キリストを信じることが認められたのです。
しかしそのためには
浦上四番崩れ」と言われている明治政府によるキリシタン弾圧の中での厳しい迫害と殉教を通過しなければならなかったのです。

2017年02月26日

浦上四番崩れ@

今月から浦上四番崩れについて書いていきたいと思いますが、その前にいままでに書いてきたことを簡単にまとめておきます。
激しい迫害の中で潜伏したキリシタンたちは、バスチャンの残した予告を信じ7代250年の間、告白を聞いてくれる神父が来るのを待ち続けていました。
そして予告どおり、7代250年たったときに、神父がついにやってきました。

「ワタシノムネアナタノトオナジ」
この言葉をもって復活したキリシタンたちは、うれしくてたまりません。
それまで隠れて待ち続けてきたキリシタンたちは、毎日のように天主堂に通い、
熱心に祈り、御言葉を学びました。
けれどもまだ、日本はキリスト教を禁止していたのです。

2017年02月21日

バスチャンの日繰りC

ところがある日、大きな黒船がやって来たと言って人々が騒いでいます。
彼は小高い丘に登って、そのところを打ち眺めました。

「これじゃ。バスチャンさまの予言の黒船じゃ。
じゃが、わしはコンへソーロに会うてコンピサンを申すまで生きてはおらぬ。」

そう言って彼は涙をこぼしたのです。

また長崎港の近くに善谷という
カトリック信者の村があります。
もと禅定谷といっていましたが、
左八という水方が引率して
家族と2人の独身者が移住してきました。