2017年01月29日

祈りによってB

仙右衛門は転んで牢を出された人より3日送れて、
転ばず信仰を守りとおし、
村(乙名)預けということで
浦上の村に帰されました。
そのとき村の人が仙右衛門に、
どうしてあんなひどい拷問をしのぐことができたのですかと聞きました。

2017年01月28日

祈りによってA

彼はただ単純に教えられたことを
信じて守っていただけでした。
毎金曜日にはキリストの
ご受難を思って断食をし、
祈りをしている人でした。

2017年01月27日

祈りによって@

ただひとり高木仙右衛門は転びませんでした。
この人は農民でした。
字は読めず、特別な学問を受けたわけでもなく、
見た目には弱そうな人で、
仲間さえ、どこからそんな勇気が出てくるのか
信じられないぐらいでした。

2017年01月25日

過酷な拷問G


それで、これから拷問を受けようとしていた5人もすっかり気を落としてしまい、
残っていた人たちもみんな
爪印を押してしまったのです。
ただひとり、
高木仙右衛門だけを残して。
posted by 日本教会史 at 19:56| Comment(0) | 26聖人、長崎、殉教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月24日

過酷な拷問F

役人は「あれを見たか、
あのような体になってから改心するよりも、
いま体の痛まぬうちに改心したらどうだ」と、
これから拷問を受けようとしている5人の者や、
まだ転び証文に爪印を押していない人たちに言いました。

2017年01月22日

過酷な拷問E

続いて次の5人も同じ目にあわせようとしました。
この拷問のありさまを見せられていた人たちの何人かは、
「これから毎日こんな目にあわされるなら、
とても信仰を守りとおすことはできない」と、
転び証文の自分の名前の下に爪印を押したのです。

2017年01月21日

過酷な拷問D

役人は「あれを見たか、あのような体になってから
改心するよりも、いま体を痛まぬうちに改心したらどうだ」と
これから拷問を受けようとしている5人の者や、
まだ転び証文に爪印を押していない人たちに言いました


2017年01月17日

過酷な拷問C

続いて次の5人も同じ目にあわせようとしました。
この拷問のありさまを見せられていた人たちの何人かは、
「これから毎日こんな目にあわされるなら、
とても信仰を守り通すことはできない」と、
転び証文の自分の名前の下に
爪印を押したのです。
それを見ていまひどい目にあった6人も
すっかり気を落としてしまい、
爪印を押してしまいました。

2017年01月14日

過酷な拷問B

水をかけると縄は、短く縮み、
肉にくい入り、皮膚は紫色に変わります。
そしてまた気絶してしまいます。
こうして6人は門口に引き出され、
捨て物のように転がされました。

2017年01月13日

過酷な拷問A

そして下に立った役人が棒とむちで
さんざんに打ちたたきます。
するとほとんど気絶してしまいます。
それから地面に引きおろして水をかけ、
正気に戻してくり返すのです。

2017年01月12日

過酷な拷問@

駿河問いという責め苦(ドドイとも呼ばれる)を受けるため、
6人が選ばれました。
これは両足を背中にそらせて、
両足首と両手首それに首、胸にも
縄を掛けてそれを背中の一箇所でくくり寄せ、
その縄を梁に巻き上げ、
身体を弓のようにそらせて、
つるすのです。
そして何回も身体を回して釣縄によりをかけて、
コマのように勢いをつけて
振り回し、
次によりを戻して逆に回転させます。

2017年01月11日

捕縛H

けれども桜町牢での拷問は
凄惨をきわめ、
その結果、ついに高木仙右衛門
ただひとりを残して
82人が転んでしまうのです。

2017年01月09日

捕縛G

10月5日、68人は再び小島牢から桜町牢に移されましたが、
そのときには彼らは83名となり、
2坪の四畳半の牢に38人が詰め込まれる有様でした。
それでも彼らは責められても苦しめられても信仰をこのときまでは守っていたのです。

2017年01月08日

捕縛F

また彼らが捕らえられたあとにも、
浦上では、死人が出たとき
坊さんを呼ばない人たちが次々に
桜町牢に入れられていました。

捕縛E

そうしている間にも、
「入牢者には拷問を加えない」という
外交団との約束は破られ、
長崎では捕らえられた68人に説得や
ひどい拷問が加えられました。

2017年01月06日

捕縛D

一方、キリシタンであるという信仰の問題だけで
捕縛投獄されたことに在留外国人は衝撃を覚え、
各国の領事は奉行に抗議しました。
さらにこの問題は幕府と各国外交団に移され、
毎日のように議論されました。
しかしキリシタン邪教観は強く、
なかなか解決しませんでした。

2017年01月04日

捕縛C

そこから仙右衛門、与五郎、寅五郎、
又市などは取調のために
たびたび西役所に引き出されました。

2017年01月03日

捕縛B

しかし、長崎奉行は浦上の農民たちが
囚人たちを奪い返しに来るかもしれないと思い、
2日後には小島に新牢を造りそこに移しました。

殉教ブログ.jpg

2017年01月02日

捕縛A

彼らは桜町牢に入れられました。
この桜町牢はもともと教会のあったところですが、
1614年の迫害のときに壊され、
そのあとに牢獄が造られて、
迫害時代に多くの神父たちや信者たちが苦しみをしのぎ
殉教へ旅立っていったところです。

捕縛A

彼らは桜町牢に入れられました。
この桜町牢はもともと教会のあったところですが、
1614年の迫害のときに壊され、
そのあとに牢獄が造られて、
迫害時代に多くの神父たちや信者たちが苦しみをしのぎ
殉教へ旅立っていったところです。

2017年01月01日

捕縛@

1867年7月15日の早朝3時ごろ、
大雨をついて捕手たちは浦上の地に
踏み込み、
68人が捕らえられました。
これが「浦上四番崩れ」の始まりです。